お問い合わせ  お問い合わせがありましたら、内容を明記し電子メールにてお問い合わせ下さい。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。             

2004-03-18

[]お値段 16:37 お値段 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - お値段 - 西川純のメモ お値段 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 高校教師だった時のことです。夏休み中の学校は、生徒はいません。休み明けの授業のために教材研究をやったり、学会への投稿論文を作成したり、なんやかんやとしていました。そして、お茶のみ場で、先輩教師と馬鹿話をしながら、色々なことを教えて貰いました。そのころ、学校って「授業がなければ最高だな」と思いました。想像してください。もし、月4万3千円を払ったら、授業をしなくても給料をもらえるという話を聞いたら、その話にのりません?そんなうまい話はない、とお思いかもしれませんが、実は世の中にそんな、うまい話があるんです。それが大学院への内地留学です。年52万円(月4万3千円)の学費で、給料をもらえて、時間をもらえます。学費が高い、とおっしゃる院生さんに、上記の話をすると納得してもらえます。今年も、その恵まれた時間を2年間すごした院生さんが修了されます。そのもらった時間で、どれだけのものを得たでしょうか?「ここで学んだことを、現場ではやく、おもいっきり活かしたい」、「早くクラスに戻りたい」と武者震いしながらおっしゃるM2の方の言葉を頼もしく思います。

追伸 M2の方の本音は、「もう、あの山のようなプロトコル分析から解放されるんだ~」というのかもしれませんね。

[]古いメモ 16:37 古いメモ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 古いメモ - 西川純のメモ 古いメモ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今日、古いメモを見直しました。懐かしいです。このホームページを立ち上げた当初のメモに「茶髪はもう古い」というメモを書きました。そこに書いている1年のM君が、現在の4年ゼミ生のHです(学部学生はゼミ生になると名前で呼びますので)。あれから3年経ったんですね。また、ごく初期のメモに「学生さんを怒鳴ること」に大学院の後輩のTのことを書きました。そのTが来年から博士課程の1年として西川研に所属します。

 西川研には全く関係ないと思っていた茶髪の兄ちゃんをゼミ生として卒業させ、私が怒鳴りつけ、次の週に平謝りした後輩を来年度からゼミ生として受け入れます。人の縁は不思議なものです。

[]あれから1週間、そして明日 16:37 あれから1週間、そして明日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - あれから1週間、そして明日 - 西川純のメモ あれから1週間、そして明日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 T先生の副学長就任を告知してから1週間がたちました。その波紋は、色々なところに広がっていると思います。しかし、思った以上に速やかに落ち着いたように思います。この数ヶ月の間、ずっとヘビの生殺しのような状態でした。色々な人に相談したくても、情報が制約されているので、相談も出来ません。色々な状況を想定し、さまざまなシミュレーションを行いましたが、そのシミュレーションがどれほど正確に実現するかは、実際にやってみなければなりません。これから2、3年は政治の季節です。しかし、とりわけ、この1週間は一つの山でした。幸い、思った以上にうまくいきました。これからに明るい展望が開けました。

 落ち着いてみると、明日は修了式・卒業式です。4年生が私の部屋に来て、挨拶をしてくれました。ふと、この子達ともお別れなんだと、ひし、と感じました。色々と話したいと思いました。しかし、かわいい彼らを長く見ていて、話していると、みっともなくウルウルしそうなので、あっさりと返しました。立派な若者として社会に旅立ちます。いままで、T先生のことで感慨に浸る暇さえありませんでした。今日、自宅でくつろいで、やっと、とてつもなく寂しく感じ始めました。

 YとKちゃんは1年で担任した子です。Yはボランティアに1年から頑張る子でした、おそらく総合学習分野にいくんだろうな、と思っていました。

 Kちゃんは不思議な子でした、目立たない子なのですが、話をさせると1本芯が通っていました。話の論理性は、学部1年とは思えませんでした。しかし、底知れず、どのような方向に進もうとしているのか見当がつきませんでした。

 1年で最初にHのクラスの授業をした時、Hは遅刻してきました。茶髪でひげを生やし、バンドをやっているという、バカ兄ちゃん丸出しの子でした。

 2年の12月にゼミ決めの時、Mちゃんが初めて私の部屋に来ました。その頃は茶髪で、軽い子としか見えませんでした。

 4人とも、私のゼミにつくだろうとは、それが決定するまで、ちょっとも思い至りませんでした。ところが、私のゼミを希望しました。ゼミに所属すると、あれよ、あれよというまに、4人は成長し、それは目を見張るものです。しかし、おそらく、彼らは、3~4年前に私が初めて見た時から素晴らしい若者で、ただ、私が見損なったのだと思います(私のゼミを希望することを予想できなかったように)。

 Oさんは40過ぎて大学院に来た現職院生の典型に見えました。自分の過去の実績に自信を持ち、新たなものを受け入れる謙虚さが無い人に見えました。コテコテの現場研究の論理で、学術研究を頭から否定する人に見えました。しかし、叩いても、叩いても謙虚に受け止め、必死に吸収する人でした。自分も同じ四十路の一人として、あれだけの謙虚さと向上心を持ち続けることが出来るか自信がありません。

 Kさんは、国語教育において一つの旗頭になれる人です。授業ゲームで実績を持ち、おそらく、それを修論のテーマにすることが順当なところだったと思います。そして、素晴らしい授業ゲームの修士論文を書いたでしょう。しかし、それとは別の子ども同士の相互作用に着目する研究に進まれました。また、高校教師の場合、自分の専門に拘り、何のためにその教科を教えるかを考えることを先送りにしがちです(偏見かも知れませんが)。ところが、それに関して、そのような兆候は全くありませんでした。臨床教科教育学会の事務局に関して、丸投げしたのですが、それを受け止め、私の予想以上のものを作り上げてくれました。

 Iさんに合ったのは、大学院受験の前の春(2001年4月12日に最初のメールを頂きました)でした。年齢も若いですが、その年齢以上に若く見える人で学部学生といっても通 るかも知れません(最近、白髪が増えましたが)。そのため、独身と勝手に決めつけていましたが、大きなお子さんをお持ちであることを知りビックリしました。大学受験の前の前の年に、私は地元の理科教師の会の依頼で講演会の講師を務めました。その会での話に惹かれ、私の研究室を希望した人です。正直なところ50もやれるかな、と思いつつ100のことを課すと、110をやる人でした。110をやると、すぐに200のことを課すと、220のことをやる人でした。

 学部生、院生の皆さん、総じて、実に叩き甲斐のある人であり、よく応えてくれました。その方々から、多くのことを学ぶことが出来ました。ありがとうございます。

 上記のことは、こっぱずかしくって面と向かって言えないと思います。だから、ここに書くことにしました。今後ともよろしくお願いします。そして、期待しています。