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2001-04-01

[]理系人間の単純バカ 22:38 理系人間の単純バカ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 理系人間の単純バカ - 西川純のメモ 理系人間の単純バカ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の卒研を指導した先生は、生物現象の複雑さに惑わされず、その本質的で、単純なポイントを見いだせることを最も重要であると考えていました。そして、その本質的で単純なポイントを信じ、それをもとに論理を構築することを重要だと考えていました。そのため、「君は単純バカなんだからな~」は、その先生からいただける最大限の賛辞なんです。

 大学卒業後も、理系人間は単純バカが多いと感じる場面が多々あります。例えば、「摩擦や空気抵抗がない状態で」とか、「重さがあるが大きさがない物体が」などという表現が、物理の問題ではよく使われます。もとより、ありえないお話です。しかし、物理の得意な子は、そのようなお話でも、素直にその前提で問題を解きます。ところが、世の多くの人々にとっては、「そんな馬鹿な!」と感じ、その段階で止まってしまいます。従って、問題が解けません。だから、物理嫌いになってしまいます。

 また、理系の人たちの会議も似たような面があります。色々な議論が沸き起こっても、法律等の規定に基づいていることを示したとたんに、「なるほど、それならしょうがない」と収束します。ところが、理系以外の人たちの場合、「これこれの法律に基づいています」といったとしても、結果がおかしいならば、その法律自体が誤っているのではないかと疑います。

 理系人間は、一定の公理、定義等を所与として議論するようにトレーニングされています。そして、認めた公理を基にして、一定の論理結果導き出される結論に対しては、一見常識と一致しなくても、正しいものだと考えます。だから、「時間は連続ではなく、不連続である」とか「光速で運動すると、時間が止まってみえる(ウラシマ効果)」などの荒唐無稽(こうとうむけい)に見える結論も、すんなり受け入れます。これは理系学問の性格に由来する部分も多いので、良い悪いと決めることは出来ません。しかし、この単純バカ性(というよりは素直さと言うべきかもしれません)は理系人間を、一般の人たちに変人と感じさせる原因のように感じます。

 物理の授業で、「摩擦がない状態なんてあるわけないじゃん」という生徒の意見に、「それはそうと考えるんだ」と教師が言うことが出来ます。それと同じように、「その規定自体が間違っているんだ」という一般の人の意見に、「親規定に反することを公の場で話すなんてバカだ」と言うことが出来ます。しかし、二つの状況には大きな違いがあります。物理の授業では、教師は絶対的な評価者です。ところが、会議の場面で、理系は絶対的な評価者でもないですし、それどころか少数者なんです。

追伸 ここでは理系=単純バカと書きましたが、必ずしも正確ではありません。複雑な自然現象を観察することを重視する分野の先生は、必ずしも上記に当てはまりません。また、比較的単純な現象を研究する分野でも、最先端で曖昧模糊とした部分研究する人は、必ずしも上記に当てはまりません。ただし、この違いは理系の中では分かりやすいのですが、外からは「理系人間」とひとくくりにされるようです。しかし、いずれにしても理系の人たちは、変人ではなく、極めて単純で素直な人たちなんです!分かって!