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2004-09-28

[]締め時 13:31 締め時 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 締め時 - 西川純のメモ 締め時 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日の朝、Ymさんと話したとき、私の「締め時」が話題に出ました。私の大学院における指導方針は「私から見た大学院2年間」という3年以上前のメモに公開しています。でも補足するべき部分があるように感じました。

 私から見ると大学院の2年間は4期に分かれます。第1期は修士1年の4月~6月の3ヶ月間。第2期は7月~10月の4ヶ月間。第3期は11月から翌年の9月の11ヶ月間。第4期は2年目の10月から翌年の3月までの6ヶ月間。 この中で、第3期、そして第4期に補足すべき事があるように思います。

 「私から見た大学院2年間」に書いたように、第3期は、院生さんの持ってくるデータをどのように解釈すべきかを議論します。しかし、大抵の場合、これも院生さんのお話を承ることが中心です。何となれば、実際のクラスで生の子ども達の姿を見ているのは院生さんなんですから、そこから引き出されるものが最も面白いし教育上意味あるものなんですから。強いて私の役割を考えると、当初に予想したデータと異なるデータが出たときが私の出番です。「だめだ~」と落ち込んでいる院生さんと議論しながら、得られたデータは確かに当初の予想とは違うが、でも、もっと面白いデータであることを見いだします。といいましても、私が教えると言うより、院生さんが気づいていることを勇気を持って口に出せるように、勇気づけることが中心です。ただ、補足しなければならないのは、何故、そのようにしているかという点です。特に第3期の後半である修士2年の3月から9月までの期間です。

 院生さんと議論すると、私なりに「それをやっても無駄だよな~」とか、「あ~あ、典型的などつぼのパターンだよな」とか感じることは少なくありません。でも、それは出来るだけ言わないようにしています。何故なら、私の既存の考えで院生さんの考えを規定すると、私が知っているレベル以上のものは絶対に出ないからです。だから、夏の学会の発表の準備では、発表の仕方(例えばグラフの使い方など)に関してコメントをしますが、何を発表するかに関しては院生さんに任せるようにしています。私としては、この段階では、とにかく院生さんに玉石混合であっても、とにかくいっぱい面白いことに気づいて欲しいと願っています。この段階で、石のことをごちゃごちゃ言えば、玉を見出すことを阻害してしまいます。私が安心していられるのは、第1期において徹底的に目標の確認をしているからです。そして、第3期の前期に修士2年における実践研究に関して、その目標と方法に関して徹底的に議論しているので、素晴らしい結果が出ることに安心しきっています(いままで裏切られたことは、タダの一回もありません)。

 第3期と第4期の区切りの見極めは、院生さんが新たな事実を言わなくなるのが目安です。また、新たな事実を言うのですが、それがそれまでの発見したことに比べると枝葉末節なことを言い出し始めるのも、目安です。この段階になると、締め時です。そうなると「感動」(02.3.22)でやることをします。この締め時は、修士1年の研究をまとめる3月と修士2年の研究をまとめる10月に行います。

 Ymさんは締め時に入っています。HとYzさんは、今のところ広げる段階です。でも、修士論文作成のタイムスケジュールによれば、あと数週間で否応なくHとYzさんも締め時に入ります。遅かろうと、早かろうと、絶対に締め時は来ます。だって、教師のお仕事の一つは「評価」であり、私の職能は、研究をまとめる手助けをすることですから。

追伸 教師の腹の内をさらすことは、とてもいいことだということは、我々の研究が示す事実です。

追伸2 M1の皆さんへ、このメモが来年の自分たちへのメモでもあることは気づいていると思います。でも、それは甘い!だって、さりげなく「感動」というメモを紹介しているのを忘れないでね。最初の締め時は、おそくとも本年度3月には来ますよ。

[]教師の権力 13:31 教師の権力 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師の権力 - 西川純のメモ 教師の権力 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今年の3月に修了されたKさんが「永遠の出口」という本を紹介していました。「女性が主人公で、小学校から高校卒業までの時代を描いた小説です。その中で、小学五年生の時代を描いた章に出て来る女性教師の描写を読んでいたら、Ymさんの話を思い出しました。例の、全て活動を仕切り、自分の思い通りにさせる教師の話です。そのクラスはどんどん活気が無くなっていく様子が、面白おかしく描かれていました。」と紹介していました。早速、取り寄せ、読んでみました。全国書店員が選んだいちばん売りたい本「本屋大賞」の4位に輝いた本だけのことはあります。実に読みやすく、するすると読めました。そこで紹介している教師は、Kさんの紹介文のように、全てを仕切り、それがよいと信じ切っている教師、つまり、良い教師として誤解されている典型的な教師の姿が紹介されていました。感想は、「ありがちだよな~」というものです。同時に、「小学校の頃は教師を主人公と同じく、絶対権力者だと思っていたな~」と思い出しました。さすがに中学校、高等学校と学年が上がると、教師の絶対権力者としての威光は衰えます。でも、それでも、逆らうには相当の覚悟が必要で、勝率はかなり低いと信じていました。その考えのもと、自分が教師になりました。でも、定時制高校の教師になって、そのような「権力」は虚像だと実感しました。幸い、私の場合は、教師人生のごく初期に、そのことをいやというほど学びましたし、その失敗の際、サポートしてくれた先輩教師に恵まれました。

