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2001-12-19

[]君はどう思うの? 14:02 君はどう思うの? - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 君はどう思うの? - 西川純のメモ 君はどう思うの? - 西川純のメモ のブックマークコメント

 卒業研究の時、酵母菌の大きさと、培養液中を沈降する速度との関係を求める必要がありました。私は「酵母菌の形が影響するだろう」とか、「沈降する酵母菌群の大きさの分布を測定する場合、レザー光線の回折像を分析しなければならないな」などの複雑なことを考え、訳が分からなくなりました。その際、指導教官は「西川君、酵母菌を球と考えよう」と提案されました。実際の酵母菌の大きさは、楕円で多様な形をしています。したがって、球と考えようという指導教官の提案は大胆に思えました。しかし、黙って聞きました。

 指導教官は、「落ちる力は重さに比例する。重さは球の半径Rの三乗の体積に比例する。落ちるのを妨げる抵抗力は、球の断面積に比例する。つまり、Rの二乗に比例する。それを用いて運動方程式をたてたら?」ということを言われました。少なくとも理系人間にとってはバカみたいな知識を用いて、結論を導き出しました。実際、測定すると全くその通りでした。筆者が感激したのは、複雑な現象を単純化して考える(酵母菌を球に近似する)という考え方です。そして、極めて単純な知識(体積は3乗、面積は2乗)を組み合わせることによって、未知の結論を引き出す論理でした。卒論のことは大部分忘れてしまいましたが、このことは未だに覚えています。

 今、卒業研究の追い込みの時期で、学生さんは論文にかかりっきりです。色々な質問を受けますが、それに対する返答は、「君はどう思うの→何故そう思ったの→そうすればいいんじゃない」、または、「君はどうしたいの→そのためにはどうしたらいいと思うの→そうすればいいんじゃない」が殆どです。それでうまくいきます(つまり、私は直接的な指示はしていません)。

 昨日、改めて、何でうまくいくのかな~と考えてみました。理由は、教育研究は人の観察を基本としているからだと思います。そして、人の観察は学問として成立する遙か以前、人の祖先が群で生活する生物としているときから行っていることだからだと思います。また、今の私たちも、日々、他人を観察し、その意図と状況を推論することによって生活しているからだと思います。つまり、基本的な技術は生まれつき持っているし、生まれてからずっと、その技術を磨いているからです。その当たり前のことを意識化し、組み合わせることによって、高度な推論が出来ます。だから、「君はどう思うの?」、「君はどうしたいの?」という単純な質問を繰り返すことによって、自分自身が既に持っているものを意識化させるだけで、大抵の問題は解決することは出来ます(少なくとも卒業研究レベルの場合は、その割合が高いと思います)。そう気が付くと、自分が教育学部において教育研究を専門としていることを「よかった」と思いました。

 例えば現代の科学研究で必要となる知識は、生まれつき持っているものではありません。また、1歳、2歳から使い続けている分けでもありません。そのため、理学部では4年間のほぼ全ての時間を、特定の分野の知識の習得に費やさなければなりません。教育学部の場合(特に初等教員養成課程)は、特定の分野に費やせる時間は理学部の10分の1程度です。それでいながら理学部と同レベル研究をさせるとしたら、ゼミで補完しなければなりません。自分が理学部で学んだことを、10分の1の時間で学ばなければならないと想像しただけで気持ちが悪くなります。教科専門の先生方のご苦労が推し量れます。

 卒業研究意味は、特定の知識を得ることではないと思います。事実を集め、それらを一定の知識・論理に基づき新たなものを生み出す経験をする場と思います。しかし、そのためには一定レベルの知識が必要となります。しかし、その知識の習得で時間がかかりすぎ、組み合わせることが出来なくなるならば本末転倒となります。「君はどう思うの?」、「君はどうしたいの?」という単純な質問を繰り返すことによって、自らが解決できる材料を研究している、今の自分の幸運を感謝します。