■ [感謝]カニ缶詰

昨日は年末に院生さんから頂いたカニ缶詰を使ったスープを家内が作ってくれました。カニ風カマボコでない本当のカニ様です。院生さん有り難うございます。前にも書きましたが、貰ってありがたいものは「現金・金券」、「保存の利く、普通の料理に使える食品」、「食べきれる量の高級食材」の三つです。前二者の共通点は保存が利くということで、最後は保存が必要がないというものです。
昨年は院生さんから頂いた旅行券で温泉にも行けたし、今年はカニ缶を食べました。感謝!
追伸 大事に使っているのでカニ缶詰の三分の一しか使っていません。おそらく、今日の夕食にはカニ様を使ったサラダとなるのでは・・・
■ [ゼミ]先生

うちの研究室には多くの現職院生さんが所属されています。知れば知るほどすごい方ばかりです。その方々から私は「先生」と呼ばれています。時々、「私は、あの人たちから「先生」と呼ばれるだけのことがあるのか、と考えることがあります。
日本は主権在民の国です。それなのに「皇室」に対して、マスコミでは「様」をつけます。それも1歳にも満たない子どもにさえも。小学生の時、親に「何で「様」とつけるんだ」と聞いたことがあります。親は「冷静に見れば金属の固まりにしかすぎない奈良の大仏を、「大仏様」と呼ぶし、お参りすれば頭を下げるだろう。でも、「様」と呼び、頭を下げるから、それなりの意味を持つんだよ」と教えてくれました。なるほどと納得しました。貧しい家の子として生まれても、一つ国の元首として選挙で選ばれれば、天皇と対等につきあいます。つまり、「元首」としての役割に大して「様」をつけるのであって、その人に「様」をつけるわけではありません(少なくとも私は皇室と個人的なつきあいはありませんので、どのような方か存じ上げません)。つまり、私に対して「先生」というのではなく、私が担っている上越教育大学教官という役割に「先生」という呼び名がついているだけです。考えてみれば、当たり前で、そう考えれば気が楽です。
私が院生時代のことです。ある同級生(私と同じ学卒院生)が教官を「さん」呼びしていたことを思い出します。年長者で、先生を「さん」呼びするのに「ドキドキ」しましたし、新鮮に思いました。しかし、今思うとバカなことだと思います。呼んでいる同級生は「さん」を使うことによって、自分が同等と感じたかったにすぎません。しかし、定時制時代の子どもたちが、必死になってお金を貯めて、無理して中古の外車を買っているのと同じのように空しいものです。別に「中古の外車」を持っても本人は変わりません、「さん」と呼んでも本人の能力は変わりません。
追伸 大学院では小林研究室に所属していました。ゼミ生一同、一度たりとも「小林さん」などと呼んだことはなかったし、そんなこと思いもつきませんでした。しかし、小林先生の名前は「学」ですので、院生同士の間では「まなぶちゃん」という呼ぶことはありました。しかし、これは「さん」とは違った意味ですね。小林先生の「徳」のならしめることです。