お問い合わせ  お問い合わせがありましたら、内容を明記し電子メールにてお問い合わせ下さい。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。             

2003-08-03

[]改めて認知心理学を思う 10:55 改めて認知心理学を思う - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 改めて認知心理学を思う - 西川純のメモ 改めて認知心理学を思う - 西川純のメモ のブックマークコメント

おそらく私は、認知心理学を教科学習に利用する論文日本で最も多く書いた一人です。しかし、認知心理学に関する研究は、現在研究の中心ではありません。特に、それまでやった認知心理学に関連した研究博士論文としてまとめたあとは、「卒業(もしくは一時休止)」という感が強いです。しかし、皮肉な巡り合わせです。私が必死に認知心理学に関連する研究をやっていた当時は、その重要性を認識する現場先生はごくごくまれでした。ところが、私が相互作用に着目するようになり、認知心理学に関連する研究から距離を持つようになったあたりから、その重要性が認識されるようになりました(といっても、一部の先進的な先生にとどまっているが)。そのような方が、上越教育大学大学院に入学することが多くなりました。それらの院生さんと希望する研究テーマを話すと、「学習者のわかり方」を明らかにしたいという院生さんが多いです。

 クラスの中には、どうやって教えても分かってくれない子どもがいます。分からない理由を、いくら聞いても要領の得ない反応ばかりです。自分の教え方が悪いのかと思えば、クラスの平均点は低くはありません。しかし、分かってくれない「その子を切る」ことが出来ず、悶々とする。そんな真面目な先生方が、「学習者の分かり方」即ち、「何故、分からないのか?」を明らかにしたいと希望します。この気持ちは、私もよく分かります。私もかつてはそうでした。でも、今は違います。何故か?

 前年の受験者の方(今は西川研究室修士1年)と入学する以前の面談で、その理由を話したとき、「先生、是非、そのことは書くべきです」と言われました。そのため、そのことは、その後に出した本(「静かにを言わない授業」の最初)に書きました。しかし、意外にもメモに書いていないことを最近気づきました。そこで、あわててアップします。

 私が教科教育研究に足を踏み入れたのは20年前です。その当時の教科教育研究は、歴史研究哲学研究という「教育学」の歴史を担った研究と、教材開発がほとんどを占めていました。結果として、教科を学ぶ学習者に着目する研究歴史が浅く、かつ、少数でした。その当時の、学習者に着目する研究は、典型的な問題を学習者に与え、その正答率を学年別、男女別に比較する調査が主でした。筆者の修士論文も、それに類する研究でした。その種の研究は、数量的に教育研究する端緒として、重要意味がありました。しかし、筆者には不満がありました。それは、間違う子どもが何パーセントであることは分かるが、何故間違うのかを直接明らかに出来ません。結果として、どのように教えたらいいのかを示すことは出来ない点が不満でした。

 やがて認知心理学出会い、それに関連する諸学を利用する研究を始めました。最初の5年間は驚きに満ちていました。なにしろ、分からない理由を、説得力のあるモデルで明らかにすることが出来るんです。さらに、具体的な教え方を示唆することが出来るんです。最初に述べた院生さんが希望する研究は、この時代の研究に対応します。

 しかし、やがて不満を持つようになりました 。研究を進めると、子どもたちの分からない理由は実に多様であることが分かりました。例えば、認知心理学の方法を利用しながら、分からない子どもの50%の子どもが分からない理由を明らかにし、それに対応した教え方を開発することは出来ます。しかし、その方法でも分からない子どもが50%残ってしまいます。さらに研究が進めば、残りの25%の子どもが分からない理由を明らかにし、それに対応した教え方を開発することは出来ます。従って、2つの教え方を併用すれば、75%の子どもを教えることが出来ます。しかし、25%の子どもが分からないままです。さらに、研究が進めば、残りの12.5%の子どもが分からない理由を明らかにし、それに対応した教え方を開発することは出来ます。従って、3つの教え方を併用すれば87.5%の子どもを教えることが出来ます。しかし、12.5%の子どもは分からないままである。さらに研究が進めば・・・・。

 即ち、キリがありません。また、現実問題として2つの教え方を、1人の教師が併用して教えることは難しいでしょう。3つは不可能です。クラスを分けてティームティーチングをする可能性もあります。しかし、子どもたちの「分かり方」を事前に調査することは手間がかかります。それを各単元の最初に行うことは現実問題として不可能です。さらにそれが出来たとしても2人以上のティームティーチングは現実問題として不可能で、そのため分からないままの子どもは残ることになります。

 さらに認知心理学研究を行って、「教師は教えられない」という、一見意外な結論を得ました。我々は熟達するに従って、課題を早く正確に出来るようになります。このことは一般常識に一致します。しかし、それを教えることは出来なくなる、ということを認知心理学は示しました 。例えば、筆者は、現在キーボードを見ずに打ち込んでいます。その時「a」左手小指の位置であることを意識することはないし、意識するとキー打ちがぎこちなくなります。また、大学入試の際、物理の問題を見たとたんに解法が浮かぶのにもかかわらず、何故その解法が思いついたかを人に説明出来ませんでした。強いて言えば「なんとなく」です。これは多くの方も経験されたことと思います。

 自分が得意なことを、全くの素人に質問されることは誰しも経験することでしょう。素人はとてつもなく当たり前のことに関して「何故」と質問します。まず、「何故そんな当たり前のこと聞くの?」とあっけにとられます。しかし、いざ説明しようとすると、意外に難しく、時には不可能である場合があります。それが続くとイライラし、「どーしても」と答えた経験は誰しもあるでしょう。何故説明出来ないのかと言えば、それは、我々が得意だからです。この結論を教室に置き換えるならば、教科の熟達者である教師は、全く分からない子どもの「気持ち」も「理解の仕方」も、分からないという結論に繋がります。

 そのような結果、「学び合い研究(そして、学習者相互作用に着目する研究)に移行しました 。子どもであれば、分からない子どもの「気持ち」も「理解の仕方」も理解出来ます。さらに、クラスにいる30~40人の子どもが教師となるならば、多様なわかり方(分からない原因)に対応出来ます。そのような理由から研究を始めました。しかし、今から考えれば、当時の考えは、勉強のできる子からそうでない子への情報伝達という枠組みであり、ミニティーチャーレベルでした。しかし、研究すればするほど、学習者の有能さに驚かされつづけています 。実際の学習者相互作用は、複雑であり、かつ強力です。そして、新たな視点に立つならば、その複雑な作用を、いとも簡単に教師は理解できます。分かってしまえば、バカバカしいほど当たり前で、それまで気づかなかったこと自体が不思議になるほどです。

 今は確信を持っています。認知心理学をはじめとする心理学の知見を用いた個々の学習者に関する研究より、学習者相互を利用した研究の方が、桁2つぐらい効果が大きいと思っています。もちろん、心理学研究が無力とは言いません。学習者相互の心理学研究は、今後も参照したいと思います。また、個々の学習者の認知に関する研究も、学習者集団に与える教材(おもにテキスト)を構成する意味で、重要な指針を与えるものと確信しています。しかし、いずれにせよ、学習者および学習者集団の持つ、生まれつき持っている自ら学ぶ力を利用して、はじめて、その研究の威力が発揮されるものだと思います。