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2005-02-28

[]ルール 09:35 ルール - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ルール - 西川純のメモ ルール - 西川純のメモ のブックマークコメント

先日の日曜日にKさんの博士候補認定試験というのを上越で行いました。博士候補認定試験というのは、「博士論文を書くに値する能力がある」と認定するための試験です。そのためには、一定量以上の業績が必要なのはもちろんですが、試験官になるれる有資格者のの前で口頭発表をしなければなりません。昨日はそれがありました。その中で特に面白かったのは、ルールの発生です。

 Kさんが例示している場面は、コイルを工夫することによって磁力がどう変わるかを実験している場面です。子どもたちは牧数を増やすなどによって磁力を強めようとします。その磁力の力をはかる方法として、クリップ等をくっつける量で量っています。しかし、「くっついた」という条件や、どのような状態のクリップを使うかという条件が、各班ごとによってまちまちです。しばらくすると、その事に由来して、班毎に結果のブレが生じ、その事によって班毎に議論が始まります。その議論が終わった後に、ある子が「公式ルール」なるものを提案します。そこでは、どのようなときに「くっついた」と判断するかに関して、明確な規準です。それをクラス全員に可視化します。そのとたんに、先の議論に参加していない他の班も公式ルールを使い始めます。直ぐに、公式ルールがルールとして位置付き、それを前提として議論がなされるようになりました。

 ふと思いました。やはり、教師が方法レベルのルールを設定しない方がいいな~、と。問題を問題として認識させ、それを解決する方法を求める方がいいと。

[]愛 09:35 愛 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 愛 - 西川純のメモ 愛 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、息子と家内は風邪とインフルエンザです。頭がパンクしそうになるほど、忙しい。それにもかかわらず、色々なことが起こる。そんな中で、ふと考えました。

 人はパンのみに生きるにあらず、と言います。でも、パンがなければ生きていけません。もし、飢え死にしても心の平安がれば、という教えならば私はついていけません。逆に、思いっきりパンが食べられれば、心の平安が無くても良い、という教えも私もついていけません。心の平安とはなんでしょうか、私は他者との関係のように思えます。修道院で他者との関係を絶つことによって得られる平安は不自然です。もし、そんなことで平安を得られるならば、きっと、「神様」は人間をそのようにつくられたように、私は思います。

 我々は個人としての欲望があります。同時に、他者との関係も必要とするようにホモサピエンスはプログラムされます。ところが、一方が暴走すると、他方に矛盾が生じます。いままでの道徳論が強調する個人の欲望の暴走と同様に、他者との関係の暴走も問題です。個人の欲望を永続的に満たすためにも、他者との関係を永続的に満たすためにも、両者の暴走を押しとどめ、両者の関係を維持する英知が必要に思います。それが「愛」だと思います。愛を滅私奉公や、完全自己犠牲のようにとらえるのはおかしいと思います。そんなことが永続的に続くわけはない。

 教室でも同じです。個々の学習者の欲望が暴走する姿とはどんな姿でしょう。例えば、己の合格のみを考えている集団で構成されている予備校の教室かも知れません。たしかに短期間なら成り立つでしょう。でも、そんな教室が1年、2年と続くわけはない。少なくとも、それに耐えられる人は、多くはないと思います。逆に、他者のことばかり思いやっている予備校の姿(ありえませんが)も短期間なら成り立つでしょうか永続的に成り立つとは思えません。

 多くの学習者(もちろん私も)は、己の欲望には敏感です。しかし、他者との関係を忘れがちです。また、他者を極めて狭い範囲内に捉えがちです。教師としては、短期間で評価すると両者が矛盾するように思えたとしても、長期間では矛盾しないことをしつこく語るべきだと思いました。

 本日、ある人(ゼミ生以外)と話しました。その人は、自分の悩みを語り、私は、「その人」の視点で提案をしました。でも、自分の提案に明るい展望を感じられません。自分自身が納得できない提案しかできないことに不満を感じましたが、何故なのかが分かりませんでした。しかし、今、思い返すと、分かります。その人の視点は「自分」の視点にとどまっており、自分の幸せ、自分の研究、自分の事情しかなく、自分と周りの人の視点が欠けていました。結局、周りの人の援助が期待できないのです。私の出来ることは限られており、結果として、その人個人が「一人」で立ち向かわなければならないことが分かっているので、私自身が「納得」できなかったんです。

 上記に矛盾するかも知れませんが、私の狭い群れであるゼミ生に対して、個人と集団との矛盾関係をバランスをとりながら維持することが、結局、永続的な幸せに繋がることを、しつこく、なが~く、そして自分に言い聞かせるように、愛を持って語りたいと思います。このことは親子の関係、友人の関係、師弟の関係、夫婦の関係・・・・、全部同じだと思います。