■ [ゼミ]ピーターパン
毎年の事ながら、卒業式・修了式のある、この頃になると自分がピーターパンのようだと思います。巣立って行かれる方は、普通の社会に戻れます。ところが、私は大学という特殊な環境の中に取り残されます。ネバーランドは、短期間滞在するならパラダイスです。でも、数十年生きるには、なかなかしんどい世界です。ところが今年は、自分が取り残される・・というような気持ちになりません。何でだろう・・・と思い、自己分析すると理由が四つあるようです。第一に、修士2年の方がだれか大学にいて、いつも通りの馬鹿話をし続けているので、修了されるという実感がない。第二に、理科コースから学習臨床コースに異動した関係で、所属希望の学生を受け入れることが出来ず、西川研究室始まって以来初めて、学部4年生(卒業生)がいない。第三に、修士2年のお一人であるKさんは、過酷な西川研究室を2年間過ごしたのにもかかわらず、奇特(マゾヒズムかな?)にも、博士課程に進学される。第四に、卒業式・修了式が終わると直ぐに、香川・宮城での講演があり、その他に東京・兵庫に出張があるため、3月いっぱい忙しい。以上の理由で、余り感じませんでした。
昨日、OBからメールが来ました。そのメールの中で、『私は、6年生の担任で、25日には卒業式です。この2年間の学級経営は上越での経験を生かし、新鮮な気持ちでできて、手前みそながらいい学級経営ができたと思っています。子どもの内面をよく見ようと努めた2年間でした。いい卒業式が迎えられそうです。』という部分がありました。とても嬉しく読みました。読み終わって、「あ~~、俺はピーターパンなんだな~」と思い始めました。
大学院は研究をするところです。でも、研究が最大の教育的価値を持つものではないと思います。私は、『研究は、自分で考え、本を読み、人と語る、この3つで成り立つものだよ。一つでも欠けると研究は出来ないよ。』と、院生さん・学生さんに話します。でも、これって全てに通じますよね。忙しさの中で、自分で考えず、言われるままにやっていないだろうか?忙しさの中で、本を読まず、自分の既に持っているもので何とかしようとしてはいないか?忙しさの中で、人と語らうことを煩雑と感じ、本当に考えていることを人に語ることを避け、当たり障りのない話題に終始してはいないか?これは、他ならない自分自身への自戒です。今日、修了される5人の方も、3つのことを充実して行っていました。また、その価値を十分に自覚しておられます。それ故、修士として十分に修了される資格があると思っております。きっと、数年後に、先のOBのように、自信と誇りを持ったメールをいただけることと信じています。本日は修了式です。ご苦労様でした。
■ [目出度い!]グッドニュース
本日、嬉しいニュースを聞きました。上越教育大学大学院の理科教育を修了されたMさんが、来年度から国立大学の助教授になることが決まりました。北海道大学のSさんに続いて二人目です。以前のメモに書いたとおり、私は大学教師という職業を人に積極的に薦める気にはなれません。しかし、ご本人がそれを希望するならば、その希望が叶うことに関して、心から喜べます。Mさんの研究業績は、下手な大学研究者の4、5倍はあります。したがって、当然なる能力はあり、なるのが遅すぎた、というのが印象です。Mさんは、何度も、何度も大学教師の公募に応募し、落とされました。その度に、私は「Mさんの実力を評価できない、バカが・・」と思いました。公平に評価した場合、Mさんが落とされる理由を、私は考えることが出来ません。しかし、Mさんはへこたれることなく、何度も応募されました。その結果、今回の採用に繋がりました。
先に述べたように、ご本人が望み、その能力があるならば、何よりの慶事です。また、採用した大学にもお祝いを言いたい。採用した大学は「とても良い買い物をしたと」思います。採用してから、ジワジワと、Mさんの能力のすごさに気づかれるでしょう。まずは目出度い!