■ [ゼミ]夢にまで見る指導教官(その5)
本年度分の調査がもうすぐ終わるKoさんから、「先生が夢に出ました」と聞きました。ついに本シリーズ第5弾です。
Koさんによれば、他の方と同様に、私はニコニコしていたそうです。ただし、その状況が極めて異常です。私がいたのは二段ベッドの上の段にいたそうです。その上の段にはカーテンがあり、私はそのカーテンの合間から首を出したそうです。その私にKoさんは個人面談の予約を取ったそうです。そうすると、私はコンピュータを打ち始め、下の方を見たそうです。その視線の先には、何故か5つの達磨があり、それらの達磨は片方の目がかかれたそうです。
Koさん曰く、何故、達磨があったのかは分からないが、おそらく5つの達磨は西川研究室の修士1年の5人を表しているのではないかと、おっしゃっていました。さらに、修士論文が書き終わると達磨の両目が書き込まれるのではないかと解釈されていました。
もう、このレベルまで行きますとフロイド学派の夢判断のレベルです。そうなると、「二段ベッドは何の象徴なんだろう」、「何故、私は上の段のベッドにいて、何故、カーテンから首を出していたのだろう」と考えると、夜も眠れなくなりそうです。
■ [ゼミ]夢にまで見る指導教官(その6)
私を夢に見たいずれの方も、私に会って、それなりの成果を報告しなければならない直前に夢に現れます。きっと、夢の中で報告の練習をしているのでしょう。つまり、夢の中でも研究をしているというわけです。真面目な方々です。同時に、私はいつもニコニコしながら、それでいて、すごいプレッシャーを与えているんだナーと実感します。そのため、いずれの方の夢においても、私はニコニコしていて、それでいて「怖い」存在のようです。
しかし、正確に言えばプレッシャーを与えているのは、私ではなく、ご自身なんです。基本的に、私がすることは、「どうしたらいいと思いますか」とニコニコ問いかけることぐらいです。「どうしたらいいか」はお一方、お一方が十分にお分かりになっています。そのため、自分自身にプレッシャーをかけているんだと思います。つまり、「怖い」のは私ではなく、ご自身の良心・倫理観(フロイド学派の言葉を借りればスーパエゴ)なんです。私がやっているのは、ニコニコと問いかけることによって、ご自身の良心・倫理観で自分自身の研究を見直す(自己モニター)のきっかけを与えているぐらいなんです。言い換えれば、夢の中に現れるニコニコ笑っている私は、ご自身の良心の象徴なんです(なんちゃって)。
あまり怖がられても、ちょっと寂しいので、ちょっと弁明しました。