■ [大事なこと]競争

本日の全体ゼミの発表を聞きながら、「競争」ということが気になってしょうがならなくなってしまいました。教師は課題を与えるとき、よく競争させます。でも、何で競争させるんでしょうか?まず考えられるのは動機付けです。簡単に言えば、課題自体の達成を目標にするのではなく、他者との競争を目標にすり替え、やろうと思わせる方法として利用します。一般的には、この理由付けは否定的に取られますが、私はそうは思いません。
私が高校で教えていたとき、生徒から「何で○○を勉強しなきゃならないの?」と聞かれました。「それが分かれば役に立つ」と説明しようとしましたが、「そんなこと分からなくても全然だいじょうぶだもん」と子どもに言われてボツ。「それが分からなければ大学に行けない」という説明は、中学校の成績がオール1の生徒が大部分を占める高校では説得にはなりません。「分からなければ卒業できないぞ」というのは脅しにすぎず、第一、そんな脅しは役に立ちません。そんなこんなで、結局落ち着いたのは、「それが分かれば楽しい」という説明です。その説明が説得力を持つためには、教師は全身全霊をかけて分かりやすく教えるべきだと考えていました。たいていの子どもは分かれば楽しくなるものです。でも、どうしても楽しくないという子もいます。たとえば私は納豆が好きですが、納豆の嫌いな人は山ほどいます。その中には食わず嫌いの人で、それなりに食べ続ければ好きになる人も多いと思います。しかし、それでもだめだという人はいると思います。学校の勉強も同じで、その課題自体をどうやっても受け付けられない人がいます。それを乗り越える方策として、協同・協調を目標とすることを私たちは大事だと考えています。
具体的には、その課題には興味を持つことはできなくても、その課題を通して他者と協同することに興味を持つことはできると考えています。また、その課題に好感を持つことはできなくても、その課題に興味を持つ他者に好感を持ち、したがって、その他者のために課題を達成したいと考えることはできます。そのため、私が学生さんに課題を与える場合、「おまえに役に立つ」という理由付け以上に、「おまえの仲間に役に立つ。みんなと一緒になってやることは重要だし、大事なことだ。」と強調します。これも「競争」と同じで、その課題自体の達成を目標にするのではなく、他者との協同を目標にすり替えています。でも、先に述べたように、その課題自体を目標とすることには限界があり、すり替えせざるを得ないと考えています。さらに、私の場合は、学校教育の目標は、個々の内容を学習することではなく、他者と協同しコミニュケートする能力の育成と考えていますので、「個々の単元で学ぶ内容」を「学校教育の本源的な目標」にすり替えているのですから、是認されるべきものだと考えています。
それでは何故、教師は協同ではなく、競争という方法で動機付けをするのでしょうか?まだはっきりとは分かりませんが、こうかな?というものはあります。協同を目標とするためには、「仲間」という意識がクラスの中になければなりません。競争ではそれが必要ありません。つまり、クラス経営の努力が必要ないわけです。それでは私たちが、クラス経営をしてでも協同させるか?それは、第一に、競争の場合は全員が救われないが、協同の場合は全員が救われることができる。第二に、協同が成立した学習集団の力は、とてつもなく大きいからです。つまり、多くのクラスで「競争」が多用される理由は、協同のすごさを教師が知っていないのでは、と不遜な考えを持っています。