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2003-02-17

[]一病息災 17:05 一病息災 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 一病息災 - 西川純のメモ 一病息災 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 一病息災という言葉があります。「一つぐらい病気をしている方が、長生きできる」という意味です。「わたしゃ、風邪一つひいたことがない」と豪語する方が、長生きできないという意味です。このことは正しいように思います。

 数年前に、胃潰瘍、十二指腸潰瘍になりました。幸い、半年ぐらいで完治しましたが、それ以来、1ヶ月に一度、4種類ぐらいの薬をもらいます。更に、数ヶ月に一度、血液検査を受けることになります。その度に、お医者さんにあって問診を受けます。会話はいつも同じです。お医者さんから「どうですか?」と質問を受け、私が「いたって快調です」と答えます。それぐらいなのですが、それでも緊張します。血液検査の前には、1週間ぐらい禁酒をしたりします。定期的にチェックを受けることによって、行き過ぎることなく、自制が働きます。

 「あ~、これが一病息災っていう意味なんだな~」と思います。

追伸 これを書き終わって気づきました。全体ゼミ発表・個人ゼミの時って、お医者さんに問診を受けるときの私と同じなんだろうな~、ってことを。だって、タバコを吸う人の場合、個人ゼミで私の研究室に来ると、すごくタバコ臭いんです。きっと、タバコを数本吸って、気持を落ち着かせてきているんだと思います。

[]女子トイレ秘密 17:05 女子トイレの秘密 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 女子トイレの秘密 - 西川純のメモ 女子トイレの秘密 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以前、大阪府の知事が女性になったことによって、土俵に女性が上がることの是非が議論になりました。男女同権のこのごろ、男子禁制、女子禁制ということは殆どありません。しかし、未だに残り、今後も残るであろう「禁制区域」が二つあります。風呂トイレです。我々はトイレに毎日行きます。しかし、男の私は女性トイレに入れません。でも、きっと男子トイレと同じなんだろうな~とかってに解釈していました(もちろん、男子小用便器は無いことは了解していますが)。

 病院トイレ(男女共用)に入って便器に座ると、左手の壁に見慣れぬスイッチがあることに気づきました。押してみると、川のせせらぎの音が流れます。なんだろう?と思いました。家に帰ってから、家内に「今日、変なものがあった」と話しました。そうすると、家内は「男子トイレにはないの?」とビックリして聞かれました。家内に拠れば、女子トイレでは、まず入ったら水を流すそうです。その音によって、用便の音をかき消すそうです。その後、終わってから、改めて水を流すそうです。それが共用トイレにおけるマナーだそうです。

病院トイレにあったスイッチは、水を実際に流す変わりに、音だけが流れる機能を持たせたというわけです。男子禁制区域には、男子の知り得ない常識があるものだと思いました。

[]教科教育研究 17:05 教科教育研究 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教科教育研究 - 西川純のメモ 教科教育研究 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以前、ある教科専門の先生(とても良い先生で、尊敬もしています)から、「あなた(西川)が教科教育研究をする上で、教科専門の教官の協力が必要なものは何ですか?」と聞かれたことがあります。私は言下に「何もありません」と答えました。聞いた先生はガッカリしたようです。

 上記の質問に対して、少々、説明がいると思います。おそらく、戦前にあっては「教科教育学」というものは存在していませんでした。もちろん、教育法学の一部に、特定の教科に注目した研究はありましたが、現在の教科教育学のような研究はありません。それが何故うまれたか?高邁な理由がありそうですが、実はガッカリするようなものです。戦後になって免許法が変わり、教科教育法という単位が必要になりました(おそらくアメリカの影響と思われます)。それまで、そんな学問がないのですから、師範系の新制大学はあたふたしました。おそらく、壮絶な学内政治の果てに、教科領域に教科教育学担当教官が配属されることになりました。結果として、今まで「教育」を専門としていない教科専門の先生が、突然、「教科教育学」の専門家となります。このことは一部の教科(特に理科)では残っており、教科教育学研究業績が全くないのに、ある日突然、教科教育学担当するということは希なケースではありません。あまりにも昔から続いているので、この異常さに無感覚になっているようです(例えば、ドイツ物理教育史の専門家が、突然、物理学大学担当電磁気を教えるようなものです。)。

