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2001-09-20

[]早速役に立ちました 15:05 早速役に立ちました - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 早速役に立ちました - 西川純のメモ 早速役に立ちました - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日から上越教育大学ネットワークがダウンしました。本日10時現在も動いていません。復旧の見通しは不明だそうです。以前の私でしたらパニックになっていました。なにしろ、電話が不通になっても仕事は出来ますが、メール普通になると支障が大きいです。ところが、私のメールホームページも学外においてあります。さらに、電話回線で学外ネットに接続できるので、基本的には問題はありません。問題になるのは、メールアドレス変更を知らず、私の 旧アドレス上越教育大学アドレス)宛に送られた方のメールはしばらく見えないということです。

 現在担当の方が不眠不休で対応していただいております。、本学のような小さい所帯の場合、このような事態が生じると、ごく少数の方に仕事が集中します。復旧に時間がかかるのも当然です。出来れば、全国立大学で統一したネットワークセンターを設立しネットワーク管理を一元化するか、大学ネットワークを廃止し、商業ネットを利用する方が良いと思うのですが。

[]褒める 15:05 褒める - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 褒める - 西川純のメモ 褒める - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今月号の「授業研究21」(明治図書発行の雑誌)に2頁ほど書かせてもらいました。内容は、「そんな難しいことをしなくても子どもは学び合うようになるよ。でも、そのためには子どもを信じなければならないよ。」という内容です。それを読んで、愛知県のT先生からメールをいただきました。早速、お礼の返信をしたところ、下記のような返返信をいただきました。

 「先生が述べられている「信じることの大切さ・難しさ」という概念によって、現場の教師が自らの子ども観を自戒の念を持って見つめ直すことができるのではないか、と考えています。目から鱗が落ちる思いです。例えば、「子どもを褒めすぎるのはよくない」という人は、実際に子どもを褒めすぎるというほど褒めたことはあるのか、本当に子どものためになる褒め方を自分は極めたのか、と自戒することが必要だと思うのです。子どもを徹底的に信じることの難しさ、そしてそれを乗り越える努力は、まさに教師が自己の指導法にどこまでも謙虚な姿勢を貫くということになるのだと思います。私もそのような教師としての在り方を目指していきたいと思います。」

 過分な評価で、面はゆい思いがします。その中に「誉めすぎる」というエピソードを読んで考えてみました。

 我々の研究室で出している結果は、分かってしまうと至極(しごく)常識的なものです。なんとなれば、自分に置き換えてみれば当然なんです。2001年3月24日のメモ「人の成長」にも書きましたが、考え方は子どもも大人も変わりがないと私は思っています。十歩下がって、経験の差があったとしても、それは量的な違いで質的な違いではないと思います。即ち、「全く想像つかない、理解できない」ということは無いと思います。「全く想像できない」と言う方は、おそらく、意図的か無意識かのいずれにせよ、昔の自分を思い出せない(出さない)、もしくは今の自分に置き換えられない(置き換えない)だけだと思います。だから、教師が子どもに対してどう対応すべきかという答えは、自分がその当時、どうあって欲しかったかを思い出せばいいことです。とても昔で思い出せない場合は、今の自分に置き換えれば答えが出ます。

 自分に対して相対的に低い立場(時には卑屈になって)からの「おだて」という誉めすぎは、しばらくすれば慢心・傲慢に繋がります。でも、自分の成長を願い、そのため小さな成長を見取ってくれる人。また、その成長を「良い/悪い」という評価ではなく、喜んでくれる人。そんな人の一言は、千万回あったとしても「過ぎる」ことは無いと思います。つまり、「誉める」という行為に着目するのではなく、「何のために誉めるのか?」、「誉められる人・誉める人の関係は?」という視点で見ないと分からないと思います。

追伸 お褒めのメールも、それにおごれば慢心・傲慢に繋がります。自戒自戒。でも、色々な障害と戦っている今の自分にとっては勇気づけられるメールです。