お問い合わせ  お問い合わせがありましたら、内容を明記し電子メールにてお問い合わせ下さい。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。             

2005-04-02

[]自己判断・自己責任 08:46 自己判断・自己責任 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 自己判断・自己責任 - 西川純のメモ 自己判断・自己責任 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 デシは自律を重視し、統制(報酬、強要、脅し、監視、競争、評価)に反対しています。しかし、あくまでも「原則的に反対する」として、単純に「反対する」という言葉をさけています。それは、統制にも有効に働く場合があり得ることを知っているからだと思います。両者を明確に分け得ないことを知っているのだと思います。前者に関しては、当人は意識していますが、後者に関しては無意識にさけているような印象を持ちました。

 確かに彼が示す統制的な事例は、典型的な統制です。ところが、実際にはそれほどの統制以外に、自律をも取り入れた中間型の統制があります。また、ある時は自律性を援助しているが、ある時は統制的であるという方が、一貫して統制的であるというより一般的です。さらに、それが統制となるか、否かは、結局、受け取る側が決めます。同じ条件であっても、それをもっともなことだと納得する場合もあるし、随意的で不当だと思う場合もあります。彼は実験室条件で、ある結論を出しています。しかし、それを実際の現実に適用するとき、適用できるのは「自律性を援助するのはいいことが多いよ」というレベルの方向性ぐらいだと思います。と、思うのですが、実験心理学者である彼は、分析的に研究を進めているようです。

 では、私はどう考えるか。まず、生物の歴史の中で生き残ったものには、それなりの価値があると思います。そうでなければ、生存競争の中で生き残れるわけ無いです。少なくとも群れをなすほ乳類においては、統制は一般的です。であれば、一概に「悪」と考えるのは妥当ではないと思います。ただ、統制は必ずしも暴走はしません。猿の群れでもボスが暴走した場合、雌集団から嫌われボスの座から追われます。また、強要・脅しが暴走した人が、正常の社会のメンバーとは見なされません。そのため多くのメンバーは、たとえそれが可能であったとしても、自制を働かせます。我々はデシの研究成果を学ばなくても、どのあたりでバランスをとればいいか分かります。何故なら、相手方が「いやそ~」な反応をしてくれるからです。それを見取って、接し方の方向転換をすることが出来ます。彼が悪しき統制の例として例示した事例は、全て自制を必要と感じないような関係ばかりです。そして「いやそ~」な反応が出来ない関係ばかりです。

 デシは様々な実験条件で、望ましい接し方を出しています。しかし、私はそれは不必要だと考えます。大事なのは、指導者(私の場合は教師)と被指導者との関係が異質であっても人権において対等な関係であることです。それが保証される方策は、被指導者が嫌だと思ったら指導者を変えることが出来ることです。デシが例示した悪しき統制の事例は、指導者を選ぶことが不可能かきわめて困難な事例です(病的な状態になった人の事例は除きます)。対等な関係が成立すれば、指導者が悪しきレベルまで統制を暴走することはないはずです。それのかなり以前に「no!」を突きつけられるはずですから。私は現在学校教育が抱えている問題の根っこに、学校教育が制度化される過程で、学習者が選択する権利を奪われたためだと考えています。

 また、デシは学習者は有能だとは、あまり考えていないようです。文章の中には「してあげる」、「やらせてあげる」というような上から下を見るような雰囲気を感じます。その結果として、問題の解決を教師・学校が担うべきだとは考えているようですが、子どもが主体的に解決するとは考えていないようです。しかし、私はそう思いません。教師、子ども(子ども集団)が一定の緊張関係の中でバランスをとり、互いの知恵を出し合い、互いにウマがあった相手と協力しながら解決する結果が、もっともよい結果になると思います。そして、そのような集団に、入る・入らない、また、どの集団に入るかを選ぶ権利を、全ての個人に与えるべきだと考えています。

[]4月の意味 08:46 4月の意味 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 4月の意味 - 西川純のメモ 4月の意味 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 このメモは、3年、4年、および3トップへのメモです。みんな~何やっている?

