■ [嬉しい]基礎基本

学び合いが生徒指導上有効であることを認める先生方は少なくありませんが、基礎基本を学び取るには教師主導が有効だと思っている先生は少なくありません。特に、算数・数学では顕著のようです。そこで、Iさんは、それが誤りであることを証明することを修士論文のテーマとするよう計画しています。そんなとき、現場で学び合いを実践している先生から、勇気づけられるメールを頂きました。以下がそのメールです。
『基礎基本を大切にするからこそ、学び合うことが重要だと考えます。同じ算数でも、どうしてもカリキュラム上全くことなる内容の場合、3・4年生を分けて学習させることにしています。(異なる内容でも一緒にやることもありますが)算数ですと3年「時間と時こく」、4年「円と球」などのような場合です。3年生は非常勤講師が持ちます。今週初めにその非常勤講師が、どうしても算数の時計の問題(3年)ができなくて困っているという相談を受けました。理解の遅い子どもが2名(仮名 のぶ君としょう君)ほどいるのですが、どうしても何分後は何時何分という問題ができないと。そこで、昨日は私が授業に入ることにしました。授業の始めに話をしました。
教師「時間のお勉強どう?できるようになった?」
子どもA「ぼく、頭悪いからよくできないよ」
教師「しょう君はどうなの?」
子どもB「おれ、よく分かんねえ」
教師「そっか、先生ね。誰一人もお勉強が分かんなくて悲しい人出したくないんだ。みんなで一緒にできるようにしたいんだなあ。」、T「今日はね。みんなで『できたー』っていうところもでみんなで一緒に勉強してみようよ。」
子どもA、B「いいよー。」 こうして学習が始まりました。
結果から申しますと、上述の2名は、「先生今日は算数すごく簡単だったね。宿題だして。今度はもっと難しいのもやろうよ。」とニコニコして帰宅していきました。なぜなら、二人は友達よりも問題が早く解けるようになったからです。時に学び合いは、低学力の子どもを飛躍的に向上させる力があると感じています。なぜ、二人がそうなったのか、振り返るとポイントは2つありました。
1.教師がはじめに彼らの代弁者になったこと(でいない子どもほど学び合いが上手く成立させられません。だから教師は彼らと同じ所まで降りて、代弁者になってあげる必要があります)始め問題を出したときに、上位の子どもは「こんなの簡単だー」と叫びました。それに対して「えーー?どうして簡単にできちゃうの?」と聞き返してあげました。
(できない彼らの心の声を出してあげます)
子どもC「簡単だよ。」
教師「どうして? そのどうして簡単なのかが分からないんだよ。ね。」
子どもA「うん。」
教師「じゃあ、みんなで考えて誰でも簡単にできる方法を考えようよ。」
2.みんなで賛同すること
教師 「○君ね。分かったぞって言ってたね。」
教師 「じゃあ、○君の分かったことみんなで聞いてみて、合っていたら拍手しようね」
○君 「34分に45分をまず足して…。」
子ども 「やったー、すごいよしょう君。○君天才だー。(拍手)」
算数のこの授業で基礎基本は十分に成立できたと考えます。最後の3分で練習問題をやりましたが、どの子も飛躍的にスピードを正解率が上昇しています。では、比較的上位の子どもの学びは、下位の児童の学び合いで妨げられたでしょうか?それは、「ノー」です。何より下位の二人と同じように、楽しんで学習している姿があるからです。内容でも「簡単」という言葉をもう一度振り返ることから、どうすればもっと簡単にできるのか?どうすれば分かりやすいのか?もう一度60進法についてのアルゴリズムを確かめてことにより学習内容を深めることができるからです。』
上記メールの学び合いを更に発展すれば、教師が介入する部分が更に減少すると思われます。そして、上記のような情報のやりとりが、教師と無関係にあちこちで起こるでしょう。そうなれば、もっと有効性が顕著になると思います。
■ [親ばか]東方の三博士

日曜学校、また、キリスト教系幼稚園の子ども劇の定番といえば、キリスト誕生です。大抵は、クリスマスあたりでやります。出演者は、キリスト、マリア、影の薄いキリストの父のヨセフ、キリストが受胎したことを伝える大天使ガブリエル、そして、キリストが生まれたことを星の運行で知り、それを祝うために乳香、モツ薬、黄金を捧げに来た東方の三博士です(その他、羊飼い、馬小屋の主人などがいますが・・)。
私にとっては、東方の三博士がアラブの民族衣装を見る初めての姿です。大抵は、バスタオルや、シーツなどを頭からかぶる姿で現れます。毎日、子どもを風呂に入れて、風呂上がりの息子を 脱衣場で待っている家内に渡します。家内は、直ちにバスタオルで頭を拭きます。その時の息子の姿が東方の三博士の姿にそっくりなんです。そのことを家内に言ったら、キリスト教系幼稚園で先生として勤務した経験のあるので、息子をバスタオルで拭き取る際、キリスト誕生劇の東方の三博士の登場場面の歌を歌うようになりました。
■ [発見]雑学

少年漫画雑誌は、バカバカしいと小学校中学年から見切っていました。それい以降は、病院や床屋の待合室で見る以外は見ません。ましてや、金を払ってまで読もうとはしませんでした。少年漫画のパターンは、主人公が敵を倒すと、その敵よりも強力な敵が現れ、その敵を倒すと、その敵よりも強力な敵が現れ・・・の連続です。読者が飽きない限りは、その連続です。しかし、その連続を繰り返すと、物語のディテールに矛盾が生じます。なによりも飽きてくるんです。
しかし、大学の学部時代に、同級生に少女漫画の権威がいました(けっしてオタクではなく、まともな人です)。その人の部屋に行くと、漫画本が図書館並にあります。そこで、少女漫画の洗礼を得ました。実に、ディテールが整っている。さらに、人の心理を扱っていました。人の心理を扱っているため、単純に敵を強くするという方法に頼らずにも、物語が進行します。それに影響され、「花とゆめ」や「ララ」にのめり込みました。色々の名作がありましたが、それと平行して読んでいたのがパタリロです。その漫画の中に悪魔学という分野の引用があります。ありとあらゆる悪魔の詳細が書かれています。当時、毎週行っていた神保町の古本街に行くと、その悪魔学の本を山ほど見つけることが出来ました。それなりに楽しめます。その関連本で天使学に関する本も山ほど見つけました。内容は、ありとあらゆる天使の詳細が書かれています。読んでみてビックリしたのは、ガブリエルの天使界における地位です。聖書においてはガブリエルは特級の位置づけです。それに、「大天使」といって「大」がついているんだから、神様のおそば近くにお仕えしているんだろうと、かってに考えていました。しかし、読んだ天使学の本によれば、「大天使」は天使界では相対的に下位とのことでした。日曜学校で学んだ私としてはビックリしました。
悪魔学でも、天使学でも実生活では全く役に立ちません。雑学です。
追伸 偽ディオニュシオスの天使九階級によれば、熾天使、智天使、座天使、主天使、力天使、能天使、権天使、大天使、天使 の九つの階級からなっているとされています。