■ [自戒]老化の兆候(何度も見るぞ)
大学院生の時、学会等で色々な先生を見ます。その際、「あ~、あの人は年をとったな~」という兆候を見る機会があります。最近、自分にもその兆候の幾つかが見られるようになりました。人への非難ではなく、自身への戒めとしてメモりました。
1. 話が長い
結婚式のスピーチもそうですが、現役一線でバリバリ働いている人のスピーチは短く的確です。一方、退職された方のスピーチは、長くぼやけています。理由は話す内容を事前に吟味せず、その場の思いつきで話すためです。また、自己モニターが停止しているため、長く話している自分がどのように見られているかが分からないためです。私の経験では、時間を守らない話に内容があったことは皆無です。
2. 短気で我が儘(わがまま)になる
例えば、自分は平気で遅刻するのに、人がちょっとでも遅刻するとイライラします。理由はそれなりの地位になれば周りもミスを指摘することを遠慮します。逆に周りはミスをしないように配慮します。それが長くなると、それが当たり前になってしまいます。昔ならば「カッ」と怒らないことも、怒るようになります。
3. 勉強しなくなる
1度ですが、40年以上前の古色憤然たる理論を、最新理論として学会発表をしている先生の話を聞いて、ビックラコイテシマイマシタ。そこまで行かなくとも、聞いていると、「この先生、あの論文・本を知らないんだな~」と感じる場合がたまにあります。でも、老眼になりはじめたこの頃になると、その理由がよく分かります。だって、老眼になると本の活字を読むのが苦痛になります。今のところは、意志の力で読んでいますが、その気力がどれだけ続くか分かりません。それを補うためには耳学問が有効です。しかし、先に書いた「短気で我が儘になる」と、耳学問で教えてくれる人がいなくなります。その合理化のために、自分が分からないものを「内容がない」、「分けのわからんこと」と否定するようになります。
以上を書けば書くほど、自分に当たっていることに愕然となります。10年後にこのメモを読み返した際、きっと老化している自分を、屁理屈で合理化しているんだろうな~と考えると落ち込みます。定期的に読み返し、老化のスピードを抑えるため「何度も見るぞ!」という言葉をけることにしました。
■ [う~ん]科学と科学者
牛肉病が騒ぎが始まった際、T大名誉教授が自信ありげに、「狂牛病の病原体は脳と脊髄にあるので、日本人は食べないところだから大丈夫だ」と太鼓判を押しました。そのため不安がる家内に、大丈夫だといってスーパーで焼き肉を買って食べました。ところが、その翌日になると、同じT大名誉教授が小腸の一部も危ないことを自信ありげに喋っています。「昨日のてめーの言葉を信じてモツを食ったんだぞ」と呪いの言葉を吐きかけました。心配になって翌日、そのスーパーに連絡しました。しかし、その店のモツは、日本の農水省と違って肉骨粉を使うことを禁止しているアメリカ産であることを担当者が教えてくれました。なんと、T大学名誉教授が脳天気に大丈夫といっているずっと前から、地方のスーパーは調査していました。
科学は信じるにたるもんです(少なくとも現段階での最善の道を示してくれるものの一つです)。でも、大学にいると実感するんですが、科学者はそうでもありません(あたりまえです、もの食って糞する人間なんですから)。ところが、科学者が「科学」の美名で語ると、科学を学んだものは、コロットだまされてしまいます。教室で、「先生がそういった」、「教科書にそうかいてある」といってクラスメートを黙らせている子どもがいます(我々は「強制ケース」と呼んでいます)が、それは決して「科学的」ではないですね。そんな子が大きくなると私みたいな人間になってしまいます。
■ [う~ん]学会発表今昔物語
私が教育学の世界に足を踏み込んだのは約20年前です。そのころは学会の全国大会要旨集の殆どの要旨は「手書き」でした。今からは想像できないでしょうが、私が最初にふれたワープロは「書院」の初期型で、ワープロ専用機でした。大学院で買ったものですが、価格は130万円(今で言えば250万円ぐらいでしょう)。その後、急激に価格は安くなりましたが、それでも今に比べれば目の玉が出るほどの価格です。ちなみに私が大学院を修了して都立高校に就職する際、清水の舞台を飛び降りるつもりで買ったワープロ専用機は、安くなったといえども60万円でした。そんな状態ですから、手書きが多かったのは当然です。ところが、それから数年後からワープロ文章の学会要旨原稿が増え始め、いつのまにか手書き文章が稀になりました。たまに見つけると、四つ葉のクローバーを見つけたような気になります。筆者を見ると、学会の重鎮レベルの先生です。
発表方法も変わりました。今ではOHPを使う方が多いですが、当時は何も無しで発表する方も少なくありませんでした。どうやるかといえば、資料を配り、それを読み上げるという形式です。まるで詩の朗読会みたいです。また、スライドをお使いの方も、OHPをお使いの方と同じ程度のいらっしゃいました。スライドの場合、会場中を真っ暗にしなければならないので、暗幕のカーテンを引かなければなりません。真夏の学会の際は拷問のようでした。それが今ではOHPが主流となり、その性能も上がり、電気をつけたままでも見える明るさになりました。
最近は更に進んでいます。コンピュータのプレゼンソフト(パワーポイント)を使い発表する方が増えました。コンピュータの画像を投影機で映し出す機械を使います。最初は数百万円だったのが、今では数十万円の価格になりました。私の研究室でもT先生(私のボス)におねだりして買ってもらったのが今から5年ほど前です。院生さん達が早速使い始めました。文字が回転したり、動いたりします。ゼミなどで見せてもらうと圧倒されます。しかし、投影機が壊れた場合を考えて、学会発表ではOHPシートを用意しなければなりません。ところが、今では2台の投影機を研究室で持つようになりました。また、学会でも会場校で用意してくれるところが多くなっています。そのため院生さんの発表(ゼミ発表も)はプレゼンソフトが基本となっています。
一方、私の場合はプレゼンソフトも使いますが、OHPが基本です。理由は「物」がないということがなんとなく不安なためです。もう一つは、プレゼンソフトの場合、次がどんなシートだということが、プレゼンしている最中は分からないという点です。OHPの場合は、シートを投影し説明しながら、次のシートをチラチラ見ることが出来ます。そのことによって、現在のシートでの話の流れや時間配分を調整することが出来ます。でも、このまま10年もOHPで発表したら、きっと「手書き要旨」の先生のように見られるのかもしれません。