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2002-06-20

[]最近の成長 09:48 最近の成長 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 最近の成長 - 西川純のメモ 最近の成長 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以前読んだ短編SFにこんな話がありました。

 未来のある国では、コンピュータ人工知能によって全ての公共サービスが制御されていました。ところが、ある時、その人工知能が全く計算をしなくなりました。多くのプログラマーがその人工知能プログラムをチェックしましたがエラーはありません。コンピュータの部品を調べましたが故障はありません。全くお手上げ状態になってしまいました。その時、あるプログラマーが、その原因気づきました。そのプログラマーは、多くのプログラマーが何度も打ち込んだ「計算せよ」と命令を人工知能に打ち込みました。やはり動きません。しかし、そのプログラマーは「計算せよ」という命令の後に一つの言葉を打ち込みました。そのとたんに人工知能は動き始めました。その言葉は「プリーズ」即ち、「お願い」という言葉でした。人工知能は、学習するプログラムです。いつの間にか、自意識と自尊感情を持ち始めたんです。というのが、このSFのおちです。

 息子は2歳と1ヶ月です。しかし、使える単語は「ウッブー(車)」、「デジャー(ヴィデオ、DVD)」のような数語に過ぎません。同じ月齢女の子がしゃべり始めているのを見ると、はやく喋ってと願いたくなります。しかし、私の母親に拠れば、私も言葉が遅かったそうです。そのため、母親は私が知恵遅れではないかと真剣に心配したそうです。幸い、知恵遅れではなく、教師という職業で20年弱めしを食っていけています。その私の息子なのですから、遅いのはしょうがないと思っています。息子は喋りませんが、我々の話は、かなり難しい内容でも理解して行動してくれます。

 今日、家に帰ると、「なかなか食べてくれなかったんだけど、どうぞお願い、とお願いしたら、一生懸命食べてくれた」と家内が話してくれました。そのとたんに、最初に紹介したSFを思い出しました。目に見えないけど、成長しているんだな~と感じました。

[]死語 09:48 死語 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 死語 - 西川純のメモ 死語 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、学生さんといろいろ話した際、最後に「よろぴく」と言いました。そのとたんに学生のMから「先生、それは死語ですよ」と一蹴されてしまいました。なるほどと思いました。でも、「死語」と認識されるには、「よろぴく」という言葉過去にあった、もしくは過去に使ったという記憶があるからだと思います。そうなると、私が学生、生徒の時に使っていた「話がピーマン(話に中身がない)」、「話が山手線(同じ話を繰り返している)」という言葉は「死語」と認識されるのかな~と考えました。学生さんに試していませんが、かえって新鮮に感じてもらえるかもしれません。

 自分の常識は無条件に他の人にとっても常識と考えがちです。高校教師の時代に、物理の時間に「鉄腕アトムは100万馬力」と言って、場が凍り付いたとき、はじめてアトムは彼らが生まれる遙か前の漫画であることに気づきました。また、大学理科コースで授業をしたとき、「アインシュタイン」を知らない学生さんが半数以上であることを知り、私が凍り付いたこともあります。しかし、知らないからと言って、学生さんが愚かとは考えません。かえって、自分の常識非常識さに気づき、なぜかワクワクします。

[]幼年期の終わり 09:48 幼年期の終わり - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 幼年期の終わり - 西川純のメモ 幼年期の終わり - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昔読んだ「幼年期の終わり」というSFを、毎年思い出します。そのSFは、人類進化がある段階に達したとき、宇宙人地球に飛来し、さまざまな指導を行います。その指導を数世代を受けたある時、人類現在生物の段階を越え、より高い存在になるという話です。面白いのは、その指導する宇宙人は知性としては最高レベルなのですが、生物の段階を脱することが出来ないという限界があります。そのため、指導している地球人の最終的に達するレベルには永遠に達し得ないんです。そのため、その宇宙人は指導している地球人のことが、実はうらやましいと考えています。

