■ [発見]昨日の発見、もしかしたら大発見

昨日は、どうやったら経験のない先生、力のない先生に学び合いを理解してもらうか?ということを考えました。
今までの方法でも、子どもたちを引っ張っていける先生で、現状の自分に物足りなさを感じる先生の場合、我々の目指す教育は受け入れることは可能であると思います。ところが、「27禁」にも書きましたが、全ての人に可能であるわけではありません。「詳細な教案がないと教壇に立てず、授業中は子どもではなく教案ばかりを見ている先生」、「子どもとの繋がりを持てず、学級崩壊(その直前)に何度も陥った先生」等の先生が、我々の考えの上っ面をなぞるような学び合いをすると、最悪の状態に陥ります。どうしたら、そのような先生にも「学び合い」を理解してもらい、教師としての職能を一歩高めてもらえるか、それが最近の私が考えていることです。
一つの方法は、「最悪の状態」を詳細に分析し、それによって処方箋を作る方法です。確かに有効です。でも、「何か変だな~」という心の中の警告ランプが点滅します。この心の警告ランプは、研究を進める上で特に重要です。たいてい(いや、おそらくほぼ100%の確率)の場合、警告ランプは正しいのが相場です。それを、ここ2週間ほど、ずーっと考えていました。それが昨日分かりました。分かってみれば、バカみたいに当たり前のことです。
私は、学習者がどのような誤解するかを明らかにし、それに対する処方箋をつくるかという研究から出発しました。しかし、やがて不満を持つようになりました 。研究を進めると、子どもたちの分からない理由は実に多様であることが分かりました。例えば、分からない子どもの50%の子どもが分からない理由を明らかにし、それに対応した教え方を開発することは出来ます。しかし、その方法でも分からない子どもが50%残ってしいます。さらに研究が進めば、残りの25%の子どもが分からない理由を明らかにし、それに対応した教え方を開発することは出来ます。したがって、二つの教え方を併用すれば、75%の子どもを教えることが出来ます。しかし、25%の子どもが分からないままです。さらに、研究が進めば、残りの12.5%の子どもが分からない理由を明らかにし、それに対応した教え方を開発することは出来ます。従って、三つの教え方を併用すれば87.5%の子どもを教えることが出来ます。しかし、12.5%の子どもは分からないままです。さらに研究が進めば・・・・。即ち、キリがありません。また、現実問題として二つの教え方を、一人の教師が併用して教えることは困難です。三つは不可能です。
ここまで書けば分かって頂けたと思います。つまり、教師教育に関して、私は概念研究で陥ったジレンマに陥ってしまいそうになっていました。特定の個人(今の場合は一研究者・一研究室)で解決する方法は、本質的な解決にはならないと思います。むしろ、教師間のネットワークを形成することにより、教師の自己教育力を高め、他の教師がサポートする体制が重要だと思います。具体的には、職員室のネットワークの研究が考えられるでしょう。もう一つアイディアがあります。ティームティーチングです。
私自身はティームティーチングに関して否定的です。一般的に、ティームティーチングは個別学習に対応する方法として考えられています。しかし、教師が二人になっても、せいぜい75%の子どもに対応できるのが限界です(上記の理由により)。でも、ティームティーチングを教師教育の一環として位置づけるならば、非常に面白い意味が生じる可能性があります。また、クラスという集団を1年間固定せず、複数の教師で担当するという方法もあると思います。例えば、あるクラスでなじめない子どもがいた場合、年度途中でも別なクラスに移動させるなどの方法もあると思います。
上記の方向性は、別なところでも書いたことがあります。しかし、それにもかかわらず、27禁を越える方法を、個人のレベルで解決しようと考えている部分があったことは確かです。私にとって一歩前進です。でも、上記の研究を実現することはとてつもなく困難であることは確かです。もしかしたら、教育委員会レベルの協力が必要になるかもしれません。これから、センター等で偉い人にあったら、何度も、何度も提案しようと思います。
■ [親ばか]麻婆ご飯

