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2004-09-11

[]なかなか分かってもらえないこと 13:54 なかなか分かってもらえないこと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - なかなか分かってもらえないこと - 西川純のメモ なかなか分かってもらえないこと - 西川純のメモ のブックマークコメント

 遠方から私の所に会いに来る奇特な方は少なくありません。その方は、我々の研究室の本は読んでいる方ですので、話が早いのでありがたい。でも、そのような方でも、なかなか分かってもらえないところがあります。それを羅列しようと思います。順不同です。

 学び合いは指導法の一つ、テクニックの一つという誤解が典型的です。これは、「学び合いが出来る場面・出来ない場面」があるという反応に現れます。この「場面」とは具体的には、学年、学校、学力、教科・・等が入ります。しかし、我々は学び合い自体を目的としているのではありません。また、手段としているわけでもありません。「子どもは有能である」という子ども観の帰結として、子どもが選択するのが学び合いなんです。子ども観が、学年、学校、学力、教科によってコロコロ変わるはずもありません。

 「学び合いと個性とは反する」、「学び合いと個別指導は反する」というような無意味な二項対立的な誤解もあります。本当は、子どもの個性を本当に開花させるには学び合いが必要だし、本当の個別指導を成立させるには学び合い以外にあり得ません。

 また、学び合いは生徒指導・生活指導には有効だが学習指導には限界があるという誤解もあります。これは、生徒指導と学習指導を分ける無意味な二元論に根ざしています。しかし、両者を分けることなんてバカバカしいことです。

 また、学び合いは教えるべきだという誤解です。おそらく、我々以外の学び合いに関する殆ど全ての研究者は学び合いは教えることによって成立すると考えています。だって、それらの本を読めば、実に多くの「これこれしなさい」があります。でも、我々は学び合いは教えるものではなく、人間のDNAの中にあるものだと考えています。

 これらのことの帰結として、教師のスタンス、授業のあり方が、既存の考えと決定的に違います。まず、教師は教えるべきではなく、むしろ、目標を与え、子ども達が学びやすい環境を保証し、評価する仕事に重点を置くべきだと主張します。さらに、教師は子どもと個別に繋がりを持つのではなく、子ども集団と繋がるべきだと主張します。そして、子どもと仲良くなることは、子ども同士の繋がりを立つため、仲良くなることは「いけないこと」だと主張します。

 上記のことが分かる方は、もう分かっている人だけなのかも知れません。このことに関しては、本で何度も書いていますし、メモにも何度も書いています。でもなかなか分かってもらえません。一番良いのは、私と直接議論することなんですが・・・。でも、本当は難しくないんです。教師と子どもの関係を、校長と自分(教師)に置き換えれば理の当然なんです。例えば、教師間が協力し合う職員室があった時、特定の教科の先生は協力できないなんて想像できます。また、小学校では教師間が協力し合えるけど、中学校では教師が協力し合えないなんて想像できます。

 また、学校の慰安旅行の幹事になって、あっと驚くような画期的な企画を立てようと思った時、もし、前年度の幹事の人に聞いてはいけないと校長に言われたらどうします。校長曰く、「他の人に聞くと、君の個性が冒されるから」と言われたら、納得できます。また、校長が「職員室で他の先生に聞いてはいけない、私が個別指導するから」と言われたら、納得できます。また、教職員が気持ちよく働ける職場と良い学校と矛盾すると思います?また、分からないことがあったら、知っている先生に聞けばいいと気づくために、校長から教えてもらわなければ出来ないと思います?

 また、事細かに指示をする校長をありがたいと思います?また、べたべたと友達感覚で職員室に居つく校長がいいですか?とてつもなくバカバカしいことです。つまり、上記を理解する方法は、子どもも自分(教師)と同じぐらいの人間なんだと思えるか否かなんです。

 目の前の子どもが、自分と同じだけのことが出来るなんてバカバカしいと思う方も多いかも知れません。でも、「目の前の子どもが、自分と同じだけのことが出来」ことを我々の研究室では明らかにしています。いや、目の前の子どもが、自分と「以上」のことが出来ることを明らかにしています。十歩譲っても、「子ども達」は有能であり、私よりも凄いと言うことは絶対に正しい、と実証的データに基づいて確信しています。