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ドハマリ

 自分でも変ですが、「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」にドハマリしています。7話は何度繰り返し観たか分からないほど。見終わって、直ぐに、見直しても、後半の黒沢の「本当にいいの?逃げ出したくなっても、もう、離さないから」の部分で涙が決壊します。これほどの純愛ドラマを見たことが無い。

 良い純愛ドラマ・映画は数多く観た。でも、「男同士」という設定以外がもの凄くシンプル。そもそも主たる出演者が7人で、大部分は二人だけ。だから、考え抜かれた台詞と、表情と仕草だけで進行する。それを赤楚衛二、町田啓太が素晴らしく演じている。この二人、こんなに上手い役者だったのだろうか・・・。

 ドラマの進行が原作と大きく変わっているので、今後の展開が全く見えない。毎週木曜日(私は金曜日の午前中)が待ち遠しい。おそらく、次回までに百以上見直すだろう。

 このドラマを今まで見ていない人は、もの凄く損をしています。

 61歳の大学教師が、こんなに熱く書くことではないことは分かっているのですが、この感動を書きたいし、多くの人に共有して欲しいのです。

追伸 このドラマに比肩する純愛ドラマが一つあります。ミア・ファロー主演のフォロミーという映画です。詳細はググって下さい。簡単に言えばミア・ファローが演じる妻の浮気を疑った夫が探偵を雇いました。その探偵が妻の尾行をしている映画です。探偵役のトポルの純愛に毎回嗚咽します。思い浮かべるとウルウルするほど。これもお勧めです。

追伸2 この二人(赤楚衛二、町田啓太)版の、「きのう何食べた?」を作って欲しいと思いました。

「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」はBL(そもそも30歳の男同士をボーイと分類するのが無理があるが)ではありません。障害を持った人同士の純愛ドラマだと思います。

 一方は外見が良すぎて、その人の内面を見られない人。例えば、身長が高いことがいいからといって195cmの人は、そのことだけを見られる。その人がバレーボール選手だったら、それを生かせる。でも、195cmということはその人の一つのキャラクターに過ぎない。もう一方は、かなりの能力があるのに、それを正しく評価されない人もいます。だから、自分の評価が本来よりもかなり低い人がいます。

 障害を持った同士の純愛ドラマがこのドラマの本体だと思います。イケメンの町田さん、赤礎さんが演じているからわかりずらいけどね。だから、BLものなのに多くの人に共感される。

 この構造は「君に届け」という映画と同じです。しかし、男同士ということで、障害が大きく、告白の閾値が高い。

 私が大学生時代に熱狂した、「摩利と新吾」、「日出処の天子」はいずれも恋は成就しなかった。両方とも悪人はほとんどいません。善人ばかりです。だから幸せになってほしかった。今回は善人が幸せになる。これからの5回の放映で、どんどんいい人が幸せになってほしい。

 

チェリまほ

 本日、「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」の7話を見ました。10回も、そして、10回とも嬉しくて泣きました。悪人がいなくて、いい人が幸せになるドラマ・映画が大好きなのです。

 これほどドハマリしたのは1984年の風の谷のナウシカ以来かも。その当時はネットは無かったので、封切り日から15日間、毎日、土浦の映画館に見に行きました。そして毎回、嗚咽しました。嬉しくて。

劣化

 つくづく組織の劣化を感じます。

 文部科学大臣が全国の大学の学長を集めて対面授業を再開することを要望したのです。最悪なのは、やらなかったら・・・という脅しをかけています。少なくともかけられると思っている人はいます。(https://www.jiji.com/jc/article?k=2020111900559&g=soc&fbclid=IwAR0n3TO10gsmxIMFnpxmN67ktcF9Tb9woK73ko9MGAE7yD5vfKUlKCc3BNQ

 基本的に日本の教育は文部科学省が大きな方向性を示し、その方向性にそっているところをサポートしていました。だって、学習指導要領の縛りは、その文面を読めば、いかようにも読めるようになっていますから。文部科学省は学習指導要領を実現するための予算を獲得することをやっていました。

 対面授業を推進してほしいという要望は至極ごもっともです。大学の教員として、その通りだと思います。でもね、ようは何故、そうできないかです。

 対面授業を全開にしたとき、クラスターの大きさは、飲み屋、老人施設の比ではありません。そうなったときの責任を文部科学省は負うのですか?昔の文部科学省だったら、そのあたりの計算はしています。しかし、今は無い。つくづく組織の劣化を感じます。

 ま、そのあたりの配慮はありますという言葉は言えますが、この記事になった段階で、それはいってはいけないことだと思います。昔の文部科学省は、そうすべきだ、と言葉にする前に、そのことが実現するための手立てをしました。でも、いまは、そうすべきだ、だけ。

 ゼミ生が本物になってくると夢に私が出るようになります。それがほぼ同じです。夢の中の私は無言でニコニコしているそうです。ところが「とても怖かった」と言うのです。

 解説します。

 私はゼミ生に提案することはありますが、強いることはありません。ただ、私の提案がどのような意味があることを語ります。その提案を蹴ったとしても、いつも通りにニコニコしています。自由が西川ゼミの最大の特徴ですから。でも、私の提案が妥当であり、自分にとって得であることが理解出来るようになると、私のニコニコした顔によって避けている課題が逃げられないことを思い出すのです。つまり、夢の中の私は、ゼミ生の理性や良心の象徴なのです。だから、ニコニコした顔が怖いのです。

 本日、ある『学び合い』実践者からメールをいただきました。内容は以下の通りです。

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おはようございます。ご無沙汰いたしております。

 

本日、先生が夢に出てきました。初めてです。嬉しかったです。

 

畑の真ん中に立っておられて、他の方たちと作業をしていて。

そして、こちらを向いて作業を止めて立ち、はっきりと、「俺はやるよ」とおっしゃいました。

 

ご報告いたします。

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 全く新しいバージョンです。

 夢の中の私はその方にとって何の象徴なんだろう?