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2006-03-01

[]普通 16:26 普通 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 普通 - 西川純のメモ 普通 - 西川純のメモ のブックマークコメント


 おそらく発達障害に対する特別支援が、我がゼミ研究テーマの柱の一つになると思います。そのことで、ゼミ生の皆さんと話すとき感じるのは、しつこく語るのが「普通」ということです。

 第一に、「発達障害」の子どもを特別な存在だと考えがちです。しかし、自分も発達障害部分があり、従って、自分と同類だと考えるべきだと思います。自分は健常であると思うのは誤解です。人間、どっかの発達は遅れているはずです。「発達障害」の子どもと自分の違いは程度問題なんです。このことが理解できないと、「自分に置き換えてみれば」という我々がよく使う、最も妥当な判断方法を使えなくなります。その結果、極端な方法に走る危険性があります。

 第二に、「発達障害」の子どもは、教師がどんな指導を行っても「発達障害」のままだと考えるべきだと思います。それは学び合いでも同じです。アスペルガーの子は、アスペルガーのままです。自閉症の子は自閉症の子のままです。教師は医者ではありません。でも、学び合いによって確実に出来ることがあります。それは、「発達障害」の子が、目立たなくなります。多くの教師は「発達障害」の子を、ことさら注目し、イライラし、そして馬鹿げたお節介をし、そして問題をこじらせます。ところが、学び合いによって、集団の管理者となることにより、教師以上に「発達障害」の子の個別指導が子ども集団がするようになります。そのため、目立った問題が起こらなくなります。そのため、イライラせず、馬鹿げたお節介をせず、問題をこじらせません。そして、教師が重度の発達障害だと思っていた子が、実は軽度発達障害の子であることに気づいたり、健常児と考えて良いことに気づいたりすることが出来る場合があります。

 つまり、発達障害子どもの多くは、普通と考えて良いし、実際、普通子どもになると私は確信しています。ところが、善意の多くの教師は、発達障害の子を特別視することが、教師の務めであるであるとお考えです。そして、特別な指導をすることが教師の責務と考えておられるようです。現在、「大変だ~」と言われている発達障害の大多数は、学び合いによって大変で無くなります。もちろん、学び合いでも「大変」な子どもはいるでしょう。でも、そういう子どもは、教師一人がどんなにもがいても、学び合い以上の結果は出せないことに100%の確信があります。数十人の子どもたち以上のことが出来る教師なんて、どれほどいるのでしょうか?教師が「その子」に対して、やっていること、どれほど専門性があるのでしょうか?多くは、常識人の判断で対応しているはずです。最悪の場合は、単にイライラして叱っている場合だってあるでしょう。また、人の相性から考えて、「その子」と一番相性のいいのが教師である可能性は、単純計算で数パーセントにすぎません。さらに、子ども一人一人が数分間、「その子」と関わるならば、教師一人が全ての時間費やして(つまり、クラスの殆どを置き去りにして)出来る個別対応が出来ます。こんな小学校低学年の子どもでも理解できる理屈だと思いません?