■ [う~ん]大学教官になる方法

小学校、中学校、高校の先生になる方法は、教員免許状を取得し、任命権者の行う教員採用試験等の試験を受けて合格しなければならないことは一般に知られています。しかし、同じ教師であっても、大学教官になる方法は一般に知られていません。
まず、大学教官の場合は、ペーパーテストによる採用試験は行っていません。一般には公募方式をとります。つまり、募集する大学が関係諸機関に「これこれの資格を持っている人は応募してください」という案内を出します。その応募に応じた人のなかから「資格」の書類審査、面接審査によって決定されます。公募案内は大学院等の関係諸機関に配られるのが通例で、大学関係者以外は目に付きづらいのが普通です。でも、最近はインターネット等で公募情報が公開されています(本ホームページのリンク集にあります)。
意外に知られていないことですが、大学教官には教員免許状は必要ありません。それでは、大学教官に求められる「資格」とは何でしょう?これが一般に知られていないので、公募において混乱があるようです。私などは、他人の人事に関われる立場ではありませんが、他大学を含めた偉い先生から「こんな人が応募して、こまっちゃったよ!」という話を伺います。
大学教官は基本的には論文によって資格審査が行われます。教育関係において論文は、「学術論文」、「その他の論文」、「実践論文」に大きく分けられます。ある論文の内容が、学術的か否か、実践的か否かなぞは客観的に判断する方法は困難です。そのため、この三つは、どのようのな雑誌に掲載された論文かによって判断されます。学術論文とは、学会が編集し、かつ、査読制度がある雑誌に掲載された論文です。この査読制度というのは、論文の質を、論文の著者以外の第三者に評価する制度です。従って、大学で発行する雑誌に掲載された論文は、その制度が無いため、一般に「その他の論文」に分類されます。 実践論文は出版社等が編集する教師用雑誌、及び、小、中、高校が編集する雑誌に掲載された論文です。
まず、理解しなければならないのは、大学の大学院とは「学術論文」を書くトレーニングをする教育機関だと言うことです。これは、良い/悪いの問題ではなく、そういうものだと理解しなければなりません。大学教官は大学院で指導することを求められます。学生に「学術論文」の書き方を指導するのですから、大学教官にとって学術論文を書いたことがあることが最低限の資格となります。つまり、学術論文が「教員免許」にあたります。いくら教え方がうまくても、教員免許がなければ教師になれないように、学術論文がなければ大学教官にはなれません。 山ほど「実践論文」を書いた方が、公募で落とされる理由は学術論文がないためです。それでは学術論文がどれだけ必要かと言えば、決まってはいません。少なくとも1論文ではたりないでしょう。継続的に研究する能力を示すためにはある程度の数が必要です。さらに、その複数の論文を読むと、その人のテーマがはっきり分かるものであることが望まれます。例えば、「一人一人の子どもを生かす指導」のような分かったようで、つかみ所のないテーマではいけません。ちなみに、私は27歳の時に、上越教育大学に技官として採用されました。その際の学術論文の数は6でした。そして、「巨視的時間概念(100万年、1億年というような時間に対する認識)」がテーマでした。
それでは、どうやったら学術論文を書けるようになるかといえば、まず、学会に参加し、学会の編集する雑誌に掲載される論文(すなわち学術論文)を読むことが最低限です。しかし、本当に書こうと思ったら大学院で、研究の進め方、論文のまとめ方を大学教官(即ち学術論文を書いたことのある人)から指導を受ける必要があるでしょう。最終的には、教官からの指導を受けなくとも、論文を書けるようになるまでにならなければなりません。
しかし、学術論文だけでよいか?と言えば、そうでもありません。最近では、実践に結びつけた学術論文が求められるようになっています。特に、大学附属のセンターの教官の場合、実践能力が求められます。その能力は「実践論文」によって評価されます。ただし、センターの教官といえども「学術論文」の執筆指導を求められますので、「学術論文」が求められることは言うまでもありません。
以上のように、長々と書きました。その理由は、偉い先生の「こんな人が応募して、こまっちゃったよ!」のという愚痴の意味は、「ぴったりした人がいなくてこまった!」という悲鳴だからです。先ほども書きましたように、現在は学術的にも実践的にも優れた人が求められています。もちろん、両方とも卓越した人であれば越したことはないんですが、少なくとも両方ともそれなりに対応できる人を求めています。学術的に優れた人、実践的に優れた人は、けっして少なくありません。ところが、両方ともそれなりに対応できる人(具体的には学術論文も実践論文も書いたことがある人)は本当に少ないのが実状です。
あと、もう一つ、付け加えなければならないでしょう。私の知っている、小・中・高校の先生から大学の先生になった人に共通している点は、何度も公募に応じている点です。公募に応募して、落とされれば落ち込むのが普通です。でも、公募で審査されているのは教官としての職能に対してで、全人格的なものではありません。また、その職能でさえも、公募している大学の求めている職能に一致しているか否かです。落とされたからといって職能が無いというわけはありません。また、第三者から見ると「エ!見る目がないな~」と感じる場合も少なくありません。是非、論文を書いて、応募することを勧めます。
ただし、大学教官が「いい」職業かどうかは別の問題です。となりの芝生は青く見えるもんです。私の場合は、高校教師と大学教官の二つを経験しましたが、どっちもどっちというのが実感です。どちらにも良い面もあれば、つらい面もあります。煎じ詰めれば、その人に合うか合わないかの問題になってしまいます。
ちなみに、短大の先生が5万人、4年制大学の先生が29万人ですが、中学校の先生は26万人です。つまり、大学の先生というのは中学校の先生よりありふれた職業なんです。
■ [嬉しい]山菜シーズン到来

3月になると雪がどんどん溶けます。雪が溶け始めると、最初に現れる山菜がフキです。今年も三月のはじめに、戸北先生と学内散歩の途中にフキ取りをしました、太平洋岸の人に聞きますと、新潟の蕗はアクがなくとても美味しいそうです。我が家ではフキ味噌や天ぷらにします。
4月になるとコシアブラが学内でとれます。この山菜は意外に知られていませんが、タラノメと同じく新芽で、食べ方も同じです。味もタラノメと同じですが、香りがよく、タラノメ以上に美味しい山菜です。そのころ川縁に行くとコゴミ(クサソテツ)が出ています。さっと茹でマヨネーズとあえると、さくさくしてとても美味です。シダ植物で葉が丸まった状態のをとります。また、山の崖近くにはカタクリの花が咲きます。花が咲く前のカタクリをそっと引き抜くと、真っ白な根が取れます。花・葉・根をそのままに茹でマヨネーズとあえると、アスパラガスのようにとても美味です。桜が終わり、ツツジが咲くころとなると、ワラビの季節です。重曹で簡単に灰汁抜きをして、さっと茹て醤油・マヨネーズであえます。ワラビをとりながら、タラノメをとります。ワラビも終わり頃になると、ネマガリダケの時期です。太さは直径1~2cm、長さは15cmのタケノコの一種です。皮付きのまま焼いたり、鮭缶と一緒に味噌仕立てで煮るととても美味です。
以上に書いたフキ、コシアブラ、コゴミ、カタクリ、ワラビ、タラノメ、ネマガリダケのいずれも、
手間がかからない:ワラビだけ一晩重曹に付けるぐらいで、その他は、そのまま天ぷらにしたり、さっと茹でれば即、食べられます。
難しくない:毒キノコはありますが、毒タラノメ、毒ワラビなんてありません。しいて上げればタラノメとウルシを間違える可能性がありますが、ウルシは真っ赤ですから、まず間違えません。
簡単にとれる:フキ、コシアブラは学内にありますし、その他も車で最大30分程度の場所にあります。いずれも群生していますので、30分もあれば食いきれないほどとれます。
そんなこんなで、春を過ごし、ワラビ・ネマガリダケを食べ終わることには、夏がやってきます。