■ [発見]人間関係
本日は文部科学省関係のお仕事で近隣の学校の授業研究会に参加しました。その学校のテーマは「人間関係形成」です。期待半分で見させていただきました。でも、やっぱりです。
見させていただいた授業は4つです。そのうち2つはTTを利用して、「出来る子ども」と「出来ない子ども」を別々な教室に分離し、それぞれの教師で二人の先生が教師主導の指導を行っています。そのあと、子ども達が活動する部分は、一人一人でやっています。子ども達は分からないことがあると、教師をよんで質問します。そして、教師が来るまでは手持ちぶさたです。そして、終わった子どもも手持ちぶさたです。教師主導の悪い面が出てしまっています。
一つは、コンピュータの授業です。典型的な形式で、一人一人がコンピュータ画面の前に座り、教師が大声でかたる一つ一つのステップを行っています。見ていると、昨年のMさんの実践だったら15分もかからないことを1時間かけてやっています。
最後の一つは、調べ学習の発表会です。それを見ると、一昨年のK閣下の研究を思い出します。5~6人の子どもが一人一人発表します。私としては、発表している子どもを、他の子どもが見ているか否かの視点で見ました。如実に、各班の人間関係が見て取れます。
4つの会場で、一致した特徴がありました。各教室には20~30人の先生方が参観していました。しかし、教師が語っている際は、教師と黒板を見ています。ところが、その際、子ども達に視線が行くことはありません。もちろん、「さあ、やってみて」と教師がやらせている時間に、子どもの動きを見ている先生はいます。ところが、教師主導でやっている際に、子どもを見ている先生は殆どいませんでした。そのため、私の視線の方向と、参観者の視線の方向は一貫して逆を見ていました。
いずれの授業においても、子ども同士が相互作用する場面を見出すことは出来ませんでした。実は、幾つかあったのですが、それを教師は認識していなかったと思います。
以上のことを学校の研修担当の先生及び校長先生に、お話ししましたが、その先生は理解していただいたと思います。そして、授業を参観した先生方に関しては、とても良い先生であることを強く感じます。それ故、根深さを感じます。校長先生を始め、関係する全ての先生が優秀な先生で、かつ、学校のテーマが「人間関係」であるのにもかかわらず、人間関係を生かした教科学習が成立しない・・・。でも、希望を持っています。私が感じていることは、関係する先生方はきっと感じているはずです。だから、きっかけさえ得るならば、がらっと変わると思います。文部科学省の「お仕事」は、そのことを語るきっかけを私に与えてくれたと思っています。
■ [親ばか]親孝行
私が子どもだったとき、「親不孝って何?」と親に聞いたことがあります。その際、親は迷い無く「親より先に死ぬこと」と答えました。当時の私は、その意味がいまひとつ分かりませんでした。でも、今はよく分かります。
私が子に望むことは、第一は「私より健康で長く生きてほしい」ということです。第二は「良き人と巡り会い、良き伴侶を得てほしい」ということです。第三は「その良き伴侶との間に子をなしてほしい」ということです。第四は、その息子と伴侶と孫と一緒に老後を過ごしたいということです。このことは、私が望む最高、最大の望みです。私の20歳代においては、当たり前すぎて「望み」といえなかったことです。たしかに、多くの人々が、上記の望みのかなりの部分をかなえています。でも、その多くの人がかなえていることが、人生において最も大事なことだと私は思います。
そのことが分かってみると、身近にいる学部生・学卒院生を見ると、「君たちは、いま生きていることだけで親孝行しているんだよ」と言いたくなります。そして、学生さんが良き人と安定した交際をしていることを知ると、うれしくなります。ましてや、院生さん達の夫婦生活・子育ての愚痴を聞くと、「殆ど最高の親孝行をしているんですね」と言いたくなります。
あたりまえのこと。それが、最高、最大の幸せであり、親孝行だと思います。息子に対して、それのみを願います。家に帰り、息子をだっこすると、いつもそう思います。