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2002-06-14

[]6月14日の感激(その1) 09:53 6月14日の感激(その1) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 6月14日の感激(その1) - 西川純のメモ 6月14日の感激(その1) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日もいっぱい感動できました。ある先生からメールをいただきました。13日の「責任」というメモに対してのコメントです。

 メモをよませていただきました。

 離婚についてです。以前努めていた学校は、児童の出入りがとっても激しいです。理由は、片親になってしまったからです。

 教務室では、学年主任が転校生の親に学校の様子を説明します。その時、いつも感じたことを教務室に帰ってきて話してくれます。今度の家の人は、金髪だったとか、全然学校に興味がないんだよなどなど。一番心配しているのは、その子が入ることによって今までのクラスの文化がどうなるかということです。言い換えると、自分が今まで慣れてきた子ども達の対応が変化せられてしまうことを心配します。でも、転校生クラスに入ると教師の心配をよそにほとんど子供はすぐにクラスの文化を吸収します。そのたびに、子供ってすごいなと思います。たまに、荒っぽい子供転校生ですと、クラスのおとなしい雰囲気が荒れたものになります。生徒指導的な事務が急に多くなる。その責任を、あの子が来たからうちのクラスは悪くなったという言い方をされる先生がいます。私は、その子が悪いんじゃないよ、教師の言うことに反発しないクラスが変わっただけだよ、教師のあり方やクラス運営を考え直したほうがいいを教えてくれる合図と心の中で思っていました。安定から逃れること、慣れた思考から抜け出すことの難しさを考えさせられます。

 私は、特に、下線の部分感動しました。クラスが荒れるということは、本当はよりよいクラス作りのきっかけになるのかな~と思いました。そういえば、修士2年のKuさんの研究でも、他校から入学した生徒が新たな文化をクラスに導入したため、整然とした話し合いがゴチャゴチャした話し合いになった例があったと聞いています。ちょっと目には、話し合い崩れたと見えますが、よく聞くと、実は質の高い話し合いが成立していました。黙って従うクラスでは、教師が思いつく程度の学びしか成立しません。でも、自分たちで考えるクラスでは、教師の予想を超えたすばらしい学びが成立する可能性があります。

[]6月14日の感激(その2) 09:53 6月14日の感激(その2) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 6月14日の感激(その2) - 西川純のメモ 6月14日の感激(その2) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 いつもの学部学生の学年ゼミでは、自分たちの卒業研究の内容に関して、その1週間の進歩を話し、議論しています。先週は教育実習でお休みです。一昨日の学年ゼミでは、自主的に別なテーマを設け、レジュメをつくり発表・議論をしていました。内容は、先週の教育実習で学んだこと、また、9月にある本実習への課題を発表し、議論する内容でした。レジュメを読ませて頂きました。指導教官バカなのかもしれませんが、とても良いものです。現職院生さんにも回覧してもらい、アドバイスをいただきました。

 ある院生さんはアドバイスレジュメにまとめ、学部学生に渡してくれました。読ませて頂きましたが、感動ものです。その中でも、特に感動した部分メモに載せることにしました。きっと多くの学部学生さんが、善意で誤りがちな部分と思いますので。以下は、ある学部ゼミ生のレジュメに対する現職院生さんのコメントです。

 子どもの理解について、3日目に自己認知できたことはすばらしいと思います。また、より子どものいいところを探そうという姿勢は大切です。大事にしてください。○さんも教師になるとわかりますが、どうしても人間的に好きになれない子がクラスに1人か2人はでることがあります。その時に、この教育実習で感じたことを思い出せたら最高ですね。しかし、気になるところがあります。それは「大切なのは子どもを理解しようとする姿勢だろう」という所です。私も以前はそう思っていた時期もありました。しかし、西川研に来て、それは少し変わってきています。結論から言うと、子どもは教師から理解してもらわなくても生きていける。子ども同士から理解してもらえないとクラスで生きていけないのであると。つまり、大切なのは、子ども同士のなかで、相手を尊重する関係になるよう教師がコーデイネートすることだと思います。たくさんのクラスを見ている私のような年代になると、子どもを理解しようとしている先生はたくさんいます。しかし、そういうクラスでも子ども同士が理解しあっているかというと決してそうではありません。そこにはいじめがあったりします。

追伸 それにしても、「ああせい、こうせい」と言わなくても、自主的に教育実習テーマにし、学年ゼミを運営している学部学生さんは尊敬に値します。そのことにも感激しました。