■ [大事なこと]発達(その2)
昨日の「発達」に対してIさんより以下のメールをいただきました。
『「発達」言葉を使うことで、なぜそうなったかの仕組みを考えられなくなるところが印象に残っています。私の経験より、小学校高学年を担任しているとき同じようなこと考えました。その言葉は、「むかつく」です。自分の意にそぐわない友達を見て、「むかつく」。忘れ物をして、「むかつく」。親に悪いことをしてしかられて、「むかつく」。勉強がわからなくて「むかつく」。体調が悪くて、「むかつく」。気に入らない先生をみて、「むかつく」。などなど。私は、その言葉を聞くことで腹が立って子供たちと議論したことあります。「人間は、そんな単純な考えしかもたない生き物じゃない。簡単に自分の気持ちを表現するな!その気持ちを詳しく説明しなさい。」と
「むかつく」と言う言葉で、きちんと気持ちを考えないから、友達同士で意見の違いを理解できない。自分の考えに文句を言うやつは、仲間じゃない。と考えている子供もいて驚きました。以後、私の教室では、「むかつく」をいってもいいけどどんな気持ちか詳しく補足説明しないと使っちゃいけない言葉と子供たちと決めました。「クラスには、自分と違う人がいるからおもしろいし、気持ちが結集すると普段では考えられない力がでるような気がしない?」と子供たちと話したことを思い出しました。』
これを読んで、「発達」と「むかつく」という意外な関係を知り、面白かったです。でも、それ以上に、その言葉に対してのIさんの気になった点に、私は共感しました。
テレビ等で若い世代の言葉の乱れが指摘されます。その多くは名詞・形容詞の造語や、ら抜き言葉のような省略表現を指摘しています。しかし、そのような指摘には共感できません。言葉は生き物です。時々刻々変化するものです。造語、変形は、その言葉が生きていることを示しています。そのような変化がないということは、ラテン語のような死言語になった証拠です。第一に、そのような論理を推し進めれば、現代の「麗しい日本語をしゃべる大人」も平安時代の大和言葉をしゃべる人からは、眉をひそめられることになります(というより理解してもらえないかもしれません)。私は「発達」という言葉自体を非難しているわけではありません。「発達」という言葉によって、重要な問題を先送りしてしまうことを問題にしています。Iさんも「むかつく」という言葉を問題にしているのではなく、「むかつく」という言葉が、理解し合うために必要な会話を省略させていることを問題にしています。
「むかつく」を使ってもいいじゃないですか。子どもたちが造語、変形した言葉によって、豊かなコミュニケーションをするならば。敬語が乱れたっていいじゃないですか。相手を思いやる心があるならば。強いて言うならば、おっさん・おばさん・じいさん・ばーさんが使う言葉を、TPOで使い分けられるバイリンガルのほうが便利で暮らしやすいよということは話してもよいかもしれません。そして、教師としては言葉を省略せず会話するクラス文化の形成に心を砕くことが大事だと思います。おそらく、「むかつく」という言葉自体を問題にしなくても、多様な人間関係を形成し、複雑なコミュニケーションをしたいような場を形成すれば、「むかつく」という言葉は、自然に会話の中にあらわれる多種多様な言葉の一つにすぎなくなるはずです。
■ [ゼミ]夢にまで見る指導教官(その9)
院生控え室に行くと、Yさんがニコニコされて、「第9段です」と話されました。話を聞きましたが、奇想天外で、夢としては長編です。
Yさんの夢によれば、うちの家内は用事で遠くに行っているそうです。育児で困った私は、「プレパパの練習なんだから」という強引な理由付けでYさん(数ヶ月後にお父さんになる予定です)に手伝うようお願いしたそうです。そんなとき、ベビーフードが無いことに気づいた私は、息子をYさんに預け買い物に出かけたそうです。つまり、家にはYさんと息子だけです。そんなとき、息子は大泣きしたそうです。調べてみると、息子のオムツが濡れていて、それにむずがっていることが分かりました。しかし、我が家のどこにオムツがあるかYさんは分かりません。オロオロしていると、いきなり息子がスクッと立ち上がり、「オムツはその棚の上にあるから取って」と指示したそうです。あっけにとられたYさんは、言われるままにオムツを取ったそうです。Yさんから受け取ったオムツを息子は受け取り、自分ではき始めました。(言うまでもないですが、現実の息子はしゃべりませんし、オムツもはけません)びっくりしたYさんは「しゃべれるの?」と息子に聞いたそうです。そうすると、息子は「ウン、でもしゃべれないふりしているんだ」と答えたそうです。そんなときに私が帰宅しました。新しいオムツをはいている息子を見て、「よくオムツの場所が分かったね?」とYさんに聞いたそうです。聞かれたYさんは思わず息子を見ると、息子は「しゃべるな」という目配せをしたそうです。私が席を外すと、Yさんは「なんでしゃべ れないふりしているの?」と息子に聞いたそうです。そうすると、「うちのお父さんは、教師が余りやりすぎないようにという考えなんだ。だから、僕も出来ることを内緒にして、お父さんにやらせてあげているんだよ」と言ったそうです。
もうこのレベルになるとフロイド学派がどんな解釈するかなんて、まったく想像できません。ものすごく色々なものが含まれています。特に、「うちのお父さんは、教師が余りやりすぎないようにという考えなんだ。」という夢の中の息子の言葉には、腹を抱えてしまいました。
ただ一つ、Yさんがうらやましく感じました。現実でも、夢でも、しゃべれる息子を見たことがありません。どんな息子だったかみたいな~と、思いました。現実の息子は「おとうしゃん」、「おかあしゃん」が言えるレベルです。夫婦で かわりばんこに言わせています。日々、発音が良くなっているように感じます。