 院生さんの2年間の成長には一定のパターンがあるようです(以前のメモ「私から見た大学院2年間」にも書きました)。最近の例で言えば、多くの院生さんは、入学以前から我々の研究室の本をよく読んでいますので、だいたい 我々の考え方が分かって入られます。ところが、ところどころに旧来の枠組みを残していますので、それがチョコチョコ出てきます。4~6月は研究計画を立てる段階ですが、それを議論すると、チョコチョコ出ます。その度に、「それって教師がしゃしゃり出すぎじゃない」、「子どもはバカじゃないよ」、「それって現場に帰って役に立つの?立ったとしても、あなたの教師人生数十年の中で何回ぐらい役に立つの」、「重要なのはテクニックではないよ、子ども観・授業観だよ」と話しながら議論します。「そんなバカな~」と思いつつも、実際にその考え方で成功を収めている修士2年がいるのですから、徐々に納得してくれます。

 次の転機は9~12月に行われる、修士1年での最初の実践研究です。それまでは理屈では理解しているんですが、やはり「本当なのかな~?」と今ひとつ信じられない状態なんです 。そんな気持ちで、実際に教室に入り、我々の子ども観・授業観で授業実践をします、さらにその過程を数十台のビデオカセットで記録し、分析します。そうなると本心で信じてもらえるようです。そうなると、私との議論や、修士2年の人との議論において、子ども観・授業観では一致します。

 修士2年の4月~7月に行う実践研究を行います。このころになると、子ども観・授業観に自信を持っていますので、修士1年に比べるとブレは小さくなります。この時期は修士1年で確立した子ども観・授業観の拡充期です。剣道守破離という言葉あります。つまり、守-形を守る段階(初心)、破-形を破る段階(達人)、離-形を離れる段階(名人)の段階で進むという教えです。実は、この時期までが「守」の時期です。

 次の転機は、8月~11月です。その時期になると、修士1年での研究修士2年での研究を全体で見渡し、まとめる段階です。その段階に達すると、それまでの我々の研究室での成果だけでは、分析しきれない現象が現れます。そこで悩み始めます。悪戦苦闘しながら、今までとは別な視点、一段高い視点を見いだします。つまり、形を破る段階に達します。この段階になると、教官の私から見てもオーラのようなものを感じます。

 次の転機は、修士論文が書き終わり、投稿論文が書き終わった段階です。そのころになると、大学院で学び取ったものを客観的に見直します。それまでの10数年の教育経験から学び取ったもの(ある意味では旧来の枠組み)と、大学院で学び取ったものを、自信を持って取捨選択できる段階です。つまり、「離-形を離れる段階」です。近くで見ている私にとっては、うれしい反面、とても寂しく感じます。この段階に達した方に関しては、とても勝てないなと思います。

 破-形を破る段階(達人)、離-形を離れる段階(名人)に達された院生さんを見るにつけ、幼年期の終わり宇宙人の気持ちになります。我々の研究室の成果(すなわち私のレベル)が1000とします。おそらく修士1年の段階で1000の段階に達します。しかし、修士2年の段階で院生の方は100の新たなことを学び取り、そのうち50だけを研究室(その一人に私が含まれます)に残してくれます。差の50は、生の現象を数百時間観察し、分析したという実体験に由来するもので、埋めようがありません。したがって、修士2年の後半の院生さんのレベルが1100なのに対して、私は1050にすぎません。だから、幼年期の終わり宇宙人の気持ちになります。

 しかし、そう悲観してもいません。だって、来年修士2年の方から50のものを教えてもらえば、1100になれます。さらに次の年になれば1150になれます。つまり、いつまでたっても、大学院という特異な環境で得られる成長を享受できます。これが私の特権だと思っています。

追伸 ということで、最近修士1年の人と話す際、子ども観・授業観でのギャップが小さくなってきたな~と感じます。あとは、新たな子ども観、授業観で実際の子どもを見るだけです。修士2年の方に関しては、もうすぐ実践研究が終了し大学院に戻る頃です。そうなると、直ぐに夏の学会の準備があり、学会への「遠足」があります。それが終わると、家族サービス夏休みがあります。しかし、休み明けになると、きっと自分の得た数百時間分のヴィデオ、カセットを目の前にして、俺は何が分かったんだろうと呆然とするのかもしれません。しかし、ご安心あれ。必ず、それは越えられます。そして、それを越えれば、オーラを発し始めます。ちなみに、9月に焦らないよう、夏休み中に分析をすることをお勧めします。