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2005-04-28

[]個人指導 22:03 個人指導 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 個人指導 - 西川純のメモ 個人指導 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 基本的に教師が学習者に個別対応をすることはだめなことだと我々は主張しています。理由は、教師が指導することによって、学習者同士のネットワークの形成に障害を生ずるからです。また、そんなことに時間を費やせば、本来すべき集団をモニターすることがおろそかになるからです。個別対応する教師は、自分が学習者集団より有能だという誤解を持っていることを意味します。また、集団をモニターすることの重要性を理解せず、学習者が主体的なったら「暇になる」と誤解していることを意味しています。

 でも、我がゼミにおいては、全体ゼミ、学年ゼミ(正確には大学院ゼミ・学部ゼミ)とともに個人ゼミは柱の一つです。一見、我々の主張と矛盾するようですが、必要であることに確信があります。現在のところ、個別対応が必要な場合と、やってはいけない場合の判断基準に関して、シンプルな基準はありません。でも、「学習者は有能である」という我々の基本の中にそれがあることだけは確かです。ただし、現在においても私なりの基準があります。まず、自分で十分に考えていない場合(考えた結果として結論を出せなかったとしても)、また、他のメンバーと議論していない場合は、冷たく門前払いをします。その理由は、自分で考えてほしい、そして、多くの人の知恵を得てほしいという願いと、それが出来るという確信があるからです。下手に受け入れると、私が学習者の自分で考えること、多くの人の知恵を得ることの障害になることを知っているからです。

 自分で考え、多くのメンバーと議論しているならば、議論します。でも、議論の仕方も2種類あります。もし、私の言っていることが「正解」と考えている様子がある場合(たいていの場合、自分の一言一言に対する私の表情をうかがう傾向が見られます)、私には正解を持っていないことを伝え、私の考えを出来るだけぼやかすようにしています。だって、私のカーボンコピーではつまりません。一方、自分なりの考えた末の、そして明確な根拠・データに基づく主張があり、私の言っていることを、「一つの考え」と捉え、無視できるとなれば、熱く語ります。私としては「無視」されないよう一生懸命です。私は、そんな学習者によって自分を高めたいと願っています。

追伸 上記に関わらず、「だめだ~」という場合は受け入れます。不遜ながら、メンバーの悩みを軽減できる蓄積はあるつもりです。少なくとも研究の「だめだ~」の先には、今までのパラダイムを越える発見があり、ウルウルがあることを経験上知っています。