■ [親ばか]代理母の料金
昨日はテレビで代理母の特集がありました。私たち夫婦もなかなか子どもが授からなかったため、テレビに出てくる代理母を求める人の声は人ごとではありません。でも、私が意外だったのは、代理母をビジネスとしている人が、「代理母に感謝・配慮が無さすぎる」という不満を持っていることです。具体的には、妊娠中に代理母の体を気遣ったり、生まれた後の子どもがどのように成長するかを連絡することがないことを不満に思っているそうです。最初は、「ビジネスなんだから当たり前だろう」と思いました。ところが、代理母の料金は200万円~300万円であることを聞き、ビックリしました。同時に、代理母はビジネスではなく、ボランティアであるという代理母の主張に納得しました。本当に、頭の下がるボランティアです。
少なくとも、数ヶ月間は仕事が出来ません。これだけでも、100万~200万円の損失です。さらに、つわり等の様々な長期に渡る苦痛・生活の不都合、また、激痛と生命の危機を伴う分娩を考慮すれば、今の2倍の600万円でも高くはありません。家内も600万円でもいやだと、同意してくれました。
でも、代理母を求める人の多くは、出産の経験が無く、その大変さが分かりません。せいぜい、不妊治療の同列で考えているのが多いのではないでしょうか?それで、200~300万円でも十分なんて思う人がいるのかもしれません。
■ [大事なこと]おごる
極めて、せこい話を
研究室の飲み会の際は、万札がひらひら飛んでいきます。大学の給料体系では、院生を一人指導しようが、二人指導しようが、それ以上指導しようが給料は変わりません。また、学部学生も同様です。従って、私の小遣いから出しているので正直言ってきつい。でも、そのたんびに思い出すことがあります。
私は大学生・院生の時代、色々な先生から、ものすごく「おごられた」。その中でも、一番は、大学学部の指導教官である石坂先生です。卒研の時、色々な場面で、おごってもらいました。あまりにも奢られたので、学部生一同が恐縮し、自分たちで料金を出しますと申し出たことがあります。その時、石坂先生から、こんな話を聞きました。
ありがとう。でも、私も学生だったとき、指導教官からおごってもらったよ。今は、私が先生だからおごってんだよ。もし、「ありがとう」という気持ちがあるならば、君たちが先生になったときに、教え子におごって。人生回り持ちなんだから。
と、いわれました。その言葉に安心して、いっぱいおごってもらいました。今にして、その言葉の「恐ろしさ」を実感しています。いま、おごってもらっている学生さんには、この恐ろしさが分からないでしょうね。でも、院生さんは分かるよね。小遣いから万札が一晩に複数枚消えて無くなることの恐ろしさ。
教えてもらった先生の多くからは、いろいろおごってもらいました。でも、「けち」な先生もいらっしゃいます(その方が、家庭人としては普通なのかもしれません)。そのような先生は、だいたいの場合、おごってもらった経験がないようです。指導教官の話を聞くと、愚痴が大部分です。
おごってもらったから、おごるという私も、おごってもらってないから、おごらないという人も、コインの裏表で、あまり違いはないように思います。私のボスのT先生は、指導教官からおごられた経験はないと思います。でも、金離れは私以上です。苦労した人には、二種類いるようです。自分が苦労したから、おまえも苦労しろという人と、自分が苦労したから、苦労させないという人。「徳」の実態は、そんなところかも知れません。
■ [親ばか]プリコンセプション
息子は、現在、ハイハイと歩くことを併用しています。盛んに、歩くのですが、結局、ハイハイの方が今のところ早いので、ハイハイになります。この関係が、誤概念と科学概念の関係に似ているように感じて仕方がありません。
ポズナーらは概念転換が起こるための必要条件として以下の4つを挙げています。
1.先行概念への不満が生じなければならない。
2.理解可能な新しい考え方が、利用可能なものでなければならない。(つまり、出来なければならない。)
3.新しい考え方は、もっともらしくなければならない。
4.新しい考え方は、生産的であると思えるものでなければならない。(つまり、便利なものでなければならない。
つまり、
1.ハイハイしているときは、ものを持てないし、視界が低いという不満を持つ。
2.歩くことが出来なければならない。
3.歩くことは、おかしなものではないと感じる。
4.歩くと、今まで出来なかったことが沢山出来る。
子どもを見ていて感じるのは、この4つは、どれが先、どれが後というのではなく、相互に影響を与えながら進行するものだということです。
ただし、私なら、
5.みんな(私と家内)も歩いているし、歩いていることを喜んでいる。
という社会的な影響も加えたいですね。