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2006-03-25

[]なんのため 13:19 なんのため - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - なんのため - 西川純のメモ なんのため - 西川純のメモ のブックマークコメント


 私が学生時代、不思議なことがありました。それは、教授になると業績かなくなるということです。先生方の経歴を知ると、助教授まではバリバリと業績をあげているのに、教授になるとパタッと業績を上げなくなる人が大多数なんです。でも、今は分かります。そういう人たちは、教授になるために業績を上げている人なんです。だから、教授になれば、業績を上げる必要はなくなります。

 でも、教授になった後にも業績を上げている人がいます。その人は何のために業績を上げているのでしょうか?論文や本を書くことは、それを書いた人しか味わえないものがあります。私の論文日本学会誌に掲載されたのは25歳の時です。そして、アメリカの学術雑誌に載ったのは27歳の時です。その時、不思議な感激を感じました。そのような雑誌に載れば、私のあずかり知らない図書館には、私が死んだ後にも、私の論文が残り、私の知らない人が読むことになります。二十歳代の私が感じた、生命の永遠性です。でも、この生命の永遠性は子を授かれば、そんな論文がなくても十分に感じられます。また、子を授かっていない人も、その人なりの連続性を感じられる業績を上げることが出来ます。

 幸い、家内結婚し、子を授かりました。これで人生の殆どの欲望は満たされたと思います。さらに、それなりの地位と、収入を得ています。黙っていても、「教授様」と立ててくれる人がいます。ありがたいことです。では、今、私がそれに飽きたらず、私を突き動かすものは何だろうと思います。それは、使命感のようなものです。

 単なる学術の積み上げで、どれだけのことができるでしょうか?デカンショと読まれたデカルトカントショーペンハウエル、また、ニュートンアインシュタインのような大天才のような人類史に刻まれる人は別にして、現世における研究者の99.9999999・・・%の研究者はどれだけのことが出来るでしょう?自分が「永遠性」を感じた論文も、100年後に残るか分かりません。おそらく、1000年のレベルでは考古学で扱われるかもしれませんが、学術の歴史の中で生きる可能性は限りなく0です。それは十分に分かっています。

 それでも、誇りを持って今の活動を続けられます。我々の活動によって、毎年、少なく見積もって全国の数十人の教師が自分の授業を振り返るきっかけを作っていると確信しています。そのことによって、その教師が教える千人弱の子どもに、苦痛の少ない1年間を与えることが出来ます。そして、その教師の 生涯で教える数十万の子どもに、苦痛の少ない1年間を与えることが出来ます。とても凄いことだと思います。仏典の中にあるアナンダや、芥川の蜘蛛の糸にあるように、一人の人生を生かすことは凄い意味があります。1年、その成果を遅らせることを恐れます。それ故、バカみたいに馬車馬みたいに、色々なところでゴチャゴチャしています。

 でも、「自分のため」であることは、全く同じです。でも、並べてみれば歴然です。「教授になりたい」、「研究によって自分を残したい」、「研究によって、子どもの救うことによって自分を残したい」。私はこの感覚を一人でも多くの人に伝えたい。それが、最も重要な私の仕事かもしれません。