■ [ゼミ]新メンバー
西川研究室に所属される院生さんが決定しました。5人です。多士済々の方々です。まず目を引くのは、女性の院生さんが所属することになりました。学部のゼミ生は女性が過半数ですが、院生では初めてです。私は生来、下品でスケベですので、院生さんとの馬鹿話の内容は、女性の方が耳にしたら眉をひそめるものも多いです。馬鹿話をし始めると、止めどなくなりますので、注意しなければなりません。
また、社会科が専門の方が所属することとなりました。これは、理科コースから学習臨床コースに異動したことの現れです。複数の院生さんより、「先生の研究室に所属したら理科をやらなければならないのですか?」とよく質問されます。しかし、「私の研究室では、具体的な学びの場に密着することを大事にします。あなたが、得意な場や教科を通してみることは結構なことです。しかし、私に社会科教育学や国語科教育学を教えてくれと言われても困ります。教科活動にはこだわるが、既存の教科の枠にはこだわらない学習臨床学を一緒につくりましょ」と言っています。
■ [ゼミ]修論の仮テーマ
大学院の手続きの必要から、事前に修士論文の「仮」題目を提出しなければなりません。私は筑波大学の教育研究科で理科教育を専攻しました。その大学院では、修士1年の12月ごろ(即ち入学後8ヶ月たった段階)に仮テーマを提出します。この仮テーマで思い出すのは、私の学部・大学院の同級生で、現在、某大学の教官をしているTの最初の仮テーマです。
だれしも、何を研究したいのかあやふやでしたので、どの院生のテーマも漠然としたものでした。しかし、Tのテーマの漠然度は群を抜いていました。彼の仮テーマは、「生物教育に関する研究」です。つまり、生物教育学全般にわたる研究をするというテーマです。あまりにもすごい大テーマなので、「どうせなら、「20世紀および21世紀の全ての教育問題を解決する大研究」ぐらいの題目にしたら」と私はからかったものです。(直ちに弁明すると、現在の彼は、日本におけるSTSやBSCSに関する権威の一人です)
上越教育大学の場合は、仮テーマ提出は入学後1ヶ月を待たない今の段階に出さなければなりません。「仮の題目ですから、やりたいと思うテーマを考えてください」とお願いして、ご自身で自由に考えてもらいました。結果は以下の通りです。
協同学習における概念形成の研究~FFCとCMC環境の融合を目指して~
理科授業における生徒間,教師と生徒間の相互行為の役割に関する研究
なにか、すごくかっこいい題目なので驚きました。同時に、よく勉強している方々なんだなと思いました。
■ [ゼミ]私から見た大学院の2年間
院生さんが大学院でどのように2年間を過ごすのかに関しては、本ホームページの大学院の紹介に載せています。ここでは、私にとっての2年間を紹介します。
私から見ると大学院の2年間は4期に分かれます。
第1期は修士1年の4月~6月の3ヶ月間。第2期は7月~10月の4ヶ月間。第3期は11月から翌年の9月の11ヶ月間。第4期は2年目の10月から翌年の3月までの6ヶ月間。
第1期では、院生さんとクラスで起こる様々なことを見る視点に関して議論します。院生さんは基本的文献や過去の修士論文を集中的に読み、それを踏まえて、また、私と議論します。このような議論を通して、何をやりたいのか、何が出来るのか、どの様なものが見えると予想されるか、それはどのような意味を持つかを積み上げます。
私にとっては、「生の現象を徹底的に見ること」、「子どもの能力を最大限信じること」、「教材や個人の認知ばかりではなく、集団の相互作用から現象を解釈する」という、最近の我々の研究室の考え方を、院生の方々に「洗脳」する段階です。もっとも、私は洗脳するぐらいの意気込みで議論しますが、現場経験豊富な院生さんが単純に洗脳されるわけはありません。しかし、現場では気づきにくい、新たな視点として受け入れてもらいたいと思っています。
第2期は、具体的な研究方法を決める段階です。具体的には、どのようなクラスで、どのような場を設けて、どのようなデータを、どのような方法で収集し、そのデータをどのような視点で分類するか定める段階です。
第3期は、院生さんがフィールド(即ちクラス)に入り込み、データを収集しつつ分析する段階です。私は、定期的にフィールドから戻る院生さんと、得られたデータについて議論します。その結果を基に、次の段階の計画を立てます。
第4期は、得られたデータを基に、修士論文(または投稿論文)を院生さんが書く段階です。修士論文には修士論文特有の書き方があります。そのあたりを議論する段階です。
この4期の中で、最も重要で、手間がかかるのは、期間的に最も短い第1期です。基本的な方向性が定まれば、後は院生さんが自主的に進める部分が大部分です。例えば、第2期の場合、大枠に関しては私の書いた研究方法論(実証的教育研究の技法)を読んでもらいます。さらに、個々・詳細な部分に関しては、先輩の修士2年に相談してもらっています。従って、私の方は、院生さんからの「これこれの方法でやりたいと思います」という報告を承っていることが中心です。
第3期は、院生さんの持ってくるデータをどのように解釈すべきかを議論します。しかし、大抵の場合、これも院生さんのお話を承ることが中心です。何となれば、実際のクラスで生の子ども達の姿を見ているのは院生さんなんですから、そこから引き出されるものが最も面白いし教育上意味あるものなんですから。強いて私の役割を考えると、当初に予想したデータと異なるデータが出たときが私の出番です。「だめだ~」と落ち込んでいる院生さんと議論しながら、得られたデータは確かに当初の予想とは違うが、でも、もっと面白いデータであることを見いだします。といいましても、私が教えると言うより、院生さんが気づいていることを勇気を持って口に出せるように、勇気づけることが中心です。
第4期の場合は、私の出番は殆どありません。私の役割は、院生さんが見落としたところをチェックするのみです。
私は、「学び合う教室」という本に、以下のことを書きました。
『教師には「目標の設定」、「学習(教師の側から見ると教授であるが)」、「評価」の三つの仕事がある。その中の「学習」は本書で述べるように、学習者集団に任せられる部分(任せるべき部分)は大きい。しかし、学習の目標の設定とその評価は教師が行わねばならない部分である。また、学習においても、学習者集団における学び合いが適切に行われるべき環境を整えるためには、クラス外の社会(たとえば親集団、学校組織、地域社会)との調整が必要となる。この窓口は教師の仕事である。従来は、教師は「学習」に時間をとられ、「目標の設定」、「評価」、また他の集団との調整の役割が疎かになっていたのではないだろうか。』
実際に私の仕事は上記そのままです。私の仕事は第1期に行う、「目標の設定」と、それ以降に行う「評価」が中心です。その「評価」も「良い・悪い」という評価よりも、院生さんの自分の研究結果に対する過度の低い評価に対して、「そんなことはないよ、とってもいい結果だよ」という高い評価を与えることが主です。そして最も時間をとられるのは、院生さんが学びやすい場を確保するために、学内の教官集団や学外の学会等と交渉することに費やす時間です(この部分は院生さんには全く見えない部分ですが)。