お問い合わせ  お問い合わせがありましたら、内容を明記し電子メールにてお問い合わせ下さい。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。             

2002-10-25

[]特徴 18:09 特徴 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 特徴 - 西川純のメモ 特徴 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我々の教育実践と、その他の教育論・方法論との大きな違いは、学習者に「手の内をさらす」ということです。このことは非常に重要な特徴であると思います。このこのと背景には、学習者を有能と信じ、協同に学びを創る仲間だと思っていることがあります。

 多くの授業書では、教師に対して様々な情報を与えますが、その情報子どもに知らすことはありません。それらは、当たり前すぎて意識できないほどではないでしょうか?例えば、本屋に行けば、山と積まれた総合学習の「あんちょこ」があります。我々の考えによれば、それらは子どもに与えればいいことだと思います。山のような「あんちょこ」から、彼らが取捨選択し、組み合わせ、高めて総合学習を作り上げればいいと思います。ところが、多くの場合、教師だけが総合学習の「あんちょこ」情報を独占し、それを、ちょこちょこ子どもたちに小出しにして、総合学習を進めようとしています。また、授業案などで「予想される児童・生徒の反応」なんてものがあります。でも、「そ~ら、やっぱり思った通りになった」という教師の驕った考えが見え隠れします。そんなことしなくても、反応が予想されるなら、その予想を学習者に伝えればいいことです。

 そんなことやっても出来ない、というのが平均的な反応だと思います。でも、我々の場合は、基本的に「手の内をさらします」。「さらさない」場合もありますが、それは、教師の考えを押しつけないように、という配慮に基づくものです。その場合でも、基本的な情報は出来るだけさらすようにしています。すくなくとも、教師が情報を独占し、「そ~ら、思った通り」と、ほくそ笑むことはしません。

 例えば、私自身は、どういう考えであるか、どういう方針で研究を進め、研究室を運営するかということは、研究室メンバーには全て公開しています。また、2年間に起こるであろうこと、予想される院生学生の成長の過程、予想されるつまずきに関しても、全て公開しています。でも、きっと「手の内をさらしていない」部分がきっとあるに違いありませんね。また、「手の内をさらしすぎて」困っているかもしれませんね。う~む、でも私は不十分でも、「手の内をさらす」ということはとっても大事なことだと言うことは、とっても大事なことだということは信じています。

[]27禁を越える方法 18:09 27禁を越える方法 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 27禁を越える方法 - 西川純のメモ 27禁を越える方法 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 前のメモで教員経験5年以下は読んじゃ駄目(27禁)というメモを書きました。我々の目指す授業では、教師は基本的にニコニコしていて、子どもたちに任せています。ところが、そのような方法をいきなり現在クラス文化に染まっている子どもたちの前でやれば、放任になってしまいます。最初は、既存クラス文化の囚われから解放する過程が必要です。しかし、それには2、3週間の時間がかかります。さらに、子どもたちに目標を与える場合、「教師が目標を語れる人である」と納得してもらえなければ成りません。現在の私も、一期一会講演会の場合は、我々が良しとしない、エンターテイメント性の高い「うまい授業」をやります。また、大学の授業の場合、その最初の2、3回程度はエンターテイメント性の高い「うまい授業」を行い、その後になって、徐々に我々の目指す授業にシフトします。しかし、これは若い先生には、なかなか大変です。自分の過去を振り返っても、その時期は、明日の授業の準備でアップ、アップです。結果として、安直なテクニックに頼ることになります。それゆえ27禁ということを考えました。

 でも、ここ数日、「ある条件が成り立ては、そんなことは無い」と思うようになりました。現在修士1年のOさんは現場に戻って調査をしています。調査の内容は、教師の授業観が子どもにどのように影響を与えるか、というテーマです。その過程に関して、まめなOさんは遠方から逐一、メモで報告があります。そこでは、授業をOさんが観察・分析し、その結果を授業者と話し合う、それに基づき次の授業を計画する、という過程の連続です。現場の教師は、他の人の授業を見ることは希です。見られるとしても、平常とは異なる研究授業程度です。ところが、連続して平常授業を見ることによって、Oさんは新鮮な驚きを得ることが出来ます。その驚きをデータとして整理して、授業者にフィードバックする。そのデータを元に授業者と議論する。その中で、徐々に授業者(もちろん観察者であるOさん自身も)が変わっていきました。

 また、最近メモに書いたとおり、学部3年生の教師としての資質は驚くべきものがあります。彼らの場合、教師経験自体は教育実習1ヶ月程度です。その彼らのが、あのレベルに達した理由は、明らかに彼らがおかれている環境の特異性にあるように思います。即ち、西川研究室院生さんと一体となった集団に属しているということです。ということは、優れた先達さえいれば大丈夫だということです。

