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老化

 尊敬する先輩教師から老化に関して断片的に教えてもらいました。

 「まず、目から来る」と言われましたが、ちょっと違うように思います。ようは、読みたくない本を読まなくなります。中学校3年生以降、分かりもしないカントやヘーゲルを読みました。でも、最後まで読んでも全く分かりません。でも、最後まで読んだのです。今はそんなこと絶対出来ません。

 全力疾走が出来なくなりました。ということで毎日、ウオーキングしています。

 これから私は年齢を重ねます。それで知るのです。各年齢の自分を。これって、私より若い人には、価値ある情報だと思います。少なくとも、そのような情報があれば、私はむさぼります。

 今の段階で、若い人に言えるのは、伴侶と仲良くしましょう。伴侶と朝飯を食べて、伴侶の弁当を食べて、晩酌をする、これが最善だと確信しています。そして、これからの世代に伝えたいのは、共稼ぎをしてください。

 ま、これから70歳、80歳の情報発信をすれば、それだけで意味があると思います。

 私は、信頼する方々から、その情報を得ていない。

立ち位置

 みなさんご存じの吉本興行の役員はどのように決まるか知っていますか?

 吉本の芸人として一定以上の実績を上げて、年齢が一定以上の人から選ばれるのです。何故、芸人から選ばれるかと言えば、芸人としての経験を通して、芸人の気持ちがよく分かるからです。

 知っていましたか?

 知らなかったでしょ。

 だって、上記は嘘だからです。

 ただ、上記を読んだときどう思われました?きっと違和感をもたれたと思います。だって、芸人としての職能と、役員の職能は違いますから。でも、これと同じような人事をしている組織があるのです。何だと思いますか?

 学校です。

 校長の大多数は教師としての実績を上げた教諭経験者です。その人たちの中で一定年齢以上の人が試験を受けて校長になるのです。これっておかしくないですか?教諭の気持ちがよく分かるから、教諭経験者から選ばれるのって妥当ですか?

 私はおかしいと思います。だって、教諭の職能と、管理職の職能は違います。

 経営学のリッカートの研究によれば、下級管理職、つまり平社員と同じ仕事をやりつつ管理をする管理職、具体的には主任や係長レベルの職能は平社員の職能と同じです。学校で言えば、学年主任の職能は平教諭の職能と同じなのです。

 ところが上級管理職、つまり平社員と同じ仕事をしない管理職、具体的には社長や取締役の職能は平社員の職能とは全く違うのです。それは目標を設定し、管下の職員に納得させるのです。短く言えば、ドリームメーカーなのです。

 残念ながら日本の校長の中でリッカートの言う上級管理職の職能を持つ人はどれほどいるでしょうか?工藤勇一校長はその一人です。また、「仕事はここまで削減できる! 学校改革スタートブック」(https://amzn.to/2R9LBlZ)で紹介した、歴代の大分大学附属小学校の歴代校長もそうでしょう。

 もし授業検討会で細かくアドバイスする校長、総合的な学習の時間の計画立案に自らの過去の事例を紹介する校長、これらは下級管理職の立ち位置なのです。

追申 『学び合い』における教師は校長の立ち位置です。管下の三十人の教えて/学び手がいて、子どもたちが各種主任を務めています。その管下の子どもたちに方向性を与え、心にエネルギーを注入するのが仕事です。

お願い

 ネットサーフィンをしていると、以下の様なものがありました。

 

 「「学び合い」を大義名分に、全く授業をせずに生徒に丸投げの教師がいる。プリントを「お互い教えあいなさい」で解かせ、最後まで残った児童を、クラス全員が取り囲み教えようとする。囲まれた児童はパニックで思考停止し、チャイムが鳴るまでその時間が続く。」

 

 ゲンナリします。

 おそらく書かれた人は、『学び合い』スタートブックぐらいを読んで『学び合い』を実践している人なのでしょう。私が何度も最低5冊(https://www.jun24kawa.com/entry/2020/03/07/090655)は読んでくださいと連呼しても、そういう人はいます。その結果として、上記のような状況を引き起こし、同僚もしくは保護者から上記のような書き込みをされているのだと思います。

 上記のようなことは先に挙げた5冊を読んで、その通りにしていれば絶対に起こらないことです。例えば、「『学び合い』を成功させる教師の言葉がけ」の46ページから47ページを読めば、原因は何で、解決策はどうしたらいいかが書かれています。なによりも、「みんなで取り組む『学び合い』入門」を読んでいないから、同僚もしくは保護者が感情的な書き込みをするのでしょう。

 何度も書いていますが、新たな製品・サービスに対して様々なタイプがいます。最も多い68%のマジョリティは新たな製品・サービスを使いこなすのに苦労するのを嫌がります。数冊を読んで実践する人たちがそのような人達です。ただし、このような人が多いことは集団が健全な証拠です。私だって、携帯電話の使い方に関してはマジョリティの行動をしています。

 どうしたらいいか?

