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2002-06-24

[]落語 09:44 落語 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 落語 - 西川純のメモ 落語 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今では教える立場ですが、言うまでもなくかつては教えられる立場でした。その中で、多くの先生方に教えてもらいました。すばらしい先生にも数多く出会いました。その中に宮澤先生という高校先生がいらっしゃいます。この先生のことは学部学生の授業の最初に話すことがあります。

 この先生スーパーマンです。まず、教え方がすごい。面白く、ためになる授業です。この先生の授業に関して、時間が長いと感じたことは一度もありません。いつも、「もお終わったの ?」というのが感想です。また、その先生は生徒指導主任でした。私の高校はお世辞にも名門とは言えません。制服はブレザーですが、その下にアロハシャツ、ぼんたんで登校する生徒がぞろぞろです。また、全校生徒は学年450人のマンモス校ですが、ストレート大学に進学したのは、片手だったと記憶しています。したがって、生徒指導上の問題が続出する学校です。そのような学校では生徒指導主任は「つっぱり」の目の敵になるのが通例だと思います。ところが、「つっぱり」は、他の先生に関しては呼び捨てでも、宮澤先生に関しては常に「先生」と呼んでいました。

 その先生の専門は日本史でした。教師になってからも田沼意次研究を続け、その世界では知られた先生と伺っています。私自身は世界史受験しようと思いましたが、受験関係なく聞きたいと思いました。ところが、その先生東京都に指導主事に迎えられました。そのため、残念ながら聞けませんでした。私が大学院を終わる頃に、校長として現場に戻られました。おそらく、東京都校長としては記録的な若さだったと思います。その後、筑波大学に迎えられました。教育者としても、管理者としても、研究者としても一流の先生です。

 私が大学院を修了し、数ヶ月後に高校教師になるとき、宮澤先生に会いに行きました。先生に、高校教師になる前の数ヶ月のうちに何を勉強したらいいのか相談したいと思いました。私の予想としては、理科の基礎的勉強をしなさいと言われると想像しました。ところが、先生が教えてくれたのは、「落語を聞きなさい」でした。宮澤先生も、かつては上野の鈴本 演芸場に通い、勉強したそうです。教え方の重要性に気づかせてくれたエピソードです。

 落語は昔から大好きでしたが、それ以来、落語は教師としての資質向上として意識的に聞くようになりました。テープCDを買い、空き時間に聞くようにしています。もちろん名人上手の技を盗めることなぞ出来ません。しかし、声の出し方、表情の作り方など、学べるものも多いと思います。

[]自己分析 09:44 自己分析 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 自己分析 - 西川純のメモ 自己分析 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昭和落語の3名人といえば志ん生文楽円生があげられます。志ん生はとにかく面白く、破天荒な落語です。おそらく、3名人の第一はだれかと聞かれた場合、一般的には志ん生 を選ぶ人が多いと思います。でも、私は好きではありません。興が乗ると話が早口になり、結果として聞き取りづらくなる点が好きになれない理由です。文楽はきちっとした話をします。話の内容に推敲に推敲を重ねた人です。そのため、何度話しても、全く同じ話を、同じ時間でしゃべる人です。そのため、何故か人間味を感じられません。私が大好きなのは円生です。特に、人情話は大好きです。きちっとした話をしながら、生きているという話をします。抑制されながら、うちにはすごい情熱があるんだなと感じる話をします。

 私としては円生のような話がしたいと願いますが、とても駄目です。興が乗ると早口になり、言葉を噛んでしまいます(つまり、私が志ん生を好きになれないところ)。また、雑談というのが出来ず、徹底的に考えた原稿でしか話せません (つまり、私が文楽を好きになれないところ)。前者は意識的な改善によって何とか出来ますが、後者はとても直せません。

 私自身は、学び合い研究しています。しかし、小学校中学校を通して、学び合いが一番嫌いでした。その時代は、「友達」と言える人が殆どいません。人付き合いが下手な上に、下手だと意識して、かつ、億劫がります。その気持ちがあるので、話すことが嫌いです。話しながら、自分の話がつまらないだろうな~と自己分析してしまうので、なおさら話すことが嫌いになります。

 その後のトレーニングによって教師稼業をなんとかやっています。自分で言うのも何ですが、私の授業や講演会は面白く、ためになると考えています。しかし、それは推敲に推敲を重ねた原稿があるからです。その場、その時に、当意即妙に話すことはとても出来ません。そのため、未だに雑談に不得意意識をもっています。

 我々は人とコミュニケートする能力は生まれつきあることを前提としています。しかし、圧倒的大多数はそうだとしても、全員ではないのかもしれません。それは、私自身がそうだったからです。したがって、学び合いにおいて、学び合えない子どもが阻害されないように注意することは大事だと思います。つまり、「学び合えるが、学び合わなくても良い」環境重要だと思います。でも、本当は、かつての私のような子どもも、コミュニケートする能力があり、場によってそれが開花するという仮説を持ち続けたいと思います。この研究は、身近で出来ます。何となれば、私自身を自己分析すればよいことですから。

[]世間を狭くする 09:44 世間を狭くする - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 世間を狭くする - 西川純のメモ 世間を狭くする - 西川純のメモ のブックマークコメント

 高校時代に読んだ渡辺昇一氏の本に、「世間を狭くする」ことが書かれていました。曰く、若い頃は世間を広くすることにつとめるが、ある年を越えれば世間を狭くする努力がいると書かれていました。この年になると、それを強く意識するようになりました。この年になると、意識して世間を狭くしようとしないと、あっという間に自分でも手がつけられなくなってしまいます。

