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2002-06-13

[]目標と方法 09:55 目標と方法 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 目標と方法 - 西川純のメモ 目標と方法 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我々の研究室では、教師は目標を語るべきだと主張しています。しかし、多くの先生方は方法を語っているように思います。

昨日おもしろい話を聞きました。小学校給食の時、シーンとなっていて、黙々と児童が食べているそうです。聞くと、そのような学校は、決して希なケースではないそうです。なんとも不気味な様子です。理由を聞くと、子どもたちは給食の時おじゃべりに夢中になり、なかなか食べ終わらず、結果として昼休みにずれ込むそうです。それをさけるため、黙って食べるように指導しているそうです。でも、別な指導方法もあると思います。

 食事時間に黙って食べさせるのは、けっして目的ではありません。目的は昼休みにずれこまないことが目的です。そうであれば、「昼休みにずれこまないようにしよう」、もしくは、「昼休みにいっぱいみんなと遊ぼう」という目標子どもたちに与える方法もあると思います。子どもは愚かだ、という子ども観のもとでは、具体的な方法を子どもたちに示さなければ 子どもは出来ないと考えます。しかし、子どもは有能だ、という子ども観のもとでは、目標が分かれば、あとは一番いい方法を子どもは考えられると考えます。

[]責任 09:55 責任 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 責任 - 西川純のメモ 責任 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 教育自習から帰った3年生が、実習で学んだことを自主的にまとめ、学年ゼミで話していました。その際、学生さんから子どもたちから、自分(もしくは友達)の両親が離婚したということを話しかけられたとき、どのように対応すればいいのか分からないという話題が出ました。ゼミ中は基本的に黙っているようにしていましたが、この問題は大事なことだし、学生さんには少々難しいと思いました。もちろん、時間をかけて任せれば正しい答えを出るだろうという、学生観を持っています。しかし、この問題をそのままにした場合、実習先の児童の心を傷つけるのではと心配になり、口を出してしまいました。私は、以前のメモ研究者の資質」で紹介した以下の話をしました。

 『大学生の時代は髭を生やしていました。髭というのはただ生やせいいわけではありません。ある程度伸びてきたら、そろえて切らねばなりません。伸ばさない部分は、こまめに剃らねばなりません。冬の寒い日は、鼻息が髭にあたり、それが凍ります。やっかいなのは、部屋に戻ったとたんに解けだし、べっちょりします。そんなこんなで、手間がかかりますが、髭を伸ばしていました。理由は、かっこいいと思っていたからです。学部4年のある日、急に髭を剃ることにしました(理由は今は思い出せませんが)。翌日は、合う人ごとに、「どうしたの?」との質問責め。その日の夜、卒業研究指導教官のお宅でコンパがありました。当然、指導教官からも「どうしたの?」と聞かれると思っていましたが、意外にも何も聞かれません。そうなると、気になってしょうがありません。帰り際、我慢が出来なくて、「あの、髭剃ったんですけど」と言ったところ、指導教官曰く「ああ、でも髭があろうと無かろうと、君にかわりはないだろ」。なんだかしれないが、えらく感動した覚えがあります。』

 離婚した家庭のことを思えば、考えることも多いと思います。しかし以前のメモにも書きましたように、教師がそのような問題に介入できないし、介入するべきではないと思います。教師は、教室にいる「その子」の「その時間」に責任を持つべきだと思っています。教師自身が、「その時間」の「その子」に焦点を合わせれば、その子の両親が離婚したか否かは重要なことではなくなります。つまり、「君の両親が離婚しようとしまいと、君は君に変わりがないだろう」というスタンスで接すればいいだけのことです。そして、それを言葉として述べるだけではなく、心の底から信じなければなりません。そのためには教師の仕事は、子どもの全てに責任を持つのではなく、「その時間」の「その子」に責任を持つということを、誇りを持って言えなければなりません。

 現職の先生方には、もっとすばらしい対応があるのかもしれません。しかし、今の私は上記のように考えています。

[]間合い 09:55 間合い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 間合い - 西川純のメモ 間合い - 西川純のメモ のブックマークコメント

 学生さんが教育実習での経験を話している最中、ちょっと気になることがありました。それは間合いです。学生さんは、一生懸命子どもに近づこう、近づこうとしています。どのように、その子の内面に迫り、その子の問題を解決したいと願っています。とても大事なことです。でも、近づきすぎては駄目だということに気づいていないのでは・・と感じました。教育実習でくる若い先生は、いつもの先生より年齢的にも近しい存在です。遊びたい、甘えたい、とまとわりつくのは当然です。しかし、児童が求めているのは、「友達」ではなく「教師」です。近づくにも、自ずと限度があります。その限度を超えると、色々な問題が生じます。

 また、児童全てに近づくことは出来ません(物理的にも)。結果として、近づきすぎた場合、児童間の近づき方に差が生じます。それが問題です。問題児童の問題の原因を、その児童個人に帰属させる場合、教師はその児童のみに関わり合うことになります。結果として、他の児童との対応がおろそかになり、他の児童がしらけ、結果としてクラス全体が駄目になる場合は少なくありません。しかし、問題児童の問題の原因を、そのクラスに 帰属させる場合、教師はクラス全体を見渡せなければなりません。そのために、自分が子どもに近づける5,6割程度に近づき方を押さえ、のこりの4、5割の能力を、常にクラスに向ける必要があると思います。

 高校教師大学教師として何度も失敗した経験からの私の教訓です。でも、今後も失敗するであろうことは予想に難くありません。

追伸 上記を読まれたIさんから以下のメールをいただきました。やっぱりな~と思いました。

 『実習生さんの間合いの文書を読んで自分を振り返りました。よく遊んでもらえる子供とそうでない子供がやっぱいいます。甘え上手な子供に教師としてよくそんなことできるねと感じることあります。新採用の人だと、最初の1ヶ月はその人気で生きますが2ヶ月くらいすると子供の気持ちに差が出始めます。子供と近づきすぎたため、友達になりすぎてクラス経営から見て、閉めないとならないことに甘く指導してしまうんです。それが続くと子供たちは不公平感をもちます。「○○ちゃんは、いつもほめられていいな。」など。担任の考えの鏡がクラス子供です。厳しいこというのはつらいけど、言わないと子供の心が離れていくようです。クラス子供と教師のやってはいけないラインを話し合えること大事です。これを教師の一方的な指導でなくて、子供たちから自分たちの作った決まりだと思える文化を作れる教師になりたいと考えます。』