お問い合わせ  お問い合わせがありましたら、内容を明記し電子メールにてお問い合わせ下さい。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。             

2005-03-08

[]金魚の飼い方 09:17 金魚の飼い方 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 金魚の飼い方 - 西川純のメモ 金魚の飼い方 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は2年生の学年ゼミです。その最後に、色々な話をして、最後に「他のメンバーのことを心にとめて欲しい。そのためには、研究室にいて欲しい」と語りました。ただし、そこでとめておくと、「研究室にいる」という方法のレベルに止まり、「どれだけいればいいか」という低レベルな発想に繋がるので、以下のような話をしました。

 私の指導教官は小林学先生です。かっては文部科学省(当時は文部省)の教科調査官で、私が中高で学んだ理科のカリキュラムを作成する際、中心的な役割を果たした方です。教科調査官という仕事柄、日本全国の色々な学校に行く機会を持ちました。小林先生によれば、どんな学校に行っても、その学校の理科室に行き、そこに生き物(特に水槽で飼っている水生生物)を飼っているかどうかを見るそうです。それを見ると、その学校の理科の先生の力が直ぐに分かるそうです。理科室の様子の殆どは、直前になんとかすれば何とか出来るものです。文部省の教科調査官が来るということで、あわてて整理整頓する人もいます。でも、生き物は別です。あわてて整理整頓する人だと、水槽にまで気が回りません。また、気が回っても、水槽の水草・コケの様子をみれば、やっつけ仕事か否かはすぐに分かります。小林先生は、その話をされたあと、私にどうやったら「金魚を殺さずに飼えるか?」と質問されました。皆さんは金魚の飼い方のポイントは何か、ご存じですか?

 同じように、2年生に質問しました。矢面に立ったYは「水槽をきれいにしたり、餌をこまめにやったり」というような返答をしました(私もそのように答えたように思います)。そこで、Yに以下のように言いました。

 そんなこと続けられるの?それに、そんなこと頻繁にやったらどうなる。例えば、毎日毎日、Yの頭を撫でてたり抱擁したりして、「頑張ろうね!」て言ったら?毎日毎日、Yがどれだけ研究をやっているかをテストして、それに対応した指導をことこまかにやったら?それでいいと思う?

 Yはほほえみと共に、否定しました。

 小林先生がおっしゃったのは「毎日、水槽をのぞく」ということです。

 水槽の生き物を飼った人なら分かると思いますが、毎日毎日、餌をやったらば、水槽の水は濁ります。本当は、餌をやらなくても成り立つようなシステムを成立させることが大事です。それが成り立てば、餌をやる必要は殆どありません。金魚が出す糞は分解され、それを栄養として水草やコケが生えます。そのコケを金魚が食べるため、水槽はコケで濁ることはありません。結果として、水槽を掃除することは殆どありません。水槽の環境が悪化するのは、過剰に餌をやったり、過剰に日を当てたりするためです。それでは 金魚を飼っている人は何をすればいいかといえば、「毎日、水槽をのぞく」ということです。毎日水槽をのぞけば、水槽の変化に気づきます。その変化を見れば、別に特別の学習をしなくても、どうやればいいかは常識の範囲内で解決できることばかりです。つまり、金魚の飼い方は、とてつもなく簡単なんです。ところが、多くの学校では、それが出来ません。何故かと言えば「毎日」水槽をのぞいていないからです。そのため、毎日のぞけば気づく変化を見逃し、問題が大きくなり、結果として水槽全体の生き物を殺すことになります。では、何で水槽を毎日のぞけないのでしょうか?その理由は、水槽の中の生き物を心にとめていないからです。

 私が西川研究室のメンバーに求めるのは、他のメンバーのことを心にとめて欲しい」というこです。その理由は、それがなければ自分自身の自己実現はあり得ないからです。もし、他のメンバーのことを心にとめるならば、「どうなっているかな~」と思うはずです。そう思っていれば、それを見に行き、話したいと思うはずです。結果として、各人の無理のない範囲で「毎日」モニターしたいと思うはずです。それが「毎日」であるか否かは重要ではありません。また、それが1分であるか、1時間であるか、半日であるかも重要ではありません。「どうなっているかな~」という心が大事なんです。それがありさえすれば、あとは各人の状況の中で妥当な線が出されるはずです。

 以上のように2年生に語りました。

[]英語 09:17 英語 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 英語 - 西川純のメモ 英語 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 家には英語の絵本があります。その本は英語で書かれており、CDがついていて朗読するものです。今日の夜、息子がそれをじっと見ていました。そこで、英語を読み聞かせてみました。息子はじっと聞いて、真面目に絵本の英語に集中しています。親ばかの私は、「こりゃ、私が苦労した英語に興味を持つかも知れない」と思いました。でも直ぐに、「もし、英語が得意になって国際的に活躍し、日本にいなくなったらどうしよう・・」と思いました。ある先生が田舎の学校で勤めている時、父母から「先生、そんなに勉強教えなくてもいい。勉強が出来ると、都会に行ってしまう。勉強を教えないで欲しい」と言われたそうです。でも、その気持ちが分かります。

