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人はいる

 私は文部科学省のやっていることに対して、散々にいいます。でも、同時に、それでいいのだとも言います。つまり市場占有者は市場の大多数の人たちの要望に応えなければならないのです。

 文部科学省の人、都道府県教育委員会の人、という人はいません。いろいろな人はいます。様々な人がいます。都道府県教育委員会の人の中には『学び合い』を実践した方もいます。私と共著で本を出した方もいます。面白い話を聞いたことがあります。ある出版関係者が文部科学省に「アクティブ・ラーニング」に関することを問い合わせたのです。文部科学省の担当者から「それは西川先生に聞いてください」と言われたと出版関係者から教えてもらいました。私は大爆笑しました。

 文部科学省の人、都道府県教育委員会の中には私を蛇蝎のように嫌う人がいます。そして、大多数の人は興味がない人たちです。でも、蛇蝎のように嫌う人たちと同数の人が、「それもありかも」と思っているでしょう。なにしろ、私の発言は全てシンプルな原理原則に基づいていますし、実証的データに基づいていますから。

 そのうち、今の手立てでどうしようもなくなったとき、そのような人たちの発言力が高まります。

 例えば、今後、義務教育段階でも非一条校が拡大して、学校が小規模校化したとき、通学不可能な学校が生まれます。通学は憲法によって保護者の義務です。でも、そればできない保護者が増えます。そうなれば、通信制を検討する必要が出ますし、そうすれば学習指導要領の弾力的運用が必要になります。馬鹿馬鹿しいのは、今回の学習指導要領の改訂の議論に、それが全く検討されていないのです。でも、次の学習指導要領の10年後には持たない。それって、行政の賢い人たちはわかっているはずです。

 お手並み拝見です。

 退職者の日々の幸せな世界の合間の娯楽の一つです。後進の詰め将棋。

忘恩

 ふと思います。私が必死に守り、その人の生涯年収を数千万円あげたと自負した人は、私に感謝の気持ちがないことを。ま、いいのです。それが人というものです。人は、今必要な人とつながります。それでいいのです。『学び合い』のセオリーです。

追伸 戸北先生と私の人徳の差だな。

AI

 暇だと、文部科学省や都道府県教育委員会の情報が私の目に触れる。タイムラインに勝手に流れてくる。勘弁してほしい。幸せな時間を過ごしているのに、もの凄く、不快になる。

 どうして、そういう行政の人たちは、子どもたちを強いるのだろう。それが良いという実証的データってあるの?ないんだよな。なんだか話題になるし、それに便乗した御用学者の言説に踊らされている。

 最近でムカムカしたのはAIです。学校に導入しよう、活用しようとする流れがあります。ナイーブ(これって学者の世界では、最高の侮蔑の言葉です。ようは素人という意味です。)な考え方です。

 私は今から40年以上前に初期の人工知能を研究し、それを教育に導入する論文を書きました。その後も、つかず離れずでウオッチしていました。そして、一般書籍にAIに関する本が出始めたとき、出版されている本をとにかく読んでみました。その結果、わかったのは二つです。第一は、今後、AIが発展し人に置き換わる範囲が広がること。第二は、それ以外は、全く一致していないことです。名だたる専門家が自信たっぷりに別々なことを言っているのです。

 それ以降、AIの開発に関わる0.1%以下の人以外には、AIを学ぶ必要はありません。例えば、テレビを見ている人は多いですが、その仕組みを理解し、組み立てられる人は0.1%もいない。だから、学校でテレビの仕組みを学ばないのです。

 では、AIの使い方ですが、これもハッキリとした方向性は定まっていません。大人たちが右往左往しているのです。その段階で、何故、子どもたちに強いるのだろうかと思います。

 じゃ、どうするか?

 かつて書いた本(https://amzn.to/4u1iD7y )と同じです。健全な集団を形成し、そのネットワークの中で子どもたち集団が最適な使い方を模索すれば良いのです。

 私は教え子を強いません。聞かれれば、私なりの生き方と、その根拠を示します。そして、幸せそうなおっさん、じーさんである私をさらします。そうすれば、自然の問答が生まれ、その中で子ども「たち」は学ぶのです。正解がわからない教師がすべき姿はそうあるべきだと思っているからです。

 なので、文科省、都道府県教育委員会、そしてそれをサポートしている御用学者の言説に、いちいち突っ込みたくなる。「あなたが、そう断言する実証的なデーターってあるの?」と。私はあります。

追伸 AIと教育の情報内容は、文部科学省、都道府県教育委員会、学校、教師なのはなぜ?主語は子ども、子どもたちだろう。

準エゴサーチ

 今から書くことは、かなり差し障りがあります。ですので、当事者から根拠ある反論があれば、そのような反論があったことを明記し、1日後に削除します。

 本日は、特段みたい番組がなかったので元勤務組織の情報を見ました。愕然としました。

 昨年の入学者の集合写真を見ると、私のいた時代に比べて半分以下の人数です。そして、今年は、その発信すらもない。

 もともと上越教育大学は、教員養成系大学・大学院としてはハンディがあります。つまり、設置されているのは小さな町なのです。昔は数少ない現職教員用の大学院というアドバンテージがありました。それが無くなるときに、免許プログラムが立ち上がりました。ところが、それも他の大学でもやり始めたのです。最後に残ったのは個人プレーです。上越教育大学大学院の入学者の2割強は3人によって成り立ちました。一人は私、一人は私学とのネットワークの強いHさん、一人はAさん。3年前に私に2年間つけないようになってがっくっと20人弱が減りました。Hさんが退職し、また、下がったのでしょう。いまから4年後にAさんに2年間指導してもらえない状態になるでしょう。その前段階で半分。そもそも、今年の入学式を発信しないのはなぜ。