追伸 でも、先達がいても乗り越えなければならない高い山があることは確かです。でも、そうだとしても乗り越えられる山であることを信じたい。また、それを乗り越える有効な方法は、他者との協力であることを疑えません。もし、現在学校において、先達となり得る人が大多数ならば結構なことです。でも、そうでないなら先達を養成しなければなりません。ただ、その先達が学校に一人だけでは苦労が多いと思います。もし、先達をある一定以上の人数集めることが出来たら、それはすごいことだと思います。そのためには一人の人が、もう一人に伝える、その人が・・という連鎖によって可能です。でも、なかなか大変ですよね。特に分かりたくない人を説得するには。そういう人を説得する方法は、「他のみんながやっている」という方法です。それを最も効率よく実現する方法が、人事・予算システムから、分かった人を一つの高校にある人数分集中させるという方法です。だから、私は私が絶対になれない校長を憧れます。

[]田中さんの気持ち 18:09 田中さんの気持ち - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 田中さんの気持ち - 西川純のメモ 田中さんの気持ち - 西川純のメモ のブックマークコメント

 学士ノーベル賞受賞者として田中さんのことがマスコミに取り上げられています。そのなかで、ノーベル賞研究は、実は間違って薬品を混ぜたことによると「白状」し、いたく恐縮されている場面を見ました。ノーベル賞学者と比較するのはおこがましいですが、わたしも同様な気持ちです。

 私としては、現在研究状況は考える限り最高の状態と思います。院生さん、学生さんが、よってたかって感激させる成果を教えてくれます。その多様性と量、もちろん質も高さには脅威を感じます。こんな研究を出してくれる研究者主催者として、私なんぞで良いのか、と自問することは少なくありません。私の過去を思い出しても、くだらないと思われるものが、「偶然」にも、その後の方向性を定めているように思います。

 私は大学教官として受け入れられたのは、研究業績が多かったからです。なぜ研究業績が多いか、といえば、その当時の学会では希であった、コンピュータ教育統計の能力があったからです。その二つがあったため、他の研究者が数年に1報ぐらい書けるか書けないかという学術論文をぼんぼん出すことが出来ました。でも、何故、私がコンピュータ教育統計の能力があったかといえば、くだらないきっかけです。私が修士1年だったとき、先輩のHさんから、「自分の調査データを分析してくれないか?やってくれたら一回おもいっきり飲ませてやるよ」と言われました。飲み助の私は、「飲ませてくれる」というニンジンにつられコンピュータ教育統計勉強をしました。ほぼ3ヶ月ほどかかりましたが、先輩のデータ分析をすることが出来ました。その後、指導教官の紹介で、学内先生方の調査分析を請け負い、だいぶ割の良いアルバイトが出来ました(当時で、実時給1万円程度、今で言えば実時給2、3万円)。そんなことで、さらにコンピュータ教育統計の能力を高めることとなりました。

 大学院の修了して、赴任した先は定時制高校です。この教員生活時代は、本当に大変でした。「給料を取るって、こんなに大変なのか」と思い知らされました。最初の1年目は、なんで、定時制に配属されたんだろう、名門校とは言わないけれど、普通学校に配属されたかったと、何度恨んだでしょう。でも、今になって思えば、定時制高校に勤めていなければ、今の私の研究は絶対にないように思います。

 大学に赴任してからは、大学院の延長上の、コンピュータ教育統計の能力で、力ずく論文をボンボン出していました。しかし、なんかの本を読んでいたとき「長期記憶」という言葉が出てきました。その言葉が気になったので大学図書館で調べてみました。そのとき「記憶の仕組み」という本に出会うことが出来ました。読んでみて、認知心理学の虜になってしまいました。その本をきっかけに、一気に多様な本を読み、認知心理学の手法を利用した研究をボンボン出すようになりました。おかげで、科学教育学会、理科教育学会、教育研究連合会から賞をもらうことができました。もし、「長期記憶」という言葉を気にしなければ・・・・

 現在研究だって、すごい覚悟があって始めたわけではありません。やり始めた理由は二つです。第一は、認知心理学研究から、教師が教えることの限界を知り、その解決策を学習者相互の学び合いに求めました。でも、今の学び合いではありません。せいぜいミニティーチャーレベルのもです。つまり、教師の変わりに子どもを当てはめているだけで、利口からアホへの情報伝達という旧来の枠組みの中での話です。第二は、それまでの研究から質的データのおもしろさを感じていました。そのため、「とにかくビデオテープで記録すれば、なんか出るんじゃないか」という思いです。そこで、本格的に質的データを中心に取り組んだのは、平成9年卒業のHちゃん(現在長野県の教員)です。その子は、とても気のつく優しい子で、みんなから好かれるタイプ女子学生でした。そのため、学校に入れて、現場先生に張り付かせても、好かれるんじゃないか、と思いました。そこで、「いい先生の授業を、3ヶ月、身近で見させてもらったら、絶対なんか出るから、やってみようよ」と誘い、やらせてみました。ある意味で丁半博打です。しかし、研究としては博打ですが、少なくとも、その学生の教師としての勉強には絶対なるという確信がありました。その結果は、ビンゴでした。その研究の成果は科学教育学会の学会誌に発表しました。その成功があったので、次の年のKさん、Sさんというお二方の修士研究で本格的に始めることとなりました。その後も、ビンゴビンゴ連続です。

 俺って、本当に運が良いな~と感謝しています。