■ [う~ん]高校理科教師

本日は新潟県センターで講演してきました。経験2年~5年の高校の理科の先生方が対象です。話しながら聞いている先生方の顔をまじまじと見ていました。私が高校教師になったのは25歳です。おそらく、その頃の先生方です。
理学部出身だった私にとって、教育研究は「へ」でした。どう考えても自然科学の方法論より、一段も、二段も低く評価していました。そのことが違うと感じ始めたのは教育の大学院に入って1年以上たった頃であり、それが確信になったのは大学教師になってからです。多くの高校の新任理科教師にとっては、科学の知識のみが教師の道しるべです。しかし、 実際に子どもたちを教えてみれば、それだけではないということは直ぐに気づくでしょう。でも、それは経験に根ざした「教え方」であります。そして、そのような先生方にとっても教育研究は無意味に見られるでしょう。
本日は一生懸命語ってきました。きっと何人かの若い先生の心の中に何かを残せたと信じています。私は理学部出身です。私は今の研究を理学部出身者として誇りを持っています。私は学部では生物物理学によって、酵母菌を研究しました。しかし、今、私は最も興味深い生物の現象を研究しています。それは、人間という高等生物の、その最も複雑で興味深い行動である相互行為を研究しています。それによって他ならない、自分を学ぶことが出来ます。こんな面白い生物 研究を理学部では出来ません。
教育研究は理学部出身者に「も」興味深く、意味深い研究であることを感じ取ってもらえたでしょうか?
追伸 でも、少なくない理科教師が、科学の学問・ちょっとひねった実験法の知識・受験の対策が主な教師の力量と考えています。有名私立学校に赴任し、そのような子どもだけしか教えた経験のない人の場合、しょうがない部分があります。だって、科学の学問・ちょっとひねった実験法・受験の対策だけで授業が十分成立してしまうのですから。でも、 本当は、その先生が教えなくても、その子どもたちの成績は変わりません。否、その先生が教えることによって、彼らが自習する時間を奪ってしまっているのかもしれません。さらに、そのような子どもの場合、教師を操る術、本音と建て前を分ける術に長けていますから。恐ろしいのは一般校でも、そんな教師がいます。理由は、何が起こっても「子どもが悪い」と解釈してしまうからです。 そして、その原因は、その先生が悪いわけではありません。おそらく、良き先輩教師・同僚教師・後輩教師に出会えないなど、場の問題です。そして、その責任は管理職が負わなければならないのでしょう。