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2004-04-28

{親ばか]おみやげ 16:11 {親ばか]おみやげ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - {親ばか]おみやげ - 西川純のメモ {親ばか]おみやげ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 幼稚園に入園してだいぶたちます。しかし、一度として、「行きたくない~」と言うことはなく、かえって不安になります。しかし、帰りのお迎えの時には、家内の顔を見ると、急にだだっ子になるようです。甘えているんですね。

 今日は、鯉のぼりを作る活動をしたようです。息子がシールを貼ったり、クレヨンで黒く塗りつぶした目を貼り付けた鯉のぼりを持ってきました。直ちに、壁に貼り付けて飾りました。ふと気づくと、今の壁に色々な息子の作品が飾られています。入園前の体験入学が何度もありましたが、その時に作った作品もあります。低めに見積もって、週に1つの作品だとしても3年間で、とてつもない量になります。我が家の壁が、海外民芸品店の壁のように、訳の分からないもので埋まるのも、そう遠い先のように思えません。でも、作品が一つ増えるごとに、ちょっとづつ暖かく感じます。

[]一緒にいれば仲良くなる 16:11 一緒にいれば仲良くなる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 一緒にいれば仲良くなる - 西川純のメモ 一緒にいれば仲良くなる - 西川純のメモ のブックマークコメント

 社会心理学の本はだいぶ読みました。色々な学説によって、色々なことを書いています。しかし、いずれの本においても、「心理的距離を縮めるには、物理的距離を縮めることが有効である」というのは、一貫したテーゼのようです。しかし、何故なのかということは、あまりはっきりして書いていないようです。

 私のボスのT先生とは、この17年間、ず~っと仲良くやっています。おそらく、教科教育の世界で、これだけ長期間にわたって仲良くやっている例は、極めて希だと思います。長い間、私はT先生と一日1時間~3時間(多い時にはそれ以上)、毎日毎日、話し合っています。大抵は、私の愚痴です。それによって、ありとあらゆる情報を共有しあいます。そのため、T先生の行動の殆ど全てが予想できます。どんなことをT先生がやったとしても、その行動の意味を誤り無く理解できます。結果として、T先生を悪意で解釈する危険性は皆無となります。例えば、仮にT先生が約束をすっぽかしたとしても、「あ~ポカだな」と思い、直ぐにそのことを忘れてしまいます。また、T先生が私に対して悪意ある人と仲良く話し合ったとしても、日頃の情報からT先生がどのように考えているかよく分かっているので、猜疑心が沸きません。また、T先生に文句があった場合、その問題が小さいうちに、そのことを文句を言えるので問題が大きくなりません。

 情報の共有には、特定のジャンルはないように思います。ありとあらゆる情報が共有されます。人事・予算などばかりが重要ジャンルではありません。例えば、ある食べ物が好きか嫌いか、とか、いびきが凄いか否かのような情報でも、その人を正しく理解し、その行動を解釈する重要な手がかりになります。そして、どれが重要情報で、どれがそうでないか、ということは予想できません。だから、ありとあらゆる情報が必要になります。その量は膨大です。例えば、T先生の場合、2時間×300日×17年という恐ろしい時間を費やしていることになります。

 人は、どのようにして、このような膨大な情報収集を成り立たせているのでしょうか?英語学習テープを数百時間聴かねばならない、と思えば、気が重くなります。でも、人は雑談馬鹿話)という方法で成立させているのだと思います。例えば、私の一番仲の良かった大学院の後輩(現K大学助教授)とは年間100日以上、一緒に飲んでいました。そこでは3時間ぐらい費やしていたので、3時間×100日×2年という時間の雑談を酒場でやったことになります。そして、上記のような雑談をするためには、物理的な距離が近ければ良いことは当然です。距離が長くなれば、雑談の機会が減ります。例えば電話で実現したとしたら、膨大な金額が必要となります。また、言葉という情報以外の雑多な情報(例えば顔の表情)などを得ることが出来ません。さらに、メール等の方法であれば、音声という情報を失い、かつ、即時性が失われます。

 つまり、人が仲良くなるためには、実は、膨大な情報が必要で、それを得るためには雑談が必要で、それを実現するためには物理的な距離を縮める必要があるのだと思います。そして、「一緒に寝る」というのは、集中的に雑談をする行為なのかも知れません。そうだとしたら、子ども物理的な距離を縮められる(教師が縮めるではありません)場を保証することは教師の仕事なのだと思います。