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2004-07-22

[]天狗の鼻(その4) 08:18 天狗の鼻(その4) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 天狗の鼻(その4) - 西川純のメモ 天狗の鼻(その4) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ここまでくると、半分以上はやけくそです。

 私が十数回の講義で語り語ったことの構造を語ります。

 最初の5回ほどは、「なぜ理科は難しいと言われるのか?」をベースにして、「教師と子どもは同じものを見て・聞いても違うものを見て・聞いている」、「子どもが分からないのは不真面目だからではなく、子どもは真面目だから分からない」ということを伝えたかった。そこから、教師が教えようとしても限界がある、それは教師が怠惰であったからでも、無能であったからでもなく、教師が教師である限り避けられない限界だ、ということを伝えたかった。それ故、教師が最善の教師ではなく、子ども同士の学び合いによってのみ「全て」の子どもが救われるということを理解して欲しかった。

 それ以降の十弱の講義で伝えたかったのは。

 「学び合うことは教えて成立するのではなく、人間の本能。だから、教えようと考えるのではなく、子ども達の邪魔をしなければいい!」(学び合う教室をベース)

 「難しいことをするより、当たり前のことをすればいい。大事なのは、建前で言うのではなく、本気で信じること」(学び合いの仕組みと不思議をベース)

 「子どもは愚かでも、未熟でもない。我々と同じぐらい有能である」(静かにを言わない授業、学び合いの仕組みと不思議、そして新刊予定の本をベース)

 「異質な集団によって子ども集団は大きな力を持つ」(静かにを言わない授業、新刊予定の本、そして、来年度までには出版する予定の本をベース)

 そして、最後は、「何のために学ぶのか。教科指導と生徒指導が不分離で融合した学校教育のあり方」(学び合う教室、心の教科指導をベース)

 でも、空しい。そんな種明かしをしなくても、分かってもらわなければプロの教師ではありませんから。それも、ごく初期の段階のプロ。少なくとも一人の院生の方には伝えられなかった・・・

[]出張準備 08:18 出張準備 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 出張準備 - 西川純のメモ 出張準備 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 明後日から8月10日までは出張続きの日々が続きます。合間、合間には出張先に家族が来るので合えますが、大部分は家族と会えません。この1週間は、出張中の講演会・集中講義の準備に追われています。出張前から疲れそう・・

[]失敗 08:18 失敗 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 失敗 - 西川純のメモ 失敗 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、院生さんとNちゃんがコーヒーを飲みながら話していました。私も途中から参加しました。題材は、「私が教師になって、指導に失敗したらどうしよう・・」というものです。教師の持つ影響力を意識し、子どもの人生を大事にしているから出る悩みです。それを聞いている現職院生のYzさんの顔もニコニコです。私も、それを聞いて、思わずニコニコしてしまいました。あとから、参加した現職院生のIさんもニコニコになってしまいました。おそらく、私や現職院生さんの話の中で、そのような「青臭い」話題は出ることは無いでしょう。Yzさんも、私も、Iさんも、同じように「そんなこと言われたら、失敗だらけの私はどうしたら良いんだ・・」と言っていました。青臭いけど、とても本質的な話です。失敗するかも知れない、でも、それでも、一生懸命に最善を尽くすのが我々の仕事です。だから、「失敗したら・・」と悩むNちゃんは、教師の持つ影響力を意識し、子どもの人生を大事にしていることを示し、だから、きっと良い教師になると思います。だから、Yzさんも、Iさんも、私も、Nちゃんをとても頼もしく思いました。

 でも、西川研究室の卒研生として、もう一歩上の認識を持って欲しいと思いました。それ故、あえて意地悪な質問をしました。それは、「失敗しないって、どういうこと?」と聞きました。Nちゃんは妥当なことを回答を言いました。私は、「その時は、そうだったとして、そのことによってその子どもの人生が滅茶苦茶になったら、その授業は良かったの?」と聞きました。また、「失敗しなかったと言うことは、どんなことを指すの?」と聞きました。色々と問答をすると、「失敗しない」ということは、その時点でさえ確実でなく、さらに、その子の未来にまで考えが及ぶと、さらに確実でないことを分かってもらいました。そして、「教師は失敗しないようにと思っても、失敗してしまうかも知れない。だから、責任を負えないんだ。では、その子の人生に責任を負えるのは誰だと思う?」と聞きました。Nちゃんは「その子」と直ぐに答えてくれました。私は、「だから、教師の仕事は、子どもに自己判断を出来るよな状況を与えること、そして、自己判断した行動がしやすい環境を保証することだよ。同時に、自己判断するときに満たさなければならない条件、例えば指導要領のような社会的に決定された境界条件を示さなければならない。」と語りました。その後に、西川研究室が自己判断・自己責任の原則であるのは、それと同じ理由であることを述べ、具体的にNちゃんへ私がしていることとの対応を説明しました。この説明までは、ニヤニヤしていた院生さんも、いつの間にか自分たちに降りかかった話題であることを察知し、まずいな~という顔をし始めました。そこで、学卒院生のHが「先生がそういうことを言うことによって、いつの間にか先生の路線にのせられているんだから、先生のいうことを聞く必要はないんだよ」とNちゃんに言いました。私はHに、「それは正しいけど、もうちょっと上のレベルでメタ認知すれば、そういっているお前が俺の路線にまんまとのせられているんだよ。だって、俺の意見に従わずに自分の考えで行動せよ、といっているお前の言っていること自体が、俺が願っていることなんだから」と言いました。Hは黙りましたし、まわりの現職院生さんは笑い出しました。

 私の路線、というより、歴代の院生さん・学生さんに教えられた路線は強力だと思いました。孫悟空がお釈迦様の手の内から逃げられないように、自己判断・自己責任の力は強大です。

追伸 同様のことを今から3年前のメモ(「自己責任」(01.11.16))に書いています。