 東大に入学すれば幸せになるでしょうか?医学部に入学して幸せになるでしょうか?国際的に活躍すれば幸せになるでしょうか?ナンセンスです。本当の幸せは、ごくごく普通の生活が出来ることです。具体的には「家族仲良く、健康で」に集約されます。

 学校教育は公教育であり、社会が求める人材を養成することを目的としています。そのため、一定のモデルを子ども達に植え付けます。でも、そのモデルに本人、および、親が踊る必要性はないように思います。

 生物の進化には「超正常」というものがあります。具体的にはサーベルタイガーの牙があります。肉食動物にとっては牙は武器です。しかし、それが行き過ぎれば、本来の目的にハズレ不利に働きます。本来の進化が正常に働けば、妥当なレベルの牙の大きさに収まります。しかし、生存競争の正常な圧力以外の力が 異常に働くと、生存競争に反する進化が起こります。勉強が出来ることは本人の有利に働きます。でも、それが行き過ぎれば、本人の幸せに繋がりません。私の近くにもそんな事例は少なくありません。中卒より高卒の方が有利に働き、高卒より大卒の方が有利に働き(本当かな~・・)という考えの基に、単純に大学院に進みます。修士レベルならば有利に働く部分もありますが、博士レベルの場合、それが有利に働く場合も、不利も働く場合もあります。それを見極めずに単純に高学歴を突き進み、それによって悲惨な状態になった人を いっぱい知っています。

 息子は自分の未来を考えられるように育って欲しいと思います。そのためには、親が何が幸せか、ということに関してプロトタイプに縛られないようにしなければと思います。

[]研究者 09:17 研究者 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 研究者 - 西川純のメモ 研究者 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は絶対に学卒の学生を博士課程の学生として受け入れるつもりはありません。その理由は、ホームページに明記しているように、その人の将来に責任を負えないからです。でも、それだけではなく、そのような学生さんを好きになれる自信がないからです。そのような学生さんに「あなたは教師になりたいと思わないの?」と聞きたい。もし、その学生さんが否定したならば、「だったら、そんなあなたが教師になりたいという学生さんに何を語るの?」と聞きたい。教育と教育学は違います。それは犯罪と犯罪学に違いがあるようなものです。犯罪学の研究者になるために犯罪をしなければならないわけではなりません。犯罪者になるための基礎として犯罪学があるのでもありません。しかし、私は教育者に資するための教育学を目指しており、教育という現象を学問とした教育学を目指しているのではありません。だから、私の研究室において「教師になりたいと思わない」人を博士課程に迎えたいとは思いません。

 私は大学院(修士課程)の指導教官に小林先生を選びました。小林先生からは断られました。でも、断られても、断られてもお願いしました。最後に、小林先生は色々な条件を課した上で、やっと研究室に受け入れてくれました。別な先生からは、是非 自分の研究室に入るように勧められていたのにも関わらず、絶対に小林先生につきたいと思った理由は、小林先生の講義が「良い授業」だったからです。どんな学識も、どんな肩書きがあったとしても、自分が教師となった時のモデルにならない講義をする人の研究室には入りたくなかった。私は教育学とは、良い教師、良い授業のための学問であると、「単純」に信じていました。

 大学院を修了する時、研究者の道と教師の道を悩みました。研究の面白さも分かっていました。不遜ながら言います。私は大学院在学中に、私を教えていた大学教師の何人かより多くの研究業績を上げていました。それ故、「あんな人が研究者として生きられるなら、自分だって出来るはずだ」と思いました。でも、小林先生のイメージがありました。小林先生は学校現場の経験がありました。先生の講義には、その香りがそこかしこに感じました。私は単純に小林先生のような教師になりたいと思いました。そして、学校現場を経験しないで研究者となった場合、私としては納得できない研究者になるのでは、と感じました。もともと教師になりたいと思っていた私は、「教師になろう!もし、私が研究者の道があっているならば、巧まずにも自然になるはずだ。将来の姿は自ずと定まる」と思いました。

 高校教師になって、最初は大変でした。給料をもらうのが、こんなに大変なことかと思いました。いっぱい失敗しましたし、やけ酒を浸る日々を過ごしました。でも、次第に心に中で教師の人生の魅力が大きくなってきました。「凄く大変だけど、このような教師の人生で一生を 暮らすのはいいな~」と心を決めました。そんな時に研究者の話が来ました。私としては「何が何でもなりたい」という気持ちは「全く」ありません。間に入ってくれた小林先生には「お世話になった先生方に不義理するぐらいなら、この話は進めたくない」と言いました。私としては、ご縁があれば自然とそうなる、と思いました。結果として、関係者の一同が円満な形で異動することが出来ました。研究者になってからは、数年は泣きました。夜になって酒を飲むたびに、なんで研究者になったんだ、と泣きました。しかし、結局、自分には教師で居続ける能力はなかったと自覚し、諦めました。

 私は小中高の教師を尊敬し、あこがれています。その気持ちで大学の先生をやっています。その気持ちで研究をやっています。だから、教師になりたいと思わない人を研究室のメンバーに受け入れたくありません。