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2002-09-29

[]個人指名 22:00 個人指名 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 個人指名 - 西川純のメモ 個人指名 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 院生さんよりメールがありました。内容は28日の研究会発表に関する報告です。自信に満ちた明るいメールでした。さて、その末尾に以下のようなメールがありました。

 『先日妻のクラスで起こったことを紹介します。図工の時間にストローで竹とんぼを作ったそうです。右利きと左利きでは折り曲げる方向が違うとか、よく浮かせるためには曲げ方があるとか「コツ」があるのだそうですが、教えないでやってみたんだそうです。そしたら、飛ぶ子と飛ばない子が出てきてかってに学び合いが始まったそうです。結局みんな楽しそうに飛ばせるようになったそうです。いちいち教えてたら気が狂いそうになったろうと言うことでした。我が家では最近、実際にやってみてうまくいくので理解者(信者?)が増えて話をしやすくなりました。(ちゃん。ちゃん。)』

 実は、先だっての松江学会においても、その院生さんから奥様の実践を教えてもらいました。そこではシャボン玉の実践において、上記に似たようなことがあったそうです。これを読みながら、奥様ってセンスの良い先生なんだなと感じました。是非、我が研究室に「個人指名」したいと思いました。しかし、そうなるとその院生さんは、一人で子どもの世話を見るという苦労(現在、奥様がやっている)ことをしなければなりません。でも、その院生さんは新潟県派遣先生だから、上越市に異動希望を出せば、奥様は院生、旦那は先生という生活が出来ます。奥様が院生ならば、格安の世帯棟にはいることが出来ます。でも、なかなか難しいだろうな~と思いました。だって、引っ越しは大騒動だし、お子さまも転校しなければならない(小さい子どもにとっては大事件です)。ふーむ諦めるべきだな~と思います。でも、絶対に奥様だったら良い研究が出来ると思います。

 我々の研究室に所属される院生さんでも、本気で我々の研究室の目指していることを信じられるためには半年ぐらいかかります。本で読んでも、私が言っても、「本当かな?」と思うのが普通です。それを変えるためには、本当にそれを実践して成功している先生方集団(つまり西川研究室の面々)の中に入らなければ信じられません。でも、本当に信じられるのは、自分がやって、手応えを感じられたときです。つまり「論より証拠」ということです。今、修士1年の方が現場に戻って実践研究をしていますが、それから帰って、実際に分析を終えたときに、本当に信じられます。だから、半年ぐらいかかります。ところが、奥様の場合は、既にその段階を終えているんです。つまり、入学当初から、即、本題に入れるんです。さらに、見逃せないのは、理解者(信者?)が旦那様としてサポートするなら、鬼に金棒です。(ちゃん。ちゃん。)

[]いやいやの起源 22:01 いやいやの起源 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - いやいやの起源 - 西川純のメモ いやいやの起源 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我々が何らかのことを断る場合、普通、首を振るか、手を顔の前で左右に振ります。私の家では、首を振っていました。私の知っている人の多くは首を振っていたように思います。ところが、家内実家では手を顔の前で左右に振ります。その仕草が新鮮で、印象深かったため、何故このような仕草(しぐさ)が発生したか興味がありました。最近、発生のメカニズムが分かったように思います。

 息子はバクバクとご飯を食べます。ところが、何かの加減で、いつもは食べるものが食べないときがあります。こちらとしては、バランスよく食べてほしいため、私がスプーンですくって口の前に運びます。大抵は、パクッと食べます。ところが、どうしても嫌がる場合があります。その場合は、手を使って払いのけます。そうなると、夫婦の一方が手を押さえ、他方がスプーンで食べさせようとします。そうすると、首を左右に振って拒否します(口が動くのでスプーンを近づけることが出来ません)。それを見ていると、手を使って払いのける仕草は手を顔の前で左右に振る仕草とそっくりです。首を左右に振って拒否する仕草は、まさに断る仕草です。私にとっては、全く違って見えた、「首を振る」、「手を顔の前で振る」の両方とも、自分の口にものを入れられるときに拒否する行動に一致するんです。

 おそらく大人の仕草は、家族の持っている文化に影響されているように思います。でも、そのルーツをたぐれば、いっぱい食べさせたいと願う親心と、子どもの食べたくないという願いのぶつかり合いがあるように思います。この仮説には確たる根拠があるわけではないですが、でも、信じるに足るように直感的には思えます。