 修士1年のIさんと個人ゼミの時に、Iさんが我々の研究室研究にふれた機会が判明しました。Iさんからは、「学び合う教室」という我々の研究室の本を読んだことがきっかけであることは、だいぶ前(2001年4月12日)の最初の電子メール大学院受験の相談)の時に知りました。しかし、その本にどこで出会ったかに関しては知りませんでした。Iさんによれば、今から3年前に上越地区の理科先生を対象とした私の講演会に参加し、講演後に講演会場のコーナーで売られていた本を買ったそうです。そう聞いて、思い出しました。

 3年前のことです。講演会が終わり、会場はガランとしています。私は、講演用に用意した機器をしまいながら、主催者の校長先生雑談をしていました。ちょうど会場のドアが開いていて、そこに本のコーナーが見えました。ふと見ると、若くて細身の背広の 先生が本を手にとって、やがて買ってくれたのが見えました。心の中で、「あの先生は、今日の話に何かを感じてくれたんだな~」と、とても印象的でした。そのため、3年前なんですが、その先生の姿がぼんやりとですが覚えています。そう思うと、あの先生の姿はIさんによく似ていることに気づきました。我々の研究室の成果は、現場還元されて「なんぼ」のものです。その意味で、教師相手の講演会は大事にしなければならないな~と感じました。

 今年も講演会があります。新潟県からは理科先生を対象とした講演会を例年頼まれていますが、その他にも頼まれます。頼まれる範囲も、急に広がったように思います。今年は、群馬県福井県高知県で頼まれています。また、新潟県からは国語先生を対象として話すことを頼まれています。教師相手の講演会は大事にしなければならないので、日程さえ合えば、二つ返事で受けています。ということで、いつの間にか世間が広がってしまうことになります。ということで、別の面では、いっそう世間を狭くしなければならないなと感じる今日この頃です。

[]新たなテーマ 09:44 新たなテーマ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 新たなテーマ - 西川純のメモ 新たなテーマ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 はじめての電気計算機は、ビルフロアーいっぱいに真空管の並べたどでかいものです。真空管の動作は遅いので、現在コンピュータの能力に比べると、その能力は馬鹿みたいに低いものです。現在家電量販店で売っている10万円台のコンピュータでさえ、当時のコンピュータの数千、数万倍ではおいつかないだけの能力を持っています。さらに、膨大な真空管が発する熱によって、数時間で使えなくなるという代物です。しかし、当時の手巻き計算機(おそらく見た経験のある方は無いでしょうが、私の勤めた高校にはありました)、計算尺の能力を遙かに凌駕するものです。そのため、当時の科学者は、この計算機があれば全ての科学上の問題は数年のうちに解決するだろう、と思ったそうです。馬鹿みたいな話です。19世紀のウィリアム シャンクスという人が15年の人生をかけて円周率700桁を計算しました。しかし、最初のコンピュータは70時間で2000桁の円周率を出し、シャンクスが500桁で間違ったことを明らかにしました。そのような成果から「全ての科学上の問題は数年のうちに解決するだろう」と思ったのも当然かもしれません。たしかに、その当時問題となっていた科学問題の多くは解決し得たかもしれません。しかし、その科学者が見逃したのは、その当時では思いもつかない新たな科学問題が生じること、また、それが解決することによってさらに新たな科学問題が生じることを見逃していた点です。毎年、このころになると、この話を思い出します。

 修士2年の方が修士論文を作成する頃になると、その成果に感激します。そして、現在進行中の修士1年の方の研究が一段落ついたら、いったい我々がやるべき研究テーマはどれだけ残っているのだろう?と考えてしまいます。私は42歳ですから、上越教育大学にあと23年間在籍できます。その23年間のごく初期の段階で種切れになってしまうのでは、と不安に思います。ところが、来年になり、あらたな修士1年の方の研究テーマが決まる頃になると、自分がいかに愚かであったかを思い知らされます。

 修士1年の方のテーマがやっとまとまりました。最初は、色々なテーマを提案されますが、大抵の場合は個人ゼミで「撃沈」されます。理由は、「テクニックに過ぎない」、「子どもを信じていない」、「現場に戻ってから役に立たない(もしくは約立っても短期間に過ぎない)」等々です。しかし、数ヶ月の洗脳作業(?)によって、我々の研究室独自の視点でテーマを設定することが出来ました。今回のテーマは、ある意味で我々の研究室が、意図的(無意図的)に避けていたテーマです。

 現在、そのテーマ研究室の全体ゼミ発表している最中です。ゼミに参加しながら、私は出来るだけ聞くようにしています(我慢できずにしゃべってしまうことも少なくないですが)。その中で、新たなテーマ問題点、疑問点が指摘されます。それに対して、修士1年の方は一生懸命説明されているのですが、なかなかうまく説明できない部分もあります。結果として、全体的に理解されるものの、一部に宿題が残ります。その過程を岡目八目で聞いていると、我々自身の中にある囚われが顕在化します。我々は、「子どもは愚かである」という旧来の囚われからは脱しています。しかし、我々自身の成果とそれによる文化に囚われているのも事実です。新たなテーマは、我々の殻を破ろうとすればするほど、囚われている我々から問題点・疑問点が指摘されることになります。その問題点・疑問点を聞くことによって、新鮮に我々自身の囚われが分かることが出来ます。今の修士1年の方は来年には、その囚われを脱するデータを出してくれるでしょう。しかし、それで終わりではありません。その新たなデータは新たな囚われを生じ、それが来年修士1年のテーマになるはずです。となると、あと23年間のテーマに心配することはなさそうです。