■ [大事なこと]夢
私には夢があります。それは校長になる夢です。
院生さんが現場に戻って3ヶ月かけて授業実践を行います。結果として、子どもたちが従来の授業の型から逃れ、生き生きと活動し始めます。その変化は、3週間ぐらいから顕在化します。しかし、それがより長期になれば、その教科・授業のレベルを超え、そのクラス全体の文化に成長させることが出来ます。また、そのような授業実践を行う教師が複数いれば、もっと多様に授業実践が可能です。さらに、そのような授業実践を行う教師が、その学校の大多数だったら。きっと、現在の常識から言えば、非常識と思われる授業実践を大胆に行うことが出来ます。まさに、学び合う学校を実現することが出来ます。
指導教官バカですが、全体ゼミでの院生さん・学部学生さんの議論の質は最高です。ここでの議論の十分の1のレベルの議論が、学会においてなされるのは希だと自負しています(不遜ですが)。その議論は、相手の考えを否定するのではなく、高め合う議論です。なぜなら、全員が同じ方向性を持っているからです。その議論を横で聞いているとき、もし、この方々を丸ごと、どこかの学校に転任させ、どんなことが起こるだろうか、と考えることがあります。想像すると、鳥肌の立つような、ものすごい学校ができます(かなりの確信を持って)。
もし校長になって(それも力の強い校長)、最初は「学び合いを理解している先生」(例えば西川研OB)を一本釣りして呼び寄せます(だいたい3人ぐらい)。その先生方の実践を見てもらうことを通して、徐々に「学び合い」を試してみようとする先生を増やします。そのような先生方を、「学び合い」を既に行っている先生方が勇気づけ、サポートします。徐々に「学び合い」を理解する先生が増え、職員室・お茶のみ場の会話が、現在の全体ゼミ(または食堂での会話)のような会話になります。私としては、そのようなことが可能となるよう対外的な調整(例えば人事・予算)を行います。その中で育った先生方を、徐々に全国に輩出します。もちろん、その学校でやっていることの多くは現在の大学院でやっていることです。しかし、大学院では1年間という授業実践は行えません。また、院生の方は2年間しか派遣されません。もし、「学び合い」を5年以上のスパンで学ぶことが出来、ともに学ぶ教師集団がいて、1年以上の授業実践が行えるとしたならば、今より、もっと素晴らしい学校が実現されるはずです。
しかし、私は大学の教官で、校長にはなれません。なれたとしても、飾り物の校長先生どまりです。その点、現場の先生方は校長になれます。学び合う学校をつくることが出来ます。うらやましいと思います。でも、私はあと20年以上、大学に在職できます(今の定年制ですが)。であれば、学び合う学校を、その目で見られる可能性は、決して少なくないと確信しています。
追伸 「あの膨大なテープを見て分析する研究を5年もやれなんて、ゴメンです」という院生さんの声が聞こえそうですね。でも、ご安心あれ、そんなことは求めはしませんよ。でも、「期待しているよ」とは言うでしょうが・・・・