息子は、好き嫌い無く、何でも食べます。ピーマン、ニンジン、果てはにおいの強い春菊まで大好きです。しかし、例外があります。「豆腐」、「トマト」、「キノコ(エノキダケを除く)」の三つが大嫌いです。口に入れると嫌がります。無理矢理食べさせると「オエっ」とはき出します。しかし、何が何でも駄目というわけではありません。トマトは駄目でも、トマトミートソース・トマトケチャップは大好きです。豆腐、キノコも、小さく刻んだり、つぶしたりすればOKです。
昨日は麻婆豆腐が夕食です。息子に対応するため、豆腐を5mm角程度に小さく刻みます。それを食べさせると、パクパク食べます。ところが、息子が5mm角の豆腐に怪訝(けげん)な目をし始めました。手で拾って、家内の方に突き出し、「ウー」(確認の意味です)と言います。息子は言葉はしゃべりませんが、言葉は分かります。そこで、家内は「ご飯だよ」と嘘をつきました。私は、息子の皿を引き寄せ、急いで5mm角の豆腐を1~2mm角になるまでつぶしました。幸いにも、息子は納得したようで食べ始めました。「豆腐」という言葉を発すると気づかれるので、その後の食卓は、「麻婆ご飯」という言葉を使うようにしました。理由の如何に関わらず、息子に嘘をついたことを、家内はとても気にしていました。
■ [懺悔]借金

私は多くの先生方に助けられました。特に、高校、大学、大学院に関しては、ものすごいものがあります。
私の出身校は新設校で、私は2回生です。そのため、私が高校2年になるまで、高校3年生がいません。結果として、大学受験がリアルにイメージかできません。これは同級生全員同じです。そのため、高校時代、殆ど勉強らしい勉強はしません。しかし、全員が勉強していないため、相対的な成績は変わらず、結果として、自分が相当低い学力であること自覚することがありません。そのため、高校2年生の模試(入学後初めての校外模試)で英語の偏差値が27であったことに愕然としました(偏差値27というものがあることご存じですか?)。得意だと思いこんだ数学、物理だって50歩100歩です。それ以降、多くの先生にバンバンと直撃して、個人指導を願いました。特に、英語と数学の先生には、夏休み中、毎日個人指導を2時間づつお願いしました。その結果、筑波大学に入ることができました(因みにストレートに大学に入れたのは同級生450人中5人もいなかったと思います)。
大学での指導教官は、めっぽう金離れの良い先生でした。そのため、ものすごく驕ってもらいました。また、バカな学生が実験器具を安易に動かしたため、何十万円の機器を壊したのにもかかわらず、さらっと許してくれました。しかし指導は厳しいものでした。毎日、毎日、2時間程度、お説教をだいぶ含んだ指導を受け、睡眠時間も殆どありませんでした。ストレスからタバコの量も、酒の量も鰻登りでした。厳しい指導で、体を悪くしそうになりました(いやなりました)。でも、それに見合ったものを学ぶことができました。現在、研究者として飯を食っていけるのも、あのときに教えてもらったことのおかげだと思います。
大学院での指導教官は優しい方でした。常に私を認め、頑張れと力づけてくれました。また、大学院卒業後も、定時制の現場で落ち込んだとき、慰めてくれました。同時に、定時制で授業放棄をしそうになったとき、本気で叱ってくれたのも先生でした(大学院で一度も叱られた経験はありません。)。先生からは、研究者でいながら教育者でいる姿を見せて頂きました。
大学院を修了し、高校教師になりました。高校教師になるとき、「自分の力で、3人でだけでも救いたい。自分がいなかったら、どうにかなってしまう子どもを、よりよき道に導きたい。今まで受けた借金をかえすためにはそれしかない」と志を立てました。当時としては「3人」は、控えめな数字だと思っていました。それから17,18年経ちます。それなのにもかかわらず、その「一人」ですら、自信を持って数えることができない自分を恥じます。私は後20数年間、大学の先生としていたとして、最初の志を達成できるか自信がありません。