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アドラー心理学

 色々な人から、色々な教育実践との比較、違いを聞かれます。その中に、アドラー心理学もあります。これは非常に簡単です。アドラー自身はアドラー心理学とは言わず、個人心理学と言っていました。これに尽きます。個人と個人が繋がるためには非常に素晴らしい理論です。

 『学び合い』は個人と個人は分からないと思っています。(あ、でも、アドラー心理学を知った方が夫婦関係は良くなると思いますよ。)『学び合い』の担当しているのは個対多です。つまり、教師、管理職の立ち位置です。だから、『学び合い』ではTOSSの本を子どもに読ませます。アドラー心理学も子どもに読ませるべきだと思います。しかし、教師が学ぶべきは一対多の『学び合い』だと思います。

 私の生き方は、一対一の学生さんとの付き合いは、本気で守りたいと思うこと、でも、距離を保つこと、この二つを大事にしています。そして、『学び合い』のセオリーで管理します。

 ただ、家内との関係、息子との関係に関してはアドラー心理学は有効と思っています。

私だったら

 学校・教室で何かあると、直ぐにKnow-Howに走ります。教室で何か問題が起こると、教師が悩み、考え、解決方法を考え、それを子どもに強います。学校で何か問題が起こると、教育委員会が悩み、考え、解決方法を考え、それを校長に強います。

 『学び合い』ではKnow-Howではなく、Know-Whyを大事にします。つまり、解決すべきものは何か、何故解決しなければならないかを管下に語ります。

 文部科学省、日本中の教育委員会は学校に対して事細かな方法を「指導・助言」しています。それを学校は「指示・命令」と受け取って思考停止に陥っています。

 私が教育長だったら以下のようにするでしょう。

 まず、学校の教育内容、方法に関しては一義的な責任は学校長にあることを確認します。次に、基礎疾患のある子ども、同居親族に基礎疾患がある子どもの家庭に対して、教室外での教育を受けられるオプションを早急に構築し、子どもとその家族の健康・命を守る方策を講じることを「指示・命令」します。さらに、大規模な休校措置が起こったときに、再開した後に補完しなくてもよい家庭学習の方法を早急に構築し、1単位35週の教育内容を保証するべきことを「指示・命令」します。その上で、法令に反しない各学校での取り組みに関して無条件で支持し、予算的なバックアップをするとともに、各学校での取り組みを管下の学校で共有します。

 これをやれば管理職の能力のある校長とそうでない校長は直ぐに分かるでしょう。でも、情報共有をすれば、その差は小さくなるでしょう。

 『学び合い』では教師の定めた固定班はありません。子どもたちがその場その場でグループを自然発生的に生み出します。そのことに対して、「子どもにそんなことを任せて良いのですか?」と質問する人がいます。その方には「では、どのようにグループにしていいか学術的根拠に基づく理論はありますか?」と聞きます。研究者として断言しますが、そのような理論はありません。その上で「自分にとって相性が良いか悪いかを判断できるのは当人です。だから、グループのようなものは子どもに任せるべきなのです。教師は最終的に達成すべきことを定め、それが意義あることであることを納得させるのが仕事です」と語ります。

 文部科学省、教育委員会は事細かな方法を「指導・助言」していますが、それにどれほどの学術的根拠があるのでしょうか?本当だったら2mの間隔を開けるべきなのに、それでは教室に子どもが入らないという理由で1mでもいいというようにねじ曲げている程度なのです。

文部科学省、教育委員会も我が身を守りたいでしょう。だから、「指導・助言」を乱発して身を守る物的証拠を積み上げてください。でも、責任の所在を明らかにし、何を達成すべきかを明らかにし、方法を任せてはいかがですか?

 ま、工業化社会の組織は無理ですが。ならば、校長がそうすればいいのです。法令上、それは許されている。いや、そうすべきであると定めているのです。

交渉術

 私の交渉術はクール&ハートです。

 徹底的に法規を調べ、論理的に進めます。でも、それだけでは駄目だと思います。

 教職大学院の立ち上げの際、人事関係は私が一人で管理職・事務と交渉しました。あるときです。ある人が教授として設置審を受けた場合、通らない可能性があるので准教授で審査を受けることを事務は提案しました。私は、教授で問題ないことを論理的に説明しました。そのときです。腹を割って話せる事務の方が「まあ、良いじゃないですか。そのうちに教授にすれば」と気安い私だからこそ、本音をおっしゃった。

 その瞬間、私にしてはまれですが、頭に血が集中して怒りが爆発しました。そして私は「私は関係する人たちの人生を預かっているんだ。まあ、そのうちに、では駄目だ。ハッキリしたことをしなければならない。そんなレベルでやるんだったら、私は手を引く」と言って席を蹴りました。いつもはニコニコしている私が豹変したのでビックリしたと思います。

 その後、大学管理職が仲を取り持って手打ちです。そして、私が守りたかった人は教授で審査され通りました。

 でも、大事なのは事務の方との関係です。今でも良好な関係を維持しています。私が関係者を本気で守る人だという認識が広がったから、色々な仕事がやりやすいです。

 で、長々言いましたが、ようは教育委員会に従うだけが、自分の得とは違いますよ。

法規

 管理者たるもの、法規をちゃんと読むべきです。そして政治をして管下の人を守るべきです。管下の人を守れないなら、管理者でない。

 私は学内政治での勝率は高い。だから三十代で新たなコースを立ち上げ、四十代で新たな専攻を立ち上げました。現場で言ったら、三十代で新たな学校を立ち上げ、四十代であらたな行政システムを立ち上げたようなものです。

 何故、それが出来たか?

 事務の人と仲良くなって、法規のツボどころはどこかを徹底的に学びました。その上で、管理職に対して魅力的な提案をしました。ただし、管理職は現状維持の提案をします。その場合は、ニコニコとしながら法規を基に交渉します。危険性が少なく、可能性が大きいことを論証して提案します。管理職の言っていることは聞きますが、まあ、聞き流します。最終的には「では、私は手を引きます」ということをちらつかせます。そうなると管理職は困るので交渉するのです。

 ということで、私は大学教員生活33年の中で二十年以上私にとって最高の環境で過ごしています。

 日本中の教員に語ります。法規をちゃんと読んでください。それは平教諭もです。

 例えば、以下を読めば、コロナでゴタゴタしてるのは、何が問題であるかが分かります。ようは、校長が法規を読まず、政治をしていないからです。その結果として、管下の子ども、子どもの家庭、管下の職員を守っていないのです。そして呪文のように「教育委員会が・・」と言っているのです。ちがいます。あなたが管理職のすべきことをしていないからです。

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chuuou/toushin/980901.htm#3-2

自衛

 文部科学省の最新の通達(https://www.mext.go.jp/content/20200806-mxt_kouhou01-000004520_3.pdf?fbclid=IwAR3W17iiDpq3K6yFvBC-apKItTcG8Vwo64m-IsP2h8DGCLy_uj9wr6S_qao)を読みました。

 私は危機管理とは最悪を予想し、対応することによって最悪になることを避けることだと思っています。残念ながら二つ感じました。

 第一に、大規模な休校措置が起こったときの学びの保証のことが何も書かれていません。

 第二に、同居親族への感染の危険性を意識していないように思います。

 みなさま、我が身、我が家族を守るのは文部科学省、学校ではなく、自分たちだと理解しましょう。