■ [ゼミ]農夫
昨日は戸北・西川研究室の学会発表練習会です。十数人の発表ですので一日かかります。その発表を見ながら色々のことを感じました。
第一に感じたのは、研究対象・研究方法論が自由奔放で多様であることを感じます。理科コースに所属しているときは、内容的にも、方法論的にも理科の先生(科学の研究者)が受け入れられる範囲のことしかできませんでした。しかし、学習臨床コースに異動することにより、そのくびきから解き放たれました。あくまでも、教師という感性から問題点を掘り起こし、現実の学校現場に還元できるという視点から研究方法を決めることが出来ます。丸一日の発表会ですが、「飽きる」ということは皆無です。
第二にレベルの高さを感じました。少なくとも、西川研究室に関しては、私が当初予想した範囲を大きく踏み出して発展します。じーっと見ながら、指導教官は農夫に近いものだな、と感じました。むかしのコマーシャルにあったと思いますが、「種(たね)」の段階ではどのような実がなるかは見当がつきません。でも、全国の学校で実践を積み上げて、各県で選抜された方々ですので、悪い種ではありません。でも、それが、大根の種なのか、スイカの種なのか分かりません。とりあえず、土地を耕します。大学院も、まず、いごこちの良い研究室文化をつくります。
水や肥料も多ければいいというわけではありません、やりすぎれば根腐れしてしまいます。必要以上の指導をすれば、学生さんは未消化でパニックに陥ります。だからといって、ちょろちょろ水をやったとしても、表面がぬれるだけで根の所まで水は達しません。水をやるときは思いっきりやり、その水が地面の奥にまで達し、根から吸収されるまでは水をやるのを控えます。
日本では兼業農家は少なくありません。それができるもは、農家は一定の時期はとても忙しいですが、年中忙しいわけではありません。以前もメモに書きましたように、指導教官としてもっとも忙しいのは研究の方向づけをする初期で、それ以降は院生さんが自分で成長してくれます。
一年半たった院生さんは、当初の予想(大根、スイカ)とは異なり、大木となりンゴの実をつけてくれました。己のやったことと、実りの多さを比較して、お天道様の力と、種(たね)の出自の良さに感謝します。あとは、実が大きく生長するように、大きくすべき実を見いだし、それ以外の実を取り除く作業があります。
夏休み前は、論文提出はまだまだだと思っている院生さんも多いと思います。しかし、夏休みはあっという間に終わり、気づけば10月になり、論文を書き始めなければならない時期です。
■ [ゼミ]得な役回り
一昨日の深夜にKさんからメールが来ました。別な用件が大部分を占めていますが、その最後に
という一文がありました。昨日(つまり一昨日の次の日)あった学会発表会の準備で詰まってしまったKさんの愚痴です。それに対して、私の返信メールは以下の通りです。
『プレゼンですが、前回のをみた感想は、Kさんが何を伝えたいのかがわかりませんでした。どちらかといえば、いままでの研究のレビューなのかな?という感想です。伝えたいものは何か、それを一つ(多くても2つ)に絞り、それを伝えるには、何をプレゼンしなければならないか?そう考えると、自ずと道は見えると思います。』
読んでみれば分かりますが、別段、すごいことを書いたわけではありません。私が感じたことを、ちょっと書いただけです。ところが、次の朝(つまり発表練習会のあった昨日の朝)にKさんからメールがきました。題目は「さすが西川先生」です。題目を読んで、「え!?」と感じました。内容は以下の通りです。
わずか2行から,指導学生の悩みに的確に答えていただき
ありがとうございます。教員の勤務評定だったら,生徒理解にAがつきます。
> Kさんが何を伝えたいのかがわかりませんでした。
その通りなんです。おとしどこのない,決めぜりふのない,気の抜けたプレゼンなのです。少し手直しをして,発表に望みます。』
たいしたことをメールしたわけではないのにもかかわらず、「絶賛」です。かえって、恥ずかしくなってしまいます。昨日のKさんの発表は、前回に比べて格段に良くなっていました。
なんで、Kさんは褒めてくれ、なんで、発表が良くなったんだろう。それを昨日の夜、考えてしまいました。
だれしも友人の相談を受けることがあります。その際、重要なのは聞くべきなのか、語るべきなのかを見極めることです。
悩んでいる問題をもっとも真剣に、時間をかけて考えているのは本人です。もし、その当人が得られない解決に意味のある情報を持っている場合は、語るべきです。しかし、たいていの場合は聞いていることが大事です。そして、合間、合間に相づちをするだけで十分です。当人が語っているうちに、自分自身の中に既にある答えを、身近な人の承認の中で表出しやすくなります。不思議なことに、最初から最後まで殆どしゃべっていないのにもかかわらず、相手から「いろいろためになるアドバイスをありがとう」と言われることも少なくありません。
今回もそれだと思いました。ずーと考え、色々と試していたのはKさんです。当然、どのようにまとめようかという心づもりは出来ていたと思います。私がやったのは、たまたま、完成までもう一歩のところで、相づちをした程度のことです。大したことをしているわけではないのに、感謝される。指導教官は、得な役回りだと思いました。