■ [発見]言っていることやっていること

このホームページは、学外者に対して西川研究室の情報を発信することを目的としてつくりました。このメモも、その目的の一貫です。ところが実際に運用し始めると、別な意味を持つようになりました。それは、普通のクラスにおける学級通信の役割です。このメモを通して西川研究室の院生さん、学生さん、そしてOB各位にメッセージを伝えることが出来ます。うちの研究室において「可視化」の重要性が認識されるに従って、私自身も、その価値を認識するようになりました。しかし、最近、もっと別な意味があることに気づきました。
今年度のクラス作りに関して、かなり自信を失っている部分があります。おそらく、平常の研究室に比べれば格段にうまくいっています。研究のレベルは最高ですし、多くの院生さん、学生さんの協力によって優れた集団を形成しています。しかし、我々の研究室の明らかにした姿、そして、歴代のOBが実践で実現したクラスに比べると、自責の念に駆られます。その際、自分自身の過去のメモを見直します。メモの中には、現場の先生からの相談ごとに対して、私なりの考えを書いたメモがあります。それを読むと、現場の先生が悩んでいることを、今の自分が悩んでいることに気づきます。そして、自分で書いたメモを読み直しながら、「なるほど・・」と思ったりします。同時に、「でも、○○だもの・・」という言い訳の気持ちがわきます。そんなとき、「きっと、そんな気持ちを与えているんだろうな」ということに気づきます。でも、私自身がメモにも本にも書き、そして人にも言っているように、「出来ない」理由をいくら考えても何の進歩もありません。結局、基本となる子ども観、授業観、目的観に立ち戻ることが大事なのだと思います。もちろん、それが万能ではないのかもしれませんが、しかし、「方法」に走ってしまうよりは「まし」であることに関しては確信があります。
つまり、メモは「(偉そうに)言っている自分」から「不安に駆られながら実践をしている自分」に対してのメモであることを自覚しはじめました。「可視化」の相手は、学習者ばかりではなく、自分自身にも大事なのだと思います。そして、不完全な私が、これからも偉そうに言い、書き続けるでしょう。でも、それはそれで意味があることだと思います。ただし、自分は自分が言っていることを完全に出来ない自分であることを、いつまでも忘れないようにしたいと思います。