■ [愚痴]慚愧
最近はメモのアップが滞りがちです。原因は出張が続き、とても忙しいからです。さて、本日も全国の私学小学校の先生方の研修会で講演しました。講演主催者の配慮で2時間半という時間をいただきました。45分間の質疑時間を設定したのですが、質問がとぎれず、とても充実した時間でした。結局、時間オーバーなっても質問がとぎれなかったので1時間以上の質疑タイムとなりました。特に印象的だったのは年配の先生方です。
以前に講演した、私学の先生方の研修会でも感じたのですが、ベテランの先生方が元気がいい!厳しくも的確な質疑をされている。学会で年配の大学教師がトンチンカンな質疑をして、聴衆の失笑を買い、それを気づかないということ 数多く見ています。ところが私学の小学校のベテランの先生方は、そのようなことはは「全くありません」でした。 いつまでも現役でばりばり頑張っていることがひしひし感じます。その中で、ある先生は「先生の話を聞いていて、だんだん息苦しくなった。最初は指導法の一つととらえていたが、あなたは全てに対して適用しようとしている。そのような考え方でない素晴らしい指導で実績を上げている先生方も多い」とおっしゃって頂きました。この指摘はとても嬉しい指摘です。おそらく、 我々の考え方はその先生の考え方とは違うかもしれませんが、その先生は我々の学び合いは「考え方」であり、指導法ではないということを理解して頂けたと思います。あるベテランの先生からは教材研究の大事さ、教師の指導の大事さを指摘されました。ベテランになっても若者と同じような熱意で教材研究に向かわれている方と拝察しました。それに対して、教材ではなく人間関係を重視すべきだと語りました。語りながら、慚愧の念に駆られました。
私は「それら」の先生方が大好きです。本当にいい先生だと思います。ところが私は、その先生方が積み上げたものを否定するかのことを語らざるを得ません。さらに自己嫌悪に駆られるのは、 フェアーじゃないからです。その方は質問者の立場です。ところが私は講演者の立場です。結果として、それらの先生方に比べて長く語れます。これはフェアーじゃない。そう分かっているのですが、我々の考え方を分かってもらおうと思い、勢い、徹底的に語ることになります。 勢いよく語りながら、慚愧の念に駆られます。
良い先生をどのように分かってもらうか。これは本当に考えたいと思います。
追伸 最近の講演会では、「3日で出来ます!」を連呼しています。だって、ゼミメンバーが自信を持っているからです。と、いうことで、これからいっぱい希望がくるかもしれませんよ。期待していますよ、みんさん。