 皆さんは、私の「期待しているよ~」から逃れてほっとしていると思います。しかし、手元の「実証的教育研究の技法」の最後にある「はやくしろ!には理由がある」を是非再読してください。皆さんの置かれている状況は決して安穏とした状態ではありません。4年および3トップは教員採用試験があり、3年は超過密な講義があります。皆さんは、それをこなせる人だと確信しています。しかし、思い出してください。ただ卒業したい、ただ就職したい、だったら西川研究室所属していないはずです。4年の9月頃に始まって、2、3ヶ月でちょこちょこっと卒研をやるレベルだったら他の研究室を選んだはずです。西川研究室がどんな研究室であるかは、いろいろな人から聞いているはずですし、私もちゃんと説明したはずです。それでも西川研究室を選んだのは、「志」があり、その志を達し得る研究室であることを先輩から聞いたからだと思います。その志を、卒業や就職と矛盾無くこなすのみならず、相乗効果を持たせるためには、安穏と時間を過ごしては成り立ちません。「はやくしろ!には理由がある」を読めば4月という時間の意味が分かるはずです。

 私は「何をやってもいいよ、結果がよければね」と言います。その理由は、皆さんが「やったふりをする」という非生産的なところにエネルギーを費やす危険性をさけるためです。そして、過程を見なくても結果を見れば十分分かるからです。研究でも就職でも、結局かけた時間に比例します。一部の天才は別にして、我々凡夫は時間と手間をかけるしかありません。もちろん、誤差はあります。100の時間をかけた人と、105の時間をかけた人との差は、それほどないかもしれません。しかし、150の時間をかけた人との差は大きいことは確かです。人に与えられた時間は等しく24時間です。100の人も150の人も24時間です。その違いは選択の差です。あれも、これもという生活をするか、シンプルな生活パターンにするかという選択の差です。もちろん、一生涯、聖人や大哲学者のようなシンプルな生活を すべきだとは申しません。しかし、今のあなた方は高校3年の1年以上に、重大な岐路に立っていると思います。

 皆さんも分かっているように、私は怒りませんし、叱りません。ただただ馬鹿話をいっぱいします。それに、私は講義でも研究指導においても、どんなにひどい成績・態度であっても、学則に照らして単位を出し得ないという状況でないならば単位は出します。つまり、私は皆さんを「脅す」武器を持っていません。私はそれ故に 、一般の学生さん・院生さんを対象とする講義においては、分かりやすい授業、面白い授業という、古典的な方法で講義をします。何故なら、それしか私の武器はないんです。でも、西川研究室を選んだ皆さんには武器があります。何故なら、皆さんには「志」があるということを知っているからです。

 私の「期待しているよ~」はゼミ生に恐れられています。決して怖い顔をでいっているのではなく、ニコニコしながら、そして馬鹿話をしながら「期待しているよ」という言葉が恐れられているのは何故でしょう?それは皆さん自身の中に、無意識に押し殺ろそうとしている「そうしなければならないんだよな~」とか、「そうしたら志を達せられるよな~」ということを、ほじくり返し、直面せざるを得ない状況になるからだと思います。それ故に志のない人には無力であっても、志のある人には強力な武器となります。皆さんは、今、久しぶりに「期待しているよ~」から離れています。しかし、皆さんが超えなければならないのは私ではなく、現状の皆さんであり、これは逃れようがありません。皆さんを評価しているのは、私であるより、ゼミの仲間であるし、何よりも自分なんです。

 休み明けに皆さんと会ったときに、私はにこりと笑って「で?」と聞くでしょう。その意味は「それで、しばらくあえなかった期間にあなたがやった、あなたの志に照らして自慢できることを語ってください」という意味です。期待していますよ。

追伸 このメモが自分たちの方向に「も」向いていることは、1年も私とつきあっているM2の人は分かっているよね。 ましてや私とのつきあいが4年以上の博士課程の3人の方には・・・