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2001-12-13

[]卒研生 14:06 卒研生 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 卒研生 - 西川純のメモ 卒研生 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、卒業研究の所属を決めるための学部学生面談期間が終わりました。学習臨床として最初に受け入れる卒研生です。ただ、理科コースにいた頃に比べれば気が楽です。私が所属していた頃の理科コースでは、一人の教官につける学生は最大3名というコースの縛りがあります(最近は2名に削減されたようです)。例年、うちに研究室に対して、この3人の定員を超える希望者が出ます。基本的に調整は学生さんに任せています。

 合わない研究室に所属した場合は、学部3年、4年の2年間は確実に悲惨なものになります。それが分かっているので、学生さんは必死です。そのため、学生さんの中では「情報操作」、「泣き落とし」、「恫喝」などの「駆け引き」が行われるそうです(卒業生からの情報)。結果として、同級生の仲が悪くなるそうです。そのため、同級生同士の話し合いで決まるわけもなく、かといって、ジャンケンで決められる低レベルのものでもありません。結果的には、希望する学生さんたちが私の研究室に来て、「先生決めて下さい」と頼みに来ます。と頼まれても、ずっと断ってきました。かつて一度それをやって、断った学生さんと廊下で会うと、目をそらされることが辛くて辛くて。それに、以前にメモ(01.3.21)に書いたように、私の人を見る目はお世辞にも誉められたものではありません。でも、私が断れば、ジャンケンかアミダクジで決めることになります。暗い気持ちになることは変わりありません。

 学習臨床コース学習過程分野にはコースの縛りとしての上限はありません。私個人も上限を設定しませんでした。しかし、学習過程分野11名の中で「理科」の免許を取ろうとする学生は一人もいません。それに、面談の最後には「うちの研究室は厳しいぞ」と念押しを何度もしました。それを言うと、学生さんは一様にこわばった顔で「知っています」と返事をします。その顔を見ているので、「今年は薬が効きすぎているから、一人か多くて二人程度だな」と予想していました。

 昨日、学生さんの代表から、希望研究室一覧を受け取りました。それをみると、奇特な学生さんが4人もいました。希望免許も「国語」、「音楽」、「社会」と多彩です。さっそくゼミを開始しようと思います。最終的な所属決定は2月です。それまでに、「厳しいぞ」の実態が分かると思います。

[]山之内一豊の妻 14:06 山之内一豊の妻 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 山之内一豊の妻 - 西川純のメモ 山之内一豊の妻 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 修士1年のKoさんにお嬢さん誕生しました。目出度い!

 他の院生さんから聞いたところによると、出産の時は大学研究中だったそうです。なんで、大学にいたのと聞いたところ、出産間近の兆候があるにもかかわらず、「せっかく大学院に行かせてもらっているんだから」と奥様から送り出されたそうです。女性にとっては出産は一大事。それにも関わらず、送り出すとは「山内一豊の妻」に比するべき賢婦だと尊敬しました。大学院は、学校現場と違って、時間の調整はご自身で出来ます。研究に支障のない範囲で奥様孝行をしてください。なにしろ、送り出した理由は、もしかしたら、「居ても役に立たない」と見切られているのかもしれませんから・・・。

追伸 「居ても役に立たない」と思われないように努力しているのは、他ならない私です。と言っても、私のやることは、どこか抜けているので、あまり役に立っていませんが。

追伸2 「「山内一豊の妻」は「やまのうちかずとよのつま」といいます。山内一豊は、はじめ織田信長、後に豊臣秀吉に仕え、高松城水攻め、小田原攻めに活躍。秀吉没後、家康に忠誠を示し関ケ原の戦い後、土佐二〇万石(現在高知県)の藩主となります。なおその貧窮時代、妻の鏡の裏に隠していた10両のお金で名馬を購入し、それがきっかけで出世できた逸話は有名です。