■ [親ばか]願うこと
小さいころは、シュークリームを死ぬほど食べたいと願いました。また、グレープジュースを死ぬほど飲みたいと思いました。思春期ともなれば、性的な望みが爆発します。高校生あたり以降になると、「良い大学に行きたい」、「お金が稼ぎたい」、「有名になりたい」等々の望みが強くなります。
40越えた今も、上記の望みはもちろんありますが、それほど強くありません。最近、神仏にお参りする際に願うことは、「家族仲良く、健康で」のみです。また、子どもの顔を見ながら願うことは、「健康で、いい人と結婚して、子どもを授かり、家族仲良く」です。
「健康、結婚、子ども、家族仲良く」は、少なくとも高校、大学の時は当たり前すぎて、ことさら願ったことはありません。でも、その大事さ、得難さは、今は分かります。
■ [頑張る]深呼吸すると思い出す
私は今住んでいる官舎のベランダ(3階)で深呼吸するのが好きです。冬の今は、冷えた空気が鼻孔を通ります。においがないにも関わらず、「つん」という、香りではない香りを感じます。春には春の香り、夏には夏の香り、秋には秋の香りがします。ベランダで深呼吸をすると、私が大学院2年だった24歳の頃を思い出します。だから大好きです。
そのころ、よく下宿で友人と酒を飲みました。時間がたつと部屋も自分自身も火照ってきます。涼みに部屋の外に出ます。そこに、ボトルを持って二人で散歩します。とても気持ちいい空気が我々を包みます。
無邪気に、「宇宙飛行士になりたい」、「総理大臣になりたい」というような小学生と異なり、自分の限界に気づきます。一方、その限界はあやふやで、どれだけ広げられるかという期待と、どれだけ狭まるかという不安の狭間で悩みます。そんな友人とボトルを持って外に出ると、黙って、互いにラッパ飲みです。大言壮語する大学1年とは違い、望みを持っていても、それを口にするのが恥ずかしく、ただ無言で飲みます。冬の空は快晴で、満天の星の中、「きれいなもんだな」というバカみたいな言葉が30秒間に1度の割合でとぎれとぎれに交わされます。
今、卒業する学生さんは、きっと、こんな気持ちなんでしょうね。もし、あのときの時間に戻れたら、「そんな不安にならなくてもいいよ。今予想しているような未来じゃないかもしれないけど、それなりの一つの役割を与えられ、幸せになるよ」と、24歳の自分自身に教えてあげたい。でも、「それを言っちゃお終いです」。また、そんなことを言っても、何言っているんだオジサンと、そのころの私自身に言われるでしょう。だから、学生さんにも、色々言っても結局は「がんばれ!」の一言のみです。