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2005-05-19

[]気づかない 15:17 気づかない - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 気づかない - 西川純のメモ 気づかない - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、Yと個人ゼミをしました。その際、Yから「どうしても西川研究室の学び合いが信じられない」と言われました。彼は様々な先行研究を学んでいます。そこで、「学び合いに関する実証データは知っているでしょ?」と言いましたが、彼曰く、「それは分かっているんだけど、でも、信じられない」と言いました。「何故?」と聞くと、「今まで経験したことがないから」と言いました。これを聞いて、笑い転げたくなりました。我々の「学び合い」が何か特別なことであると誤解している人は多いと思います。Yもその誤解に陥っていたんです。

 そこで、「君たちは経験しているよ」と言いました。Yはきょとんとしていました。「昨年の年末に経験しているじゃない」と言いましたが、まだYはきょとんとしていました。そこで、「君らは、その時期、西川研究室の本を7冊も読んで、熱心に議論しあったよね」と言いました。「おそらく、大学に入学して、最も集中して勉強したんじゃない?あれが学び合いなんだよ」と言って「あ!」という顔をし始めました。Yにとってあの経験は、あまりにも自然な話し合いであり、そのため彼の中にある「授業・講義」という範疇に入っていなかったんだと思います。今日、KちゃんとRに、その話をしましたが、概ねYと同じような反応をしました。

 Yにも、KちゃんとRにも、同様の話をしました。

 『あのときの俺を思い出してみな。何をした?何もしなかったでしょ。第一に、君らが熱心に議論していた時、ほとんどいなかったでしょ。でも、君らは熱心に学び合ったじゃない。何でだと思う。教師がやるべきことは、ごちゃごちゃ教えることではないんだよ。一番大事なのは「学ぼう!」と思わせることなんだ。しかし、君らはその段階は終わっていた。だから、西川研究室に所属したんだよ。次にやるべきことは、学ぶに足る目標を与えることだよ。あの期間における目標は、「西川研究室の過去の蓄積を学ぶ」というものだった。これが学ぶに足る目標だったから、熱心に学んだと思う。次に教師にやることは、学ぶ手段を与えることだよ。具体的には西川研究室の7種の本だよ。そして、なにより有効な教材である他者を与えた。つまり、ゼミの時間を設定し、集まる機会を与えた。学ぶにたる目標を与えずに、子どもたちに任せるれば、子どもたちは遊び出す。学ぶに値する目標を与えたが、学ぶ手段を与えなければ、子どもたちが混乱する。目標と手段を与えれば、教師がごちゃごちゃしなくても子どもは学び合う。でもね。子どもたちだけでやってしまうと、時に、誤る場合がある。だから、教師は評価をしなければならない。思い出して、1時間半のゼミの時間、最後の15分間程度だけ私は戻って、君たちと議論したよね。あれによって君らがどれだけ進んだかを理解し、君らが誤っている場合は、正すにたる情報を与えたんだ。だから、私の出番は短い時間だけで良いんだよ。な~んも、難しいことはない。当たり前のことを、当たり前にすれば、子どもたちは学び合い、教師がごちゃごちゃ教える以上の成果を上げるんだよ。我々が明らかにしている、学び合いというのはそんなことなんだ。』

 以上を言った後、「こんなことを1時間半ぐらい講演会で話せば、講演料をもらえるんだよ。今日は10分ぐらいだから、格安にしようかな~」と馬鹿話をして、話を閉めました。でも、分かっていたことですが、おもしろく思いました。我々が言っている学び合いは、普通の生活でいつもいつも起こっていることです。それ故に、3年の彼らは授業・講義とは捉えられず、いつも通りに同級生同士でわいわい話しているぐらいに捉えていたのだと思います。しかし、その「わいわい話している」というのがきわめて達成度の高い活動であり、それ故、教科学習においても有効だというのが我々の考えなんです。

追伸 ただし、今日の経験は面白かった。でもね。この面白さは、学習者が教師の術中に陥ったことを喜ぶ「しめしめ」というレベルです。本当の教師の醍醐味は、その先にあります。学習者が教師を術中に陥らせるぐらいに成長することが私の望みです。だって、「しめしめ」レベルでは、私は成長することは出来ません。せいぜい、今の自分のレベルを再確認する程度です。でも、学習者が教師を術中に陥らせるぐらいに成長したならば、私は成長することが出来ます。学習者から教えられることによって、「俺は、なんて馬鹿だったんだ~」と感じられる瞬間が、教師の本当の醍醐味です。期待しているよ。