 しかし、まがりなりにも50年の歴史を刻む中で、教科教育学専門家が育ち、教科教育学としての知見と方法論が積み上げられるようになりました。結果として、教科教育学専門家が教科教育学担当するということが一般的になっています(例外は理科ですが)。教科教育学担当者脆弱で、とるに足らないレベルにいる限りは、問題は起こりません。ところが、教科教育学研究者が実力を備えるようになると、教科専門と教科教育との間での対立関係が生じます。

 しかし、全ての先生が対立を「良し」としているわけではありません。教員養成系大学において教科教育学重要性を理解し、教科専門がいかなる役割を果たすべきかを模索する良心的な教科専門の先生は少なくありません。そのような先生が、最初に述べたような質問を教科教育先生にします。もし、聞かれた教科教育先生が、「実験法・教具」開発を専門とする先生ならば、問題は簡単です。両者のやっていることは極めて似ているので、直ぐに協力できます。ところが、私の場合は「教材」に注目するのではなく、「子ども」に注目する研究を行っているので、協力が必要なことは「何もない」わけです。それ故、私は一部の教科専門の人からは、蛇蝎のように嫌われ、「理科」の破壊者と恐れられることになります。でも、最初に述べた先生とは、未だに仲良くやっていますし、仕事で協力しあえます。また、その他の教科専門の大多数の先生とも仲良くやっています。

 それには理由があります。実は、最初に書いた質問に対して、「何もありません」と答えた後に、続きがあります。私は、「教科専門の先生として協力を求めるものはありません。しかし、良き教師を育てようという大学教師としては協力を求めるものは多くあります。先生の教科専門と私の教科教育に交わることは少ないように思います。しかし、大学教師としては、全く同じ次元で語り合えると思いますよ。」と述べました。この考えは未だに同じです。

 先だって、かって所属していたコースの発表会がありました。かって我々の研究室院生さん・学生さんも発表をし、コースの先生からの質問を受けていました。残念ながら、一部教官からの質問の中には、質問を受けた院生さんが人格攻撃と捉えるようなものが含まれました。廊下であった学生さん(教科専門の研究室所属)に、「発表会が終わって良かったね。ところで、厳しい質問があった?」と質問しました。その学生さんは、「私たちには無かったけど、理科教育の人にはだいぶ厳しい質問があってかわいそうでした」と答えました。私が「その種の質問する人って誰?」と質問すると、さもありなん、と思える先生方の名前が続きました。その学生さんに、「我々はその種の質問から解放されたんだね」と笑うと、その学生さんは「そうですね」と笑ってくれました。でも、「先生が他コースに移って寂しい」と言ってくれたので、私も「僕も理科コースの学生さんを教えられないようになったのは寂しいよ、でも、追い出されたんだもん」と答えました。それから研究室に戻り、暫くして、最初に書いた教科専門の先生との会話を思い出しました。

[]H記念日 17:05 H記念日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - H記念日 - 西川純のメモ H記念日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 もし人から何かを手渡され、よく見ると、それが「鼻くそ」だったら、どうします?私は実際ありました。

 子どもを育てると、我々の何気なくしている行動が、実は高度なものであることに気づきます。息子は洟が詰まっても、自分で取ることが出来ません。指を使って、ほじくり出すということは、なかなか難しい行動です。そのため、家内が綿棒で取っています。2月15日に、息子がニコニコしながら私に何かを手渡しました。よく見ると、鼻くそです。直ちに家内に報告し、夫婦で喜びました。私が冗談で「記念に取っておこうか?」と言いましたら、家内は「そうしようか?」と言い出す始末です。丁重にゴミ箱に捨てました。2月15日は鼻くそ(H)記念日です。

追伸 鼻くそ記念日と書くと、最初の一文のオチが直ぐ分かるのでH記念日としました。