■ [発見]理科嫌いの女の子
「理科嫌いの女の子」と「理科嫌いで、物理が特にきらいな女の子」とでは、いったいどちらが多いと思いますか?
後者の「理科嫌いで、物理が特にきらいな女の子」の方が多いと予想する人は少なくありません。しかし、「理科嫌いの女の子」は「理科嫌いで、物理が特にきらいな女の子」+「理科嫌いで、物理が特にきらいというわけではない女の子」なんですから、当然、「理科嫌いの女の子」の方が多いに決まっています。ところが、認知心理学のプロトタイプに関する研究によれば、自分自身のプロトタイプに合っている場合、その割合を過大に評価するようです。
「自分は、そんな馬鹿な間違いはしない」とお思いの方でも、「一般的には、女の子は男の子より物理嫌いだ」ということはうなずかれるのではないでしょうか?うちの研究室のOBに池田さん、佐久間さんという方がいらっしゃいます。お二人とも、新潟県の中学校から上越教育大学大学院に派遣された院生さんです。お二人のテーマは、「理科嫌い」に関する研究です。理科嫌いに関する研究は数々ありますが、一般には、子どもたちに「理科は好き?」という形式でアンケート調査します。お二人の研究の面白い点は、子どもたちに質問するのはもちろんですが、その子どもたちを教えている教師に「子どもたちは理科好きだと思います?」という質問をしている点です。すなわち、教師と子どもとの間にギャップがあるかを調べました。その結果、教師は「女の子は男の子より物理嫌いだ」と思っているようです。確かに、調査結果によれば物理を嫌う女の子は多数いました。しかし、物理を嫌う男の子も多数おり、男女差は見られませんでした。つまり、物理嫌いに性差は見られなかったのです。
なんでこんな誤解が生じたのでしょうか?認知心理学(また認知的不協和理論)によれば、我々は自分自身の仮説に合わない事例を無視し、自分の仮説に合う事例を認知するそうです。つまり、「物理嫌いの佐藤さん」がいた場合は、「物理嫌いの女の子」のように一般化して認識します。一方、「物理嫌いの田中君」がいた場合、「物理嫌いの田中君」と認識します。そのような蓄積で誤解が生じます。でも、何で最初の誤った仮説が生じるのでしょうか?
最近、高校(理科)の女の先生からメールが来ました。内容は色々でしたが、その中に私のホームページ(現在より前のバージョン)についてのコメントでした。そのトップページの質問コーナーには「女の人の受付の絵」が使われ、一方、理科の先生のところでは男の人の絵が使われていることを指摘されたんです。びっくりしました?全くその通りで、確かに変です。ちなみに、現在のホームページを作成するときには、意識して男女の絵を使おうと思ったんですが、素材となる絵をインターネットで探してもなかなか無いんです。つまり、「理科の女の先生」や「男の人の受付」が無いんです。つまり、私だけが変というわけではないんです。
社会学・民族誌では、異民族や社会の少数派を対象とする研究が多いです。その中では、その民族や少数派の異様な常識・風習を丹念に記載しています。しかし、それらの研究では「異様さ」を通して、それを「異様」と感じる自分自身の中にある「異様」を明らかにします。教育におけるアンケート調査では、「一般」の学習者の姿を明らかにすることを目的にしています。そのため、少数派(と思われている)学校(僻地校、男子校、定時制高校等々)は、調査対象から外されます。しかし、それらの学校を丹念に調査することによって、逆に、多くの学校の中にある無意識の常識(非常識)をあぶり出すのかもしれません。