 学校現場において、ベテランといわれる教師のクラスが学級崩壊に陥るケースを良く聞きます。きっと「権力」が虚像であるということを40、50になるまで気づかず、それを安易に振り回していたのでしょう。そして、ある時、子どもの方がその虚像に気づき、集団で反発したのだと思います。さらに、その先生が問題に陥ったときにサポートしてくれるような教師もいなかったか、サポートする教師の声を聞けるだけの謙虚・余裕を失っていたのだと思います。哀れと思いますし、教師集団の形成が問題解決の鍵であるとも思えます。でも、「永遠の出口」を読んだ直後の気持ちとしては、「お前が踏みつけにした子どもの報いだ」と残酷な気持ちにもなります。他山の石です。

[]改革の全体像 13:31 改革の全体像 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 改革の全体像 - 西川純のメモ 改革の全体像 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以下の文章は、私にしか分からないメモと思います。すみません。未来の私へのメモです。

 国立大学は独立法人化になり、大きく変貌しています。ところが、その変化をどれだけの教職員(もう教官ではありません)が理解しているか不安です。不遜ながら、一般の教職員とは違って現状をみられると自負しています。しかし、それは私が飛び抜けて優秀だというつもりはありません。おそらく3つの要因が重なっていると思います。

 第一に、現状に不満を持っていた。私は旧コースにおいて虐められていました。安穏とすごしていれば、何も考えなくて良かったでしょう。しかし、常に厳しい戦いの中にいました。そのため、普通の 教職員が知る必要がない法律の条文や、各種の文部科学省の諮問委員会の答申を頭にたたき込むことをしました。そして、おそらく平均的な教科教育研究者の数倍、数十倍の研究業績で身を守らなければなりませんでした。しかし、この条件は、ぬるま湯の教員養成学部以外の学部においては平均的な条件かも知れません。

 第二に、独立法人化で求められる条件と、私の特質が合っていた。独立法人化した大学に求められるのは建前論ではなく、最終的な結果です。簡単に言えば、どれだけの学生・院生さんを育て、そして、どれだけの研究業績を上げられるかです。両方とも、私の大好きなことです。でも、それは私以外にもあっている人がいるでしょう。

 上記の二条件を満たす人は大学人のどれだけを占めるのでしょう?特に、教員養成学部においてどれだけを占めるのでしょう?多くはないと思います。でも、だからといってトキほど珍しいというわけではありません。問題は第三の条件です。

 おおよそ8年以上前から、大学の偉い人から雑談を通してさまざまな情報を得ています。ある文部科学省の方針の裏にある背景、大学の方針を決めるに関係する諸条件をず~~っと耳に入れています。そして、雑談の中から、その場その場の問題に関してシミュレーションを行い、その結果を議論する機会を得ています。大学の偉い人は、その議論の中から取捨選択(捨てられたことが大部分ですが)していました。拾われたものの一つに、学習臨床コースという新コースがあり、そのおかげで今の私があるのは確かです。

 得られた情報、そしてシミュレーションは私の考えを大きく変えました。今から8年前は、コースの名称(コンセプト)を変えたり、授業科目や単位数を変えれば大学が変えられると思っていました。しかし、実際には組織は人であり、その人を動かす部分を変えなければ変わらないことを学びました。そして、その人を動かす部分の多くは、不磨の大典によって規定しているのではなく、実は、くそつまらない運用の積み重ねに過ぎないことを、驚きを伴いながら学ぶことが出来ました。そして、独立法人化後は、現状の危機的状況がどれだけ進行しているかを知りました。

 つまり、情報を得て、シミュレーションを行うことによって、自分たちの職場が危うく、給料が危ういことを知り、それを解決する方法がつまらないものの積み重ねをちょっと変えればいいことを知りました。より多くの同僚が、そのことに気づいて、10年後も上越教育大学に勤められ、そして現在、当然の権利として考えている10年後の給料を得られるようになればいいと思います。でも、私はあくまでも下っ端です。あくまでも偉い人が判断することです。でも、その判断を実行するためには、より多くの下っ端がその未来図を理解できなければなりません。そして、その未来図をその人なりに理解するためには、私が享受した3つの条件を満たさなければなりません。さらに、その3つの条件を10年弱享受し続けなければなりません。つまり、今から「偉い人」が情報を積極的に流して、シミュレーションをさせたとしても 、私並みに理解できる人間を養成するには10年弱かかるということです。でも、そのころには上越教育大学が無くなることが決まっているかも知れません。

 私としては、いずれの方向に進むにせよ、生きられるように準備を怠らないようにしています。