 上記のマジョリティの人達を本質的に変えることは出来ません。更に言えば、変える必要もありません。不自然です。では、どうしたらいいか?

 関係する本を読み、自分で考え、人と語り合える12.5%のアーリーアダプターを育てるしかないのです。その人達が暴走するイノベーターの手綱を握り、苦労せず使いこなそうとするマジョリティをサポートするのです。

 お願いです、様々な本を用意しました。その中にはマジョリティの人が使いやすい本も用意しました。どうぞ、学び、使って下さい。そして、周りの人をサポートして下さい。

 『学び合い』を実践している我々にとって、一番ありがたいのは、有能な『学び合い』実践者です。次は、無能な『学び合い』反対者です。周りの人に反面教師になりますから。次は有能な『学び合い』反対者です。有能な人ならば無意味な攻撃はしません。折り合いを付けて、協力できることは協力し合うことが出来ます。そして、一番迷惑なのは失敗を繰り返す『学び合い』実践者です。その人達によって、我々が誤解されてしまいます。

 我が身を守るためにも、是非、マジョリティの人達をサポートして下さい。

破壊的イノベーション

 部活を社会体育に移行する方針を文部科学省が打ち出しましたが、そうなると「こういう問題点がある」、「これは大丈夫なのか?」という意見が出ています。

 結論から言えば、学校部活は社会体育に移行できません。何故かといえば、市場の占有者は現在のユーザーのニーズに応えなければならないのです。日本において大多数の人は部活を今のままにして欲しいのです。だから、学校の内部においても、「子どものため」という葵のご紋の印籠を出す人がいて、多くの教師はそれには逆らえないのです。

 じゃあ変わらないのか?

 変わります。

 どのように変わるかを知りたいならば、「イノベーションのジレンマ」(https://amzn.to/3m2HTsz)、「ブルー・オーシャン戦略」(https://amzn.to/2R78W7V)を読むと分かります。

 生物進化は常に小集団が隔離されたときに生まれ、成長するのです。大集団の中では突然変異が起こっても、大集団の中でそれは消されてしまう。隔離された小集団の中で突然変異が起こると、それが拡大し、強化されるのです。これは破壊的イノベーションも同じです。

 その詳しい機序や、事例に関しては先の本に譲ります。簡単に結論だけを言えば、部活をしないという学校(必ずしも一条校とは限りません)が生まれるのです。

 多くの教育改革は、今の価値観を保持したまま、それを拡張します。しかし、収穫逓減の法則によって、それに費やすリソースに比べて得られるものが小さくなります。それが極大化した状態においては、止めると言うこと自体が価値を生み出すのです。今の学校教育はまさにその状態なのです。

 例えばです。「部活をしません」を謳った学校が生まれたとします。現在、部活指導を嫌って中高ではなく小学校の教師を目指す人がいます。そもそも学校の教師をやめて市町村の公務員を目指す学生が増えています。だから、「部活をしません」と謳った学校が生まれたら、それを求める教師が集まる可能性があります。つまり、教科指導に長けた教師を集めやすいのです。さらに残業がないのですから、予算的にも余裕が出ます。その分、学費を減らすことも可能です。

 部活を求める子どもや保護者はいますが、逆に、半強制的に部活に入れられることを嫌う子どもや保護者はいます。そのような子どもや保護者にとっては、学費を払っても、その学校に入りたいと思うのです。

 もちろん、初期の段階は、その市場は小さい。しかし、その中で「部活をしない」ということによって生まれる付加価値を見いだし、純化し、拡大して、現在の市場占有者(つまり多くの学校)が気づいたときには、現在の市場占有者が泡沫だと笑っていた部活をしない学校が市場の占有者になるのです。

 と思っているので、現状の学校部活が社会体育に移行することの可能性や問題点を指摘する議論には興味はないのです。気持ちとしては、「どうぞ、ご勝手に」です。だから、部活に対しての破壊的イノベーションに関しては、どこがその担い手になるか、部活をやめることによる付加価値は何か、なのです。

追伸 経営学の本を教師は読むべきだと私は思っています。

幸せ

 家内と晩酌をしながらテレビ番組を見ました。そこには親戚一同を集まって楽しんでいる様子がありました。しかし、これからの日本の未来像ではありません。あれは狩猟社会のモデルです。

 工業化社会の幸せは人工的なメンバーシップ型の企業がコミュニティです。でも、それは衰退しています。

 私はこれからの社会の幸せは、農業社会の地域コミュニティを基本として、ごく一部の人が広域に繋がるコミュニティを想定しています。その核が学校なのです。

 私の頭の中には幸せな人々が見えます。私も家内も息子もその中にはいません。でも、健全なコミュニティが育ったら、私たちのような外部者も受け入れると思います。

 と、妄想しています。