■ [親ばか]先輩面をして
あるOBからメールを頂きました。ウルウルものです。その最後に、次のような文章がありました。
『唐突ですが、前に西川先生は、○ちゃんを電車を見に連れて行くとおっしゃいましたね。上越地区は、たしかに見て楽しいです。昼間ですと、僕の住んでいる地区では銀色地にオレンジとみどりの、いわゆる湘南カラーの電車しか走ってきません。僕も電車好きですので、きっとしばらくしたら息子を連れて電車を見に行くと思いますが、同じものしか来なかったらきっとつまらないな、とおもいます。次は何が来るかわくわくすることもないでしょうね。直江津駅なら、いろんな色の電車や貨物列車が走ってきますし、(同じ「はくたか」でも違いますものね!)機関車もいろんな種類が見られますね。子どもも一日いても飽きないでしょう。』
上記に応えて、先輩お父さんとして偉そうに一言。
子育てして思うのは、小さい子どもの喜ぶものは、必ずしも大人の喜ぶものと違うように思います。今までの経験によれば、大人は子どもに比べケバケバしたものを必ずしも好みません。ちょっと前のメモに書いたように、子どもの喜ぶ絵本は実にシンプルなものです。そのシンプルなものを、飽きもせず、何度も何度も喜んでみます。おそらく、大人には見えない、様々なものを見えるのだと思います。一方、ケバケバしたものになれた大人は、麻痺してそれを感じることは出来ないのだと思います。だから、ご安心あれ、きっと喜んで飽きませんよ。それに、その気になって観察すると色々なことに気づきます。例えば、駅のホームで電車を見送るとき、息子は必ず手を振ります。そうすると、電車の中の見知らぬ人、また、車掌さんが手を振ってくれます。そのはにかんだような表情は味わい深いものがあります。また、同じ色の電車であっても、今の息子ぐらいになると、色々な物語を作って楽しんでいるようです。例えば、「あの電車にはドラえもんが乗っている」とか、はしゃぎながら話してくれます。
電車なんて無かった江戸時代、そして、今から見れば何もなかった原始時代においても子どもは発見し、喜んで遊んでいました。与えられた状況で、絶対に大丈夫ですよ。ご安心あれ。
追伸 これを書き終わってから気づきました。上記のことが分かったとしても、プラレールのおもちゃや、アンパンマンパソコンを与えるでしょう。そして、徐々に大人の嗜好に子どもは合ってきます。それが文化の伝承なのかも知れません。でも、なんか、味音痴になって、何でもマヨネーズをかける若者を育てる親のようなことをしているように感じ始めました。自戒、自戒。