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2002-04-24

[]ビックリしたこと 11:08 ビックリしたこと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ビックリしたこと - 西川純のメモ ビックリしたこと - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、ある方が、我々の研究室での研究は先進的すぎて、研究としては成り立つが、現場で実践することは難しいとお考えになっているということを知りました。腰を抜かすほどビックリしました。

 私が、我々の研究室における研究において拘っているものの一つに、現場で役に立てる、ということです。現院生の方なら分かると思いますが、個人面談の時、私がよく言う言葉は、「○○さん、そんなこと分かって(やって)、現場に戻ってから役に立つの?」、「○○さん、そんな複雑なこと、現場に戻ってから続けること出来る?」、「○○さん、それって、一年間の中で何時間ぐらい役に立つの?」です。

 我々は、年間を通して、毎日の授業において役に立つものを明らかにしたいと思っています。そのため、我々は「教材」を中心にした研究は行っていません。何故なら、その教材が扱えるのは年間のごく僅かです。また、「教え方の技法」を中心にした研究は行っていません。何故なら、「教材」よりは汎用性は高いとはいえ、それでも年間を通して役に立つものではありません。我々が目指しているのは、授業観、子ども観です。ただし、「教育は愛である」的な理論的なものではなく、具体的な子どもの言動に表れるものを通した研究です。

 たしかに現在我々が進めている研究は、先進的にすぎるという印象を与えるでしょう。例えば、「教科学習で学年の壁を取り払う」と言っても、「そんなバカなことは出来るわけはない」と思われる方もいるでしょう。また、「教師は教えることを控えるべきだ、子どもたちに任せよう」と言っても、「そんなこと子どもに任せたらめちゃくちゃになる。第一に、よく分からない子どもたちだけで勉強が出来るわけはない」と思われる方もいるでしょう。また、「授業中の私語には、素晴らしい教育的価値がある」と言っても、「そんなこと言っても、私語を許せば、クラスがめちゃくちゃになる。」と思われる方もいるでしょう。そう思われるであろう理由もよく分かります。なんとなれば、私自身もかってはそうだったから。しかし、「出来ない」、「だめだ!」と解釈するは、いつの間にか刷り込まれた授業観、子ども観に基づくものです。その授業観・子ども観が、あまりにも空気のようなものであるため、自分自身がそのような授業観・子ども観を持っていることを意識することが出来ません。

 我々が「異学年」、「子ども主導」、「私語」を研究しているのは、それらをしなければならないということを目的にしているわけではありません。重要なのは、「子どもは凄い力を持っている」と信じられる授業観、子ども観を、より多くの人(もちろん、自分自身も)に共感してもらうことを目的としています。「異学年」、「子ども主導」、「私語」は、その影にすぎません。我々の研究室を修了された方が、現場に戻ってから、直ぐに、「異学年」、「子ども主導」、「私語」を前面に出した実践をしているわけではありません。私自身も、修了される際には、「出来る範囲で実践してすればいいから。徐々に理解者が増えれば、より大きく展開できるよ」と言っています。しかし、「子どもは凄い力を持っている」と信じられる授業観、子ども観を持ったことによって、日々の実践全般に影響を与えていると信じています。例えば、子どもを信じられず、先回り先回りして準備するのではなく、子どもが動き始めるまでの数回の授業を待てるようになります(信じられないと、5分も待てずに答えを言いがちです)。また、子どもがちょっとでも隣の人をしゃべるとふざけていると考えず、「何を話しているんだろう?」と考えるようになります。そして、「しーん」とした授業ではなく、目標に向かって全員が活発に行動するクラスにするために、どのような場を設定したらいいかを考えるようになります。それになによりも、我々の研究室で「学び合い」を研究した方でしたら、「異学年」、「子ども主導」、「私語」に教育的価値があること、また、それらは実に簡単に実現できることを理解されていると思われます。

 しかし、誤解を与えている原因は、私の言動、書籍にあることは確かです。「人を見て法(のり)を説け」と申します。我々の研究室での内部での会話では、前提が一致しているので、話において省略する部分が多いと思います。しかし、外部の人に同じ論法で説明すると、「異学年」、「子ども主導」、「私語」という刺激的な言葉だけが頭に残るのかもしれません。

 反省、反省。