 現学長は、自分の責任ではないと自分に言い聞かせているでしょう。しかし、課長以上の事務官に問えば、自明です。でも、私に言った啖呵、かっこ良かったですよ。結果を考えていませんが。

 もしかしたら10年程度で新潟大学との合併を文科省に求められるでしょう。しかし、少なくとも私は恥じない。私に関する人は全て、一分、一秒でも早く教授に昇任させたという自負がある。

阿部監督の辞任に関して

 阿部監督辞任に関して妻から話を聞いたとき、はじめは町での喧嘩の仲裁で手が出たと思いました。そりゃ、巨人の監督だったらそうなるよな、直ぐに納得しました。しかし、家庭内での出来事だとしばらくして知ったときは、「そこまでやるか?」と思ったのは正直なところです。しかし、巨人だったらそうだろうなと直ぐに理解しました。プロスポーツは人気商売です。選手・監督は芸人です。一般人以上にコンプライアンスが求められる。注目度が高い巨人としては、最大限の懲戒を与えることが身を守る唯一の選択肢です。阿部監督も事件として公開された段階に、辞任以外の選択肢はないことは理解したと思います。

 私が最初に心配したのは、娘さんです。彼女は高校に通学し、卒業できるでしょうか?大学に進学し、通学し、卒業できるでしょうか?就職できるでしょうか?結婚できるでしょうか?

 彼女の行動を非難する人は、一定数います。それ以上に、関わり合いになることの危険性を感じる人はいます。例えば、夫婦喧嘩のたびに警察に駆け込まれる人と結婚したいと思わない人は少なくないと思います。彼女は阿部監督の娘であることから逃れられません。一人の少女がそれを背負い続けるとしたら過酷です。

 阿部監督の場合、今後、公的に名誉を回復する機会はあります。一方、一般人である娘さんにはそれがありません。表だって非難されることはないでしょう。それだから、彼女がそれを修正する機会もないのです。それを心配します。

 上記のような娘さんの将来のことを考えた上で児童相談所は警察沙汰にしたのでしょうか?そうだったら仕方がありません。例えば、日常的な暴力を受けているなら仕方がありません。しかし、今回だけのことで定型的な手続きで警察に通報すれば、警察は定型的に手続きを進めるしかありません。

 私は阿部監督に同情する気持ちにはなりません。しかし、娘さんが心配です。

追伸 私には教育的懲戒か暴力かの違いに関して、明確な線引きがあります。

高校教師だったときのことです。高校に入りたての女子は化粧を初めてします。実に下手くそです。そのような下手くそな化粧をしてきた子に対して「若い君たちは素顔が一番きれいだよ、唇からはみ出して口紅を塗りたくると、場末のホステスみたい見えてしまうよ」と言いました。教室中が爆笑しました。しかし、その瞬間に総身の血の気が引きました。実際寒くなりました。実は教室には母親がホステス勤めをしていることを恥じて、憎んでいる子がいることを思い出したのです。ホステスを例にして笑いをとった私に対してその子がにらんでいるのではないかと恐れたのです。結局、その一時間、その子の方向を見ることができませんでした。(幸い、その子は気にしていないことを後になって知りました。)
もう一つの事例があります。先輩から「遅刻は決して許すな、遅刻は欠席につながる、欠席がたまれば退学になる。だから、最初の遅刻の段階で止めろ」と言われました。ですので、若い私は遅刻する子が教室に入ってくると、頭を出席簿(覚えてられますか?あの堅い長細いやつです)でしっかりと叩きます。あるとき昨晩の酒が残りに残って気持ちが悪くてしょうがありません。ヘロヘロになって座っていると、一人の生徒が遅刻してきました。ヘロヘロの私は「今日はいいから席に座れ」と言って叩きませんでした。

 しばらくすると、「先生、○○(遅刻した子)が怒っている」と言うのです。見ると、「怒っているぞ!」とアピールしてガンを飛ばしまくりです。私が「○○、何怒っているんだよ?」と聞くと、「怒ってね~よ」と明らかに怒っている声で返答するのです。しばらく考えて「もしかして、叩かなかったら怒っているのか?」と聞くと、「そんなことね~よ」と言うのです。そこで「すまないが、叩かせてくれ、お願いだ」と頼むと、「しょーがねーな」と、頭を差し出すのです。そこで、力を込めて出席簿で叩きました。そうしたら○○が満面の笑顔で私を見つめたのです。

 ○○は叩くことが自分のためにやってくれていることを理解していました。だから、叩かないと言うことは自分を見捨てたのではないかと思ったのでしょう。

 ながながと書きましたが、上記のような場面は定時制高校時代何度もありました。その結果、教育的懲戒と暴力の線引きははっきりしています。法的には何をやったか、やらなかったかによって決められます。しかし、学校や家庭において、それ以前に自覚すべきは判断するのは親でも教師でもなく、子どもだと言うことです。ただし閉鎖的な空間では判断がゆがめられてしまいます。子どもがいろいろな人と関わり相談できる状態を確保しなくてはなりません。だから、阿部監督の娘さんがAIに相談したり、児童相談所に相談するのは望ましいことです。学校が健全であれば、娘さんは複数の友人・教師にも相談できたでしょう。だから、児童相談所は警察に通報する前に娘さんに話してそうするか否かを話すべきだったと思います。