■ [お願い]教育学部の危機
医学部を卒業した人は医者になります。しかし、教員養成学部を卒業した人は、必ずしも先生にはなりません。国立大学教員養成系学部の卒業生中で先生(臨時採用も含む)になる割合は約30%強にすぎません。つまり、半数以上は先生にはなりません。このような状況から、学外からの「教員養成学部は何やっているんだ!」という圧力は厳しいものがあります。その圧力によって、教員養成学部の看板を下ろしたり、教員養成を目的としないコースを設置したりする大学が多くなっています。ところが、上越教育大学は教員養成系の単科大学ですので、なにがなんでも「教員養成系学部」という看板を堅持しなければなりません。
幸い、上越教育大学の教員採用率は常に全国トップクラスです。でも、安穏とはしていられません。いまから20年前の開学以来、上越教育大学の圧倒的大多数の学生さんは教員採用試験を受けていました。ところが5年ほど前から、受験しない学生さんが増加してきました。受験せずに最初から地元の市役所や営利企業を目指す学生さんが増えるようになりました。この現状は私の研究室でも同様です。
私の研究室では、「先生に絶対なりたい人」を研究室所属の条件としていました。ところが、研究室所属が決まった後で、「実は、先生にはなりたくないんです」と告白されることが、私の研究室でも起こるようになりました。私としては、「先生になりたくないのに、何で理科教育の研究室を希望するの?」と聞きたくなります。聞くと、2年の後半あたりから、進路変更したそうです。さらに、よく聞くと「先輩から、入る前は「先生になりたい!」って言って、入ればいいんだよ」と聞いたそうです。(そのため、今では「先生に絶対なりたい人」という条件を付けることをやめました。無駄ですから。)
本年度は担任を仰せつかりました。その関係で、入学直後の学生さんと進路のことで話すことがあります。話してみると、「先生になりたくない」新入生が少なからずいることに驚きます。さすがに、その学生さんがクラスの仲間に「先生になりたくない」と言うと、他の人から「じゃあ、何で上越教育大学に入学したの?」という質問が出ます。私もそう思います。でも、私はその学生さんも「先生になりたい」のではと思っています。
「先生になりたくない」と言う学生さん、はじめから教員採用試験を受けない学生さん、そんな学生さんが増えたのは、教員採用率の減少と一致しています。高校生の時は、「教員養成学部に進学すれば学校の先生になれる」と単純に考えます。ところが、入学後に先輩の話を聞く内に、教員採用試験が厳しいという現実を知ります。
つまり、「なれそうにもない」が、いつの間にか「なりたくない」に変わってしまったんではないでしょうか?とても悲しいことです。
■ [発見]教師にむいている・むいていない
学生さんから「私は教師に向いていないんじゃないでしょうか?」と相談を受けることがあります。その際には、次のように話します。
「自分が教師に向いてないと思うところって何?」
明るくない、話がうまくない・・等々の理由をあげます。
首を振る。
「200万人弱(*)もいるんだよ」
「日本の働いている人の総数は約6000万人だから、働いている人の約3%は先生なんだよ」
大抵は驚きます。
「おそらく、一つの職種(**)としては最も多いんじゃない?」
「その200万人の殆どの人は、ちゃんと勤め上げていると思うよ。そして、殆どの人は、その人なりに充実した教師人生をおくったんじゃない。」
「200万人の先生が、みんな君が思っているような先生だと思う?」
首を振る。
「でも、殆どの先生はちゃんと勤め上げて、充実した教師人生をおくっているよ」
「200万人の人が出来るんだとしたら、大抵の人が出来るんじゃない?」
「もしかしたら、殆どの人間は教師に向いて、向いていない人はごく少数なんじゃない。」
「君が、そのごく少数の一人には見えないんだけどなー」
その後に、大学院の指導教官から、私が高校教師として勤めていたときに聞いた話をします。
私自身も、高校教師だったとき、自分自身が「教師に向いていないんじゃないか」と悩みました。大学院の指導教官だった小林先生に、「○○先生は、これこれですごい先生なんです。△△先生は、これこれで良い先生なんです。私には一生かかっても、あんな先生にはなれません。」と愚痴ったことがある。そのとき、小林先生は、「職業柄、たくさんの良い先生にあいましたけど、話のうまい良い先生もいますし、話の下手な良い先生もいます。明るい良い先生もいますし、暗い良い先生もいます。君は○○先生や、△△先生のようにならなくても、君は君のままで良い先生になれるよ。」と教えてくれました。えらく感動しました。
ずっと後になって、中西圭三の「Glory Days」(代々木ゼミナールのコマーシャルソング)の中に、「“何かになる誰かになる”、“それを夢と信じていた”、“君だけが、ただ自分になりたいと”、“つぶやいた声、不意に思い出した”」という歌詞を聴きました。私は、小林先生の話を思い出しました。
*(保育園の先生が23万人:厚生労働省調べ。幼稚園の先生が11万人、小学校の先生が41万人、中学校の先生が26万人、高校の先生が28万人、盲聾養護の先生が6万人、専修学校の先生が15万人、各種学校の先生が1万人、短大の先生が5万人、4年制大学の先生が29万人:以上、文部省調べ)。
**(酒屋さん25万人、肉屋さん7万3千人、八百屋さん11万人、パン屋さん11万人、畳屋さん2万人:以上 経済産業省の商業統計)
■ [発見]検索ソフトは凄い
最近、インターネット用の検索ソフトを購入しました。現在、インターネット上の情報は、ヤフー等の様々な検索サービスによって探すことが出来ます。購入したソフトは、いっぺんにそれら多くの検索サービスで探し、その結果を整理して表示してくれるソフトです。試しに、大学時代(生物学専攻)の同級生で、卒業後一度も合っていない人の名前を打ち込んでみました。とたんにその人の情報が探せて、びっくりしました。さすがに個人ホームページを開設している人は少ないので得られる情報は限られます。しかし、どんなところに勤めて、どんな仕事をやっているかぐらいは分かります。
第一生命の調べによると、1位の佐藤さんは日本人の1.6%、2位の鈴木さんは1.3%、3位の高橋さんは1.1%、そして西川さんは128位で0.12%だそうです。日本の人口を1億2千万人とすると佐藤さんは190万人、鈴木さんは160万人、高橋さんは130万人、西川さんは14万人いることになります。膨大な数ですが、名前の数だって膨大です。例えば私の「純」も「淳」、「潤」があります。さらに「純一」、「淳二」なども含めれば膨大なバリエーションがあります。したがって、姓名によってかなり絞れます。さらに、生物学関係の仕事をしているか否かで、ほぼ確定できることが可能です。
引き出された情報を読んでみると、「本人はそんな情報が公開されていると知らないのでは?」と思われる情報も多いです。例えば、ある人が、その人の作品の紹介する文章の中で、「これこれのことに関しては○○社の××さんのご協力をいただいた。」と書いている文章があります。また、学会発表の発表者の末尾に、その人の名前がある場合があります。現在、どんどん情報はインターネット上に載ります。マスコミで情報公開法等のことを目にする機会があります。たしかに、どんどん検索できると言うことは、